26 自分を嫌いにならないで。

 自分を嫌いにならないで。


「人生には、いくつも乗り越えなければならない高い壁がある。自分の力だけで。乗り越えていかなければ先に進むことができなくなる」筆を動かしながら秋は言う。

「お父さんの言葉?」

 お人形のように木の椅子に座っている私は言う。

「そうだよ。お父さんの言葉」

「高い壁を乗り越える。高い壁。それは受験勉強とか就職活動とか結婚とかそういうこと?」

「そうじゃないよ。そういう自分の外側にある高い壁じゃなくて、もっと自分の内側にある壁のことだよ」

「自分の内側にある高い壁」私は言う。

「四枚目の作品はきっとその高い壁を描くことになると思う。そんな予感がする。こんなふうに感じているときはだいたいその予感は外れたりしないんだ。大きくはね」

 秋が今描いている私の絵はあくまで秋と私の二人だけの絵だった。この絵は秋の作品として世の中に発表されることはない。

「壁か。うん。そうだね。なんだか見てみたい気がする。秋の中にある秋だけに見える高い壁」

「その見えない壁を私は絵にすることで、自分の外側に出して、可視化することで、乗り越える。その行為にはきっと大切な意味があると思う」秋は筆を動かし続ける。

 その綺麗で大きな黒い瞳は私をずっと見続けている。美しい瞳。このままずっと見続けてもらいたいと感じる。

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