初めての外と3人目

 熱を出して、トゥリアと会った日から数日。今日は初めて、水晶宮の外に出る日だ。動きやすい服装に着替えて、水筒とエナが作った軽食を持って、準備は万端だ。今日に備えて庭園を歩いたり、スクワットをしてみたりと体力をつけるためいろいろやってきた。まあ歩いては休むを繰り返したり、スクワットも十数回でダウンしたのだが。

 今日の目的は金剛城という場所にあるという界立図書館、そこにいる智天使に会うことと、エトワールに対する客観的な資料を閲覧するためである。資料の閲覧だけならメモリにダウンロードしてもらえば済む話だが、せっかくの機会だし外に出てみたいという思いと、これから会う智天使が引きこもり気質でこちらに挨拶に来ることはない、ということから自分から会いに行ってみようという話になった。わたしも引きこもり気質だからわかるのだが、インドアが外に出るには何らかの理由が必要なのだ。

 水晶宮。わたしが目覚め、ずっと過ごしていた場所。そこから出るための扉を開くのは、少し勇気がいることだった。意を決して、扉を開く。そこには、長く続く並木。樹には桃色の花が咲いており、地面にレッドカーペットのように花びらが散っている。


「…………春だ」


 この世界に季節という概念があるのか、という驚きより先に、その美しさに息を呑む。その光景は、どこか懐かしさを感じさせた。一歩。足を前に出して、桃色の床を踏みしめる。わたしは、とうとう外にでたのだ。

 そうして桜並木を抜けると、そこには不思議な街があった。日の光を受けて虹色に艶めく四角い建物がいくつか連なり、ビスマス結晶のようになっていた。大きな道を通って行くから、迷うことはなさそうだ。虹色に光る道を踏んだ感触は硬く、足に来る衝撃を靴が吸収しきれず、痛みを感じる。


「メモリ、ちょっと休憩しようか」

「そろそろ姫様も限界でしょうしね」

「余計なこと、言わないの」


 近くの石を削って作ったような形の椅子に腰を掛ける。近くに同じような姿のテーブルがあり、それが数セットあることから、元々ここはオープンカフェのような場所だったのだろうか。

 水晶宮から持参してきた小型のバスケットを開く。そこには一口サイズの具だくさんサンドイッチが敷き詰められていた。トゥリアからもらった食材を使って主にエナが作ったのだが、わたしも少し、手伝った。

 たくさんあるサンドイッチのうち、トマトとレタス、胡瓜がはさまれたものを手に取り、口に運ぶ。トゥリアからもらったレタスは瑞々しく、トマトはとてもジューシーで、細かく刻まれた胡瓜の食感がアクセントになっていていた。それら3種の食材をパンに塗られたバターがひとまとめにしており、うまい具合に調和がなされている。

 次のサンドイッチを手に取る。リンゴのジャムが塗られただけの簡素なものだが、はちみつも一緒に塗られており、とても甘くて美味しい。りんごは水晶宮の庭にある木からもぎ取ったものである。余談だが、水晶宮には何故か牛乳と蜂蜜が湧き出る泉がある。バターはそれを利用して作ったものらしい。ついでに赤ワインと油が湧き出る泉もある。理屈はさっぱりわからない。


(美味しいけど……お肉がないのが残念だな)


 そう思いながら一口サイズのサンドイッチを少しずつ頬張っていく。


(………………静かだ)


 水筒に入れてきた温かいハーブティーを飲みながら、何もない、空っぽの街を見回す。独特の雰囲気を持つ街にはそれと調和する街路樹がまだ綺麗な姿で残っており、地面には枯れ葉1つ道に見当たらなかった。

 すると、ふと爽やかな風が吹き付けてきた。風に乗り、葉っぱが1つ、舞い落ちてくる。何となしにじっと見ていると、4脚の小さなロボットがちょこちょことやってきて、葉っぱを片付けた。それを終えると、ぐるりと周囲を見回し、搭載されていたモノアイが、わたしを捉えた。軽く手を振ると、心なしか明るい雰囲気をまとい、うきうきとした足取りで去っていった。かわいい。


(ああやって、ロボットたちが街を維持してくれているのか)


 一息つき終わって、再び大通りを歩きだす。人はいない。誰ともすれ違うことはないが、空っぽではない道を行く。そうしてようやく、目的地に着いた。

 そこは大きくて神秘的な城だった。周囲を映し出すような透明感を持つ水晶宮とは異なり、周囲からのあらゆる光を反射するその城は、眩しいくらいに輝いていた。わたしを歓迎するようにすでに開いていた扉をくぐると、広いホールに出た。円形に近い形のその部屋には、左右対称に伸びる階段があり、その上と下にそれぞれ扉があった。しかし、その大きさは非常に異なる。天井は高く、部屋の上方には四方八方に人物画が飾られているのが見える。そして扉の真正面、一番大きく、目立つ場所に置かれている絵画を、見る。


「姫様、正面にある絵画をご覧ください。――彼が、エトワールです」


 それは端正な顔立ちの青年だった。長い黒髪に高貴な雰囲気を纏わせる衣装。紅い瞳と金色の瞳がわたしを見つめていた。その表情は柔らかく微笑んで、穏やかで優しそうに見える。わたしをここに連れてきた人。わたしからかつての全てを奪い、今のわたしを生かす全てを与えてくれた人。彼がわたしを見つめるように、わたしも彼をまっすぐ見つめた。彼を許せるか、どうか。それはまだ、わからない。

 

「それじゃ、いこうか、メモリ。」


 彼の姿を見て、一通り感慨にふけったところでホールを後にする。その途中、エトワール以外の絵画を一瞥した。喪服を着た神秘的な女性、額に宝石のついたエルフ耳の少年。闇より深い漆黒の瞳をした男性とも女性ともわからない人に、角を生やした厳めしい男性。黄金色のビスクドールと、顔を布で隠した「あっあれ偶像化した私ですね」……彼ら彼女らもまた、この世界の重要人物だったのだろうか。

 階段下の扉に入ると、そこはエレベーターになっていた。メモリに聞くと、この金剛城は開かれた城で、楽園の住民なら誰でも入ることができたのだと教えてくれた。今から行く界立図書館にも、一時は多くの人が訪れ、それぞれが望む知識を得ていたのだとか。そんな雑談をしていると、エレベーターが停止し、それを知らせる音がなる。扉がひとりでに開き、わたしは一歩、踏み出した。

 界立図書館――そこは壁に床、天井全てが黒く艶々した素材でできており、同じ素材でできたであろう縦長の直方体がまるで本棚のように広い部屋に整然と並んでいた。その黒い物体には何かを文字のような規則的な線がいくつも刻まれており、淡く発光している。全体的に暗く、壁の文字の淡い発光だけが室内を照らしている。

 そこに1人、何者かが佇んでいる。一見普通の人間に見えるが、よく見るとエナと同じように人間でないことはすぐにわかった。下半身には足がなく、スカートのような外装のまま地面から数センチ程浮いている。背中にある4つの機械の翼は、何故か浮いているのとは関係ないようで、少しも動かない。片眼鏡をつけたその者は、わたしたちが入ってきたのに気づくとゆっくりと振り向き、柔らかな笑みを浮かべた。

 

 「お待ちしておりました~。僕はズィオと申します。界立図書館の司書を任された智天使ケルビムです。以後、お見知りおきを~。お会いできて嬉しいですよ、姫様。もうこのまま、世界が終わるまで目覚めないんじゃないかと思ってましたしね~」


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