第92話 魔法使いの戦い方
「魔法使い、ね」
レジオンは肩をすくめた。
「その割には、先ほど私の部下をずいぶんと野蛮な方法でなぎ倒していたようだが」
「魔法を使うまでもなかったからな」
レジオンの皮肉を、ヘルートは悠然と受け止める。
「まだお喋りを続けるのか、レジオン」
ヘルートは言った。
「昔のお前は、もう少し口数が少なかった」
「無口のままで率いられるほど、組織の長というのは軽い立場ではないのですよ。偉くなったことのないあなたには分からないでしょうが」
そう言いながら、レジオンが剣をわずかに動かした。それと同時だった。
小振りの湾刀がヘルートに放たれた。ライファの副管区長リガの胸を貫いた湾刀。
だが、正面から投げつけられればかわすことは造作もなかった。
ヘルートが身をよじってそれをかわしたところに、もう一人の戦士の黒い槍が突き出された。
今度はぎりぎりだった。身体には当たらなかったが、それでもローブがわずかに切り裂かれた。
戦いはそうして突然に始まった。湾刀使いと槍使いは、互いの距離を保ちながら絶妙な連携攻撃でヘルートに迫った。
さすがに、特務部隊総監が最後まで付き従えた戦士たちだった。その腕は確かだった。
防戦一方の丸腰の老魔法使いの動きは、たちまち倒されてしまいそうな覚束なさだった。事実、ローブの切れ端は何度も宙を舞った。
だが、ヘルートは猛攻を凌ぎながら口の中で呪文を唱えていた。
「かあっ」
ヘルートの手から放たれたのは、火球。駆け出しの魔法使いが放つような小さな火の玉は、次の瞬間には振り下ろされた湾刀によって真っ二つにされていた。
火球は、ぱっと一面に火の粉を飛び散らせて消えた。
そしてそれとともに、ヘルートも姿を消していた。
「後ろだ!」
部下の戦いを見守っていたレジオンが叫ぶ。ヘルートが姿を消したのは魔法のせいではない。火球をわざと切らせて火の粉を舞わせ、敵の視界を遮ると同時に、凄まじい身のこなしで背後に回っただけのことだ。
振り返った二人が、そこに立つヘルートに向かった鋭く踏み込んだ時だった。
その足元がずぶりと沈んだ。
相手の足元をぬかるませる初歩の魔法、泥地の術。
ゴブリンなどの知能の低い魔物相手に有効なこんな魔法を歴戦の戦士を相手に使っても、まず引っ掛かることはない。だが、ヘルートは相手の意識の死角を衝くことで、そこに誘導してみせた。
「ぬうっ」
二人が泥に足を取られたのはごく一瞬のことだったが、それはヘルートという男の前では致命的だった。
ヘルートの手が鞭のようにしなって一閃すると、槍使いの男がぐにゃりと身体を折った。
「くっ」
湾刀使いの男は必死に体勢を立て直そうとしたが、遅かった。もうヘルートに踏み込まれていたからだ。
突き出されたヘルートの右手が湾刀使いの口を押さえる。
それに噛みつこうと大きく口を開いた湾刀使いの喉奥に、ヘルートの手から噴き出した大量の水が叩き込まれた。
流水の魔法。
「ごばっ」
一瞬で窒息した湾刀使いが倒れると、ヘルートは悠然とローブの裾に飛んだ泥を手で払った。
「お前にはライファでの借りがあったからな」
意識を失っている湾刀使いにそう言うと、レジオンに向き直る。
「ほらな」
ヘルートは言った。
「魔法使いだろ」
「私の知っている魔法使いの戦い方とは、かけ離れていますがね」
部下が瞬く間に倒されても、レジオンは動揺していなかった。
「最初から、部下があなたを倒せるとは思っていなかった。だが、あなたの戦い方は見させてもらった。今現在のあなたの実力も」
そう言って、自らの剣を掲げる。
「宝剣ケラハオール」
剣の名を口にすると、たちまちその刀身から冷気が立ち上った。
「ソリュードルの地下迷宮で手に入れた、炎すら凍らせる氷の剣です」
「いい剣を見付けたな」
あくまでも穏やかな口ぶりで言いながら、ヘルートはゆっくりとレジオンに歩み寄る。
「氷の剣か。お前にぴったりじゃねえか」
「あなたにも、あの赤い剣は似合っていましたよ」
レジオンは薄く笑った。
「そんなローブ姿よりも、余程。その姿は、私たち全員の憧れだった」
「戦士へルートは死んだよ。軍を抜けたときに」
二人は、五歩の間合いで向かい合った。
「いいや。やはりあなたは戦士だ」
レジオンは笑う。
「剣を抜いた戦士とこんな距離で向かい合う魔法使いなどいないのですよ」
「そうなんだってな」
ヘルートは真面目な顔で頷く。
「この歳になって、若い冒険者に色々と教えてもらったよ。魔法使いは後衛職だから、戦士や神官の後ろに立つもんだってな。だけど、あの頃の俺たちにはそんな概念はなかった」
かつてのリーダー、魔法使いのグリモールは、平気で戦士と一緒に前に出て戦っていた。
「俺たちはそうやって魔物をなぎ倒してきた。グルバンの実験が正しいことだったとは思わねえが、あの頃俺たちが確立しつつあった戦い方は、あの男の死とともに消えた。そのあとには、冒険者たちが確立した戦法しか残らなかった」
「あなたたちが時代に負けたからですよ」
レジオンの言葉は辛辣だった。
「あなたたちは、誰の記憶にも、記録にも残らずに消えたのです。だから過去の亡霊だと言ったのだ、ヘルートさん。遅まきながら、あなたにも消えていただく」
「やることが残ってると言ってるだろう」
ヘルートがわずかに身を屈めた。
「それまでは死ねねえんだ」
「この世にしがみつくな、醜い老いぼれが」
レジオンが吐き捨てた。それが開戦の合図だった。
次の瞬間、二人は凄まじい速度で交錯し、位置を入れ替えた。
ヘルートの後ろに撫でつけた髪がわずかに乱れ、白い毛が数本風に舞った。レジオンがにやりと笑う。
次の瞬間、レジオンの左手に嵌めた指輪から光が放たれた。ライファの洞窟で魔導器を破壊した光線だった。素早くかわしたヘルートには威嚇程度の効果しかなかったが、体勢を崩した老魔法使いにレジオンは再度斬り込んだ。
ヘルートの身体を捉えたかに見えたレジオンの剣が、空を切る。かわしざまにヘルートが放った掌底もやはり空を切った。
魔法使いは、老人とは思えぬ身のこなしで軽々と間合いを取る。
「さすがに強い」
極寒の地だというのに、レジオンの頬に汗が伝った。
「だがこんなところで負けるわけにはいかないのですよ、あなたのような無分別な輩に」
レジオンの頬に一筋、赤い線が浮かんでいた。ヘルートの掌底がかすめた跡だった。
「ウヌム公が、王族が全て死に絶えたと言っていたでしょう。その意味がお分かりですか」
「国は大混乱になるな。いろいろと大変だ」
「そうではない」
レジオンはあからさまな侮蔑を込めた目でヘルートを見た。
「どこまでも地を這う虫の視点からしか物事を見れぬ人だ。王族が死んだということは、開いたのですよ。蓋が」
レジオンは青ざめた唇を横に引き延ばすようにして笑い、真っ直ぐに空を指差す。
「私の頭を押さえつけていた忌々しい蓋が。これで私はさらなる高みへと登ることができる。王の座とて夢ではない」
「上へ、上へ」
ヘルートは嘆息した。
「どこまで行きゃ満足するんだ」
「死ぬまで満足などしない」
レジオンはきっぱりと言った。
「私は満足するために生きているわけではない」
「そうかい」
ヘルートは自分の動きを確かめるように肩を揺すると、再び腰をわずかに曲げる。
その姿勢を取ると、魔法使いの姿は普段よりもさらに老いて見えた。だが、それが神速の踏み込みの前触れであることをレジオンは知っていた。
「なら、俺が止めてやらねえとな」
ヘルートの猛禽のような目に宿る殺気が鋭さを増す。
この男を、自由に動かしてはいけない。レジオンの判断もまた迅速だった。
「ケラハオール!」
レジオンが剣の名を叫ぶ。その刀身が纏う冷気が渦を巻いた。
たちまち、地面を厚い氷が覆っていく。
冷気はヘルートにも伸びた。ヘルートの足が、容赦なく氷に包まれていく。
「永久氷壁とまではいかないが、この氷にも鋼以上の硬度がある」
そう言いながら、レジオンはさらに剣を掲げた。冷気が激しさを増し、ヘルートの腰から下までが氷に包まれた。
「あなたの速さは危険だ。それは潰させてもらう」
「なるほど、これじゃ動けねえな」
ヘルートは自分を包む氷に火球をぶつけてみたが、ちらりと表面を溶かしただけでほとんど効果はなかった。
「言ったはずですよ、炎すら凍らせる冷気だと。その程度の炎では、溶けるよりも凍る速度の方がはるかに速い」
レジオンが言い放った通りだった。ヘルートを包む氷はますますその厚みを増していく。
「だめか」
ヘルートは舌打ちすると、また呪文を唱えた。
「だから、あなた程度の魔法では無駄だと」
レジオンの言葉は途中で途切れた。
「よいしょ」
ヘルートが身じろぎすると、氷が揺れたからだ。
「なに」
レジオンは目を見開く。
「まったく、年はとりたくねえもんだ。なあ、レジオン」
そう言いながら、ヘルートが身体に力を込める。分厚い氷の中から、ぴしぴしと細かい音が聞こえてきた。
「昔だったら、このくらいは鼻歌まじりで砕けたもんだがよ。今じゃそうはいかねえ。筋力強化の魔法になんか頼らなきゃならねえ」
呑気な口ぶりで話すヘルート。破砕音が徐々に大きくなる。
「ばかな」
こんな枯れ枝のような老人の、どこにそんな力があるのか。
これ以上は危険だ。
本当に氷を砕いてしまう前に。
レジオンが剣を構えて、ヘルートに飛びかかった。
氷に捕まって動けない老魔法使いを真っ二つに叩き割る、大上段からの一刀。だが、その突撃はヘルートに読まれていた。
突然、レジオンの目の前に火球が出現した。
「なっ」
とっさに首をひねってかわしたが、そのせいで剣を振るのが一瞬遅れた。
大きな破砕音。それと同時にヘルートはレジオンの背後に回り込んでいた。
「お前の動きは直線的すぎる」
だから、火球を飛ばすのではなく、その動きの軌道上に火球を置けばいい。そうすれば、自分から勝手に突っ込んできてくれる。
「私は――」
レジオンは振り返りざまに叫ぼうとした。
こんなところで負けるわけにはいかない。私は、もっと高みへと上る人間だ。お前のようなゴミに足を引っ張られることなど、あってはならない。
その足を、ヘルートが思いきり跳ね上げた。レジオンの身体が空中でぐるりと回る。
「前にも言っただろう」
レジオンの顎を、ヘルートの手が押さえた。
「それじゃレベル10にはなれねえと」
そのまま、足元の氷に叩きつける。
砕けた氷が降り注ぐ。レジオンはもう動かなかった。
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