第93話 援軍
ぐったりと伸びた特務部隊総監の身体を見下ろし、それからヘルートは振り返った。
そちらでは、“光の剣”同士の激しい戦いが続いていた。
トリアの魔法が大地を揺るがし、クインクの振るう流星の鉄槌の放つ光が空間を焼く。
かつて炎王龍を討った英雄たちの力は、衰えたとはいえやはり圧倒的だった。
残った特務部隊の戦士たちは、誰一人手出しすることもできずに彼らの戦いを傍観していた。
だが、それを受けて立つウヌムは、さらに上の段階にいた。
黒く染まった神剣ヘカトオラクルで二人の攻撃をさばく彼の表情には、余裕すら窺えた。
「ああ、二人ともさすがだな」
ウヌムは楽しそうに言った。
「まだそれだけの攻撃ができるなんて。やっぱり私の仲間だっただけのことはある」
「ほざけ」
トリアが手を天にかざすと、一瞬のうちにかき曇った空から何筋もの稲妻が降り注いだ。
天譴雷槍の魔法。
そこにクインクが激しい光を乗せた。
光神ケルムの聖なる光は、すでに邪悪へと堕ちた神剣の主を焼き尽くす力を持っていた。
ウヌムを激しい爆発が包んだ。
英雄二人の、最大級の攻撃。だが、煙が晴れたとき、ウヌムはそこに平然と立っていた。
「トリア。君の魔法は、昔はもう少し鋭かったな」
ウヌムは言った。
「クインク。君の光も、昔はもう少しなんて言うか……尖っていた。今は何だか丸くなったな」
それも悪くはないが、と言いながらウヌムは笑った。
対するトリアとクインクは、肩で息をしていた。
ウヌムは、ちらりと氷王龍の方を見る。
「もう少し旧交を温めたいところだけど、そうもいかないみたいだ」
そう言うと、剣を二人に向ける。
危険を感じ取ったクインクが素早く距離を取り、護りの結界を自分たちの周囲に張った。剣も槍も矢も、魔法も、あらゆる攻撃を通さない最強の盾が二人を包む。
ウヌムはその場から動くことすらしなかった。
無造作に剣を振り上げ、それを振り下ろした。
刀身が届くことさえ不要だった。邪剣から、何もかもを破壊する衝撃波が放たれた。クインクの結界は脆くも砕けた。
吹き飛ばされた二人は、全身をズタズタに切り裂かれて、地に倒れ伏した。
「クインク。君がもう少し若ければ、この程度の攻撃には耐えられたかもしれないね」
ウヌムは言った。二人は倒れたまま、ぴくりとも動かない。
「老いるというのは、悲しいことだね。私ももう若くはない」
だからこそ、とウヌムは言った。
「こんな世界は、私の世代で終わらせなければならない」
そう言って、ウヌムは氷王龍を見上げた。
「さあ、最終段階に入ろう。もうすぐだ」
その声に呼応するように、龍が氷の中で身じろぎした。
氷王龍の巨躯を包む氷に無数のひびが入り、そこから溢れ出てきたのはどす黒い瘴気だった。
それがたちまち黒い無数の魔物たちへと姿を変えていく。
「ああ、こりゃあいかん」
舌打ちしたヘルートはトリアたちに駆け寄ろうとしたが、彼の前にも黒い魔物が立ちはだかる。
魔物は人や獣や鳥に似た姿をしていたが、どれもそれらが歪に引き延ばされたような、人に嫌悪感を催す形状をしていた。
魔物たちは特務部隊の戦士たちをも無差別に攻撃し始めていた。
強さはさほどでもなかったが、氷王龍を包む氷のひびから、瘴気は無尽蔵に湧き上がってくる。
「まずいな」
ヘルートは黒い魔物の攻撃をひらりとかわすと、その鳥のような頭を蹴り飛ばした。
だが、その前にさらに五体もの魔物が立ちふさがる。
「ちっ」
きりがない。
ヘルートがそう思ったときだった。
突如、魔物の頭上に炎の蛇が現れた。
舞い降りてきた蛇は、魔物たちを巻き込んで激しい爆発を起こす。
「この魔法は」
ヘルートは振り返った。
そこに、十数人もの新手がいた。だが、それは特務部隊の戦士たちではなかった。
「おお」
ヘルートは目を見張る。
「皆さん」
彼らは皆、ヘルートの顔見知りだった。
「指名手配犯、発見」
冗談めかした笑顔でそう言ったのは、“ハイザル幻想楽団”の魔法使いファリアだった。
「ファリアさん」
ヘルートは手を上げる。
「やはりあなたの魔法でしたか」
「まあね」
ファリアの隣には、彼女の仲間のヒルダやヘス、ハボンらもいた。
「おじいちゃんが指名手配なんて、何かの間違いだと思ったから」
ファリアは胸を張る。
「そうしたら、この人たちが一緒に行こうって」
彼女が指差したのは、ツェリルマンドの冒険者“青き龍眼”のリーダー、ナシオン。彼とパーティを組むニドックたちの姿もあった。
「トリア様から、永久氷壁にいるとの連絡を受けたんです」
ナシオンは言った。
「ヘルートさん、無事でよかった」
「じいさん、借りを返しに来たぜ」
ニドックが言うと、背中の羽根飾りも彼の言葉に反応して左右に揺れた。
トリアの言っていた、“種は蒔いた”という言葉。トリアは、ヘルートにかつて世話になり、その無実を信じる冒険者たちに声を掛けていたのだ。
「さあみんな、トリア様を救うぞ」
そう叫んで、ナシオンたちは倒れたままのトリアのもとへと駆け出していく。
「我々は大神官様をお助けするぞ」
クインクのもとへと駆け寄るのは、ユニウスをはじめとするケルム大神殿の神官たち。
そして。
「ヘルートさん。雑魚どもは俺たちが引き受ける」
そう言って姿を現したのは、魔物狩人サークスだった。
サークスは、どす黒い剣を持つウヌムを悲しそうに見やった。
「ウヌムさん。俺はあんたに憧れて冒険者を志した。ガキの頃、あんたに命を救ってもらったからだ」
「そうか」
ウヌムはサークスを見て、それから首を振った。
「覚えていない。あまりにも多くの命を助けたので」
「そうだろうな」
サークスは頷く。
「だが、俺の心にはずっとあんたがいる。あんたが救ってくれたみんなの心の中にも、きっとあんたはいる。だから、今度は俺たちがあんたを救う番だ」
「救えないよ。私の心は」
ウヌムは寂しそうに笑う。
「デューオにしか、ね」
「いや。きっとその人が救ってくれる」
サークスはそう言うと、魔剣ラヴァノールを手に魔物たちに飛びかかっていった。
ウヌムの前に立ったのは、ヘルートだった。
「ウヌム公。サークスさんの言葉にも、心は揺らがないですかな」
「残念ですが、ね」
ウヌムは肩をすくめる。
「あと二十年くらい前に聞きたかったな。私がまだこの世界に絶望していなかった頃に」
「では、仕方ありませんな」
ヘルートは言った。
「儂が、あなたを止めましょう」
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