第90話 本当の望み

 その日の夜、もう一度ヘルートのもとを訪れたシュフェイは、アウラの最後の様子を詳しく尋ねた。

 聞き終えると、深い息を吐いた。

「アウラは孤児だった。両親を魔物に殺された」

「知っています」

 その話はヘルートも聞いたことがあった。

 自分は師匠に命を救われたのだと。

「だから自分のような子供をこれ以上出さないために、軍に入ると言っていた。冒険者ではなく軍を選んだのは、そこに会いたい人がいるからだと」

 それは初耳だった。

「俺には、そんなことは言っていなかった。自分のルーツを知りたいのだと。そのために自分と一番かけ離れたところに飛び込んだのだ、と」

「ルーツ、か」

 シュフェイは目を細めた。

「あの子が自分の両親の顔を知らないのは本当だ。生まれてすぐに孤児院に預けられたのだからな。アウラはその孤児院で十五歳まで育っている。魔法の手ほどきもそこで受けている」

「……なんですって?」

 自分の聞いた話とは違う。アウラは、生まれてすぐに故郷が魔物に襲われ、自分だけが師匠に救われたのだと言っていた。

「軍に所属するある戦士が、魔物に襲われた孤児院を救ってくれたのだそうだ。その戦士に、一目で心を奪われたと言っていた。優れた魔法の才能を見出されたあの子が孤児院から儂に預けられたときから、自分は軍に入りたいとはっきり言っていたよ。軍に入って、あの人と一緒に戦いたい、と」

「……待ってください」

 ヘルートは混乱していた。

「会いたい人? 軍の戦士に救われた孤児院?」

「身に覚えが?」

「……分からない」

 本当に分からなかった。酒に侵された頭でいくら考えても、はっきりとしなかった。

 いろいろなところで戦った。そのほとんどは人里から離れた場所だったが、それでもやむなく人里で戦ったことも何度もあった。

 孤児院のようなところで戦ったこともあったが、それがどこなのか。まるで思い出せない。ヘルートたちにとって、場所など重要ではなかったからだ。

 一つだけ確かなことは、ヘルートにせよ、その時ともに戦っていた仲間にせよ、誰も孤児院や孤児を守ろうと思って戦っていたわけではないということだ。

「軍に入った後、数度連絡が来た。お前とともに戦えて嬉しいと言っていた」

 シュフェイは言った。

「アウラを死なせてしまったことを悔いて、そんな生き方をしているのなら、それは不毛だ。あの子はそんなことを望んではいない」

 シュフェイは、メモ紙にさらさらと住所を書きつけた。

「行ってみるといい。お前の守ってくれた孤児院は、まだそこにある」


 シュフェイが去って数日後、ヘルートは休暇を取ってその街を訪れた。

 魔物の襲撃後に再建されたとおぼしき、きれいに区画整理されたその美しい街に、ヘルートはまるで見覚えがなかったが、地名だけはぼんやりと記憶に残っていた。

 孤児院は、街の郊外に建っていた。

 ヘルートが訪ねると、たくさんの少年少女が不思議そうに彼の顔を見上げた。

 応対に現れた女性は最初、不審そうな目を彼に向けたが、ヘルートがシュフェイとアウラの名を出すとすぐに奥へ引っ込んだ。

 代わりに出てきたのは、シュフェイと同じくらいの年の老婆だった。

 老婆は、ヘルートの顔を見るや深々と腰を折った。

「その節は、この孤児院を救っていただきありがとうございました」


 老婆は孤児院の院長だった。

 ヘルートは素直に、自分はここでのことをほとんど覚えていないのだと伝えた。

「毎日毎日、色々な場所を転戦されていたのでしょうから、それは仕方のないことでしょう」

 院長は言った。

 高名な魔法使いシュフェイの古い友人である彼女は、自身も優れた魔法使いだった。

「アウラは、幼い頃からあまり感情を表に出さない子でした。けれど、魔法の才能はとびぬけていた。私の教える魔法を、砂に水が滲み込むように吸収していきました」

 院長は懐かしそうに言った。

「この才能をこんなところで眠らせておくのは惜しい、と私がシュフェイに頼みこんだのです。彼は弟子を取らないことで有名ですのでとにかく渋っていたのですが、数年かけて口説き落としたのですよ」

 アウラが間もなくシュフェイのもとへ旅立つというある日、突然街は魔物に襲われた。

 今まで見たことのある魔物とはまるで違う、強大な魔物たちだった。

 街はたちまち蹂躙され、院長もその魔法で孤児たちを守ることで精一杯だった。

 アウラはそこで、自分の魔法がまるで役に立たないことを知った。

 ゴブリンやコボルト程度の魔物はいくらでも倒せたが、本当に強い魔物には全く通用しなかったのだ。

 そこに現れた戦士が、物も言わずに魔物たちを切り刻んでいった時の衝撃。

 名を尋ねたアウラに、その戦士は言いづらそうにひと言、

「軍だ」

 とだけ答えたのだという。

 確かにその頃、ヘルートはそういう答え方をしていた。

「あなたが去った後の、あの子の熱の入れようはすごかった。いつかあなたと一緒に戦うんだと、毎日のように言っていました」

 院長はその時のことを思い出したように口元を綻ばせた。

「シュフェイのところへ行くときも、目的ができたことで本当に嬉しそうでした。あなたの存在は、あの子に生きる意味を与えたのです」

「けれど、アウラは」

「死んだのですね。知っています」

 院長は静かに頷く。

「あなたとともに戦って死ねたのなら、あの子も本望だったはずです。あなたは、ずっと人々のために戦ってきたのでしょう?」

 院長の言葉は、ヘルートの胸に刺さった。

「ここを救ってくれたあの日のように」

「ち、ちが」

 発しかけた言葉はヘルートの喉に詰まった。

 違います。俺は、人々のためなんかじゃなく。自分の。組織の。自分たちのために。

「アウラの人生は、幸せだったと思います」

 院長は微笑んだ。

「自分の本当の望みを叶えることのできる人は、そう多くはありませんから」



 孤児院から自分の街へと帰る道すがら、ヘルートは考えた。

 自分たちのしてきた戦いのこと。

 斃れていった仲間たちのこと。

 そして、アウラのこと。

 それから、自分に問いかけた。

 俺は今、何がしたい。

 たくさんの人が死んだ。俺も同じように死ぬはずだった。

 だが、まだ生きている。

 残されたこの命を使って、俺が本当にしたいこととは何だ。


 悩んだ末、ヘルートは結論を出した。



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