第78話 素人
ヘルートが特務部隊員となってから、十年が経った。
三十四歳になったヘルートの率いるチームは、特務部隊で唯一のレベル9に達していた。
大魔物期の終盤。
大魔物期が無事終わったことを知る後世の人間はこの時期をそう呼ぶが、当時の人々にしてみれば、それは悪化し続ける大魔物期の最盛期であり、人類滅亡の瀬戸際だった。
魔物と戦い続ける冒険者たちの中から、大小さまざまな英雄が生まれ、そして消えていった。
その中で、ヘルートは変わることなく、人知れず魔物と戦い続けていた。
メンバーが何度入れ替わったか分からない。
グリモール亡きあと、ヘルートはチームのリーダーになっていた。
仲間を失うことには慣れていたはずだったが、リーダーとして仲間を失うのは、自分がただのメンバーであったときとは全く違った。
彼らの死は、リーダーである自分の責任だったからだ。
仲間を失うたびに精神を摩耗し、ヘルートは仲間に対して心を開くことをやめた。いつも事務的に命令だけを告げた。
それでも、ヘルートは恐ろしく強かった。
戦士としての腕は、いっそう磨かれていた。
グリモールの遺した、レベル10に到達しろという言葉。
それだけがヘルートを支えていた。
自分が真っ先にレベル10に達し、こんな不毛な戦いをやめること。もっと自分の望む形で力を使うこと。そのために戦い続ける。
軍を抜けるという選択肢は、ヘルートにはなかった。
自分だけが逃げては、これまでに死んでいった仲間たちに申し訳が立たない。彼らの死に報いるためには、自分がレベル10になり、この実験のような戦いを終わらせるしかない。そう思っていた。
ヘルートの戦いには、ソリュードルの地下迷宮で手に入れた剛剣シュルシェレットが力を発揮した。
ヘルートの内に秘められた激情を反映するかのように赤い光を発するこの分厚い刃体の不格好な剣は、それがどんな強大な魔物であっても、変わることなく切り刻んだ。
魔物たちはシュルシェレットを目にすると皆、恐れ、退いた。
ある日、一人の魔法使いがヘルートのチームに配属された。
名前は、アウラ。女だった。
当時は女性の冒険者もかなり珍しい時代だ。ましてや特務部隊の魔法使いに女性が配属されてくることなどほとんどありえなかった。
いよいよ人材が尽きたか、とヘルートは思った。人手が足りなくなって、特務部隊のトップチームにまで女を入れなければならなくなったのだ、と。
まあ、すぐに死ぬことになる。
ヘルートがそう思うほどに、ここ最近の戦いは厳しかった。
仲間と笑顔で言葉を交わしたのは、レベル7から8までをともに戦ったギルモサとの会話が最後だった。冗談好きで気のいいギルモサが死んでから、ヘルートは自分の心を閉ざし、チームのメンバーを自分の戦いのためのパーツとしてしか見なくなっていた。
「魔法使いのアウラです」
ヘルートにそう挨拶してきたのは、ずいぶんと頼りなさそうな線の細い女だった。
「よくその身体で、レベル8までの戦いを生き残ってこられたな」
そう言うと、アウラは困ったような顔をした。
「いえ。私はここが初めてのチームで」
「……何?」
アウラは、異例の大抜擢を受けて、いきなりトップチームに配属された新人だった。
上官に尋ねると、アウラの師匠が非常に高名な魔法使いなのだという。
「シュフェイという、魔法学校の教科書に載るような人物だ。ほとんど弟子を取らないことで有名だったその魔法使いが、特別に指導していたのが彼女だ」
それならしっかり働いてくれるだろう、とヘルートは思ったが、最初の戦いでその予想は裏切られた。
魔物の放つ瘴気に中てられて、ふらふらになったアウラはまるで戦力にならなかった。
冗談じゃねえぞ。素人じゃねえか。
ヘルートは他のメンバーを駆使して戦ったが、肝心の魔法使いを欠いて、魔物を討ち漏らした。
使い物にならないと苦情を言ったヘルートに、上官は一度で判断するな、と告げた。
能力は保証済みだ。それを生かすのがリーダーの役目だ、と。
ヘルートはやむなく、次の戦いにもアウラを連れて行った。わざとその死を願うほどにはヘルートの人格は荒みきっていなかったが、死んでも仕方ないとは思っていた。
力が足りない者は死ぬ。厳しい世界を十年も生き延びてきたヘルートにとって、それは当然の摂理だった。
二度目の戦いでは、一応は魔法を飛ばせる程度にアウラもなっていた。
確かに魔法自体は強力で正確だったが、思ったほどではなかった。
これなら死んだグリモールの方がよほど上手かった。ヘルートはまた歯がゆい思いをした。
次は、魔法はこう飛ばせ。こういう状況ならこれを使え。というようなことをヘルートはこまごまとアウラに指示した。
三度目の戦いで、アウラはそれを忠実に実行した。そしてその精度は、ヘルートが期待した以上だった。
なるほど、これが才能か。ヘルートは納得した。
戦いを通じて徐々にアウラは成長していったが、ヘルートのチームがそんな風に足踏みしているうちに、レベル9にゲベルという名の戦士をリーダーとしたチームが昇格してきた。
抜かれるかもしれない、とヘルートは思った。それは焦りになった。
ゲベルは、特務部隊での戦いを心から楽しんでいるような男だったからだ。
好戦的なゲベルがレベル10になったとしても、おそらくこの戦いは終わらない。先に俺がレベル10にならなければ。
ちょうどその頃、タルセニアに炎王龍が現れた。
今までの魔物とはまるで格の違う魔物の王の出現に、世界は絶望に包まれた。炎王龍の開けた異界の穴からは、他にも続々と危険な魔物が現れていた。
事ここに至っては、人里離れた高山や森の奥の魔物ばかりを狩っているわけにはいかないだろうと、ヘルートさえも感じた。
だが参謀長のグルバンは、「炎王龍の出現で強力な魔物が現れたことは好都合。各チームは、一層魔物狩りに励むように」との通達を出した。
世界を滅ぼさんとする魔物の出現すら好都合と言い切るグルバンにヘルートは絶望したが、それを前向きに捉えたのは意外にもアウラだった。
「私たちが狩っている魔物も、放っておけばいずれは街を襲うはずです」
とアウラは言った。
「だから、役割が違うだけだと思うんです。街に直接危害を及ぼすような魔物は騎士団や冒険者の人たちに任せて、私たちは私たちの戦いをしましょう。きっと、私たちの戦いだって、どこかで必ず人を救うことに繋がっているはずです」
その言葉は、ヘルートの心を動かしたが、彼はそれを素直に表現はできなかった。
「俺たちの戦いが必ずどこかで繋がるだと? ひよっこのくせに生意気なことを言う」
ヘルートの言葉にアウラは、はっと表情を硬くした。
「そういえば聞いたことがなかったな。アウラ、お前は有名な魔法使いの弟子だそうだな」
「はい」
「それなのに、どうして軍などに入った?」
それは、部下に興味を示すことのなくなっていたヘルートがアウラにした初めての個人的な質問だった。
「私は」
アウラはわずかに躊躇した。
「私のやりたいようにしなさいと、師匠から言われました。だから、今までの自分から一番かけ離れた場所に飛び込もうと思いました。私にとって、それが軍という場所でした」
「何だ、それは」
ヘルートは肩をすくめた。
「自己実現、自分探しというやつか。そんな理由でこんな過酷なところに飛び込んだのか。魔法使いの考えることは分からんな」
「自分探し。そうなのかもしれません」
アウラは素直に頷いた。
「私は自分の両親の顔を知りません。私が生まれた直後に村が魔物に襲われたと、師匠からは聞いています」
アウラは少し寂しそうに微笑んだ。
「私は自分のルーツを知らない。だから、自分を探したいのかもしれません」
「そうか」
ヘルートは、アウラの境遇に同情はしなかった。そうするには、彼はもう戦いに疲れすぎていた。
「ヘルートさんは、なぜ軍に?」
逆に聞かれて、ヘルートは答えに詰まった。そんなことは、もうずいぶんと思い出すこともなかった。
「……身体が丈夫だったから」
「それだけですか?」
アウラが首をかしげた。
それだけではなかった気もする。
ヘルートはしばらく考えて、それから苦笑した。
「それだけだ。俺もお前の理由をどうこう言えるような人間ではなかった」
アウラは目を見張った。
「初めて見ました」
「何をだ」
「ヘルートさんの笑ったところを」
「俺だって人間だ。笑うことくらいある」
ヘルートはそう言ったが、確かに笑ったのはずいぶんと久しぶりだった。
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