第79話 もう一体の王龍
炎王龍を倒さんと何人もの冒険者が挑んだが、そのことごとくが斃れた。
世界が絶望に包まれる中、ヘルートは変わることなく、人知れず戦いを続けていた。
グルバンの言った通り、彼らが相手にする魔物は格段に強力になっていた。
仲間が何人も入れ替わり、そのたびにヘルートの胸には澱の様に黒く濁った罪悪感が溜まっていった。
アウラがヘルートのチームに加入してから二年が経ち、彼女は見違えるほどに成長していた。
ヘルートは戦いに倦み、疲れていたが、それでも黙々と魔物を狩り続けた。ヘルートとアウラの連携は、見る者の目を奪うほどに鮮やかなものになっていた。
二人は、軍に入った理由を尋ね合ったあのちょっとした会話を皮切りに、徐々に打ち解けていった。
アウラの前でだけは、ヘルートが笑顔を見せることも増えた。アウラも、ヘルートには自分の思うことを何でも話した。
その頃から、ヘルートのチームはアウラと二人だけになっていた。大魔物期の最盛期に入り、ついに人材が枯渇したのだった。
ヘルートとアウラはそれでも任務をこなしたし、必要があれば下位レベルのチームから数人をサポートメンバーに呼んだ。レジオンがヘルートと出会ったのもこの頃のことだ。
あるとき、ヘルートのチームと長いこと競い合っていたゲベルのチームが全滅した。
その相手は、炎王龍だった。
ヘルートたちは炎王龍と戦うことを固く禁じられていた。
もしも特務部隊のチームが炎王龍を倒せば、あまりに世間の耳目を集めすぎる。それはごく隠密裏に進めてきたグルバンの計画にとって不都合だからだ。
グルバンは、兵士を常に死地に置き、淘汰し続けることによって最強の戦士を生み出すことができると信じていた。十年以上かけて進めてきたのは、その育成プロセスを確立して最強の戦士を量産し、他国を相手に覇権を握るための実験だった。
魔物によって人類全体が存亡の危機に立っているというのに、他国との戦争のことなど考えてどうするのか。普通の人間ならばそう考えるだろうが、グルバンはそうではなかった。
元来、特務部隊自体が他国との諜報戦に勝つための、隠密任務を遂行するために生まれた組織だった。そしてグルバンはその考えを骨の髄まで沁み込ませてきた人間だ。
彼が考えるのは、国の利益だ。人類全体の利益は、彼の眼中にはない。
グルバンは国のためであればいくらでも冷徹になることのできる男であり、そういう意味では、世界の情勢がいかに変わろうとも己の信念を貫徹しようとしたと言える。
大冒険者時代といわれる現在であれば、そんな過酷で悲惨な任務を課され続けた特務部隊からは脱走者が続出し、皆が冒険者の道を選んだかもしれない。
けれど、冒険者という職業が普通に認められる今と違い、当時の軍人たちにその選択肢はなかった。
複雑な理由などない。ただ、そういう時代だった。
ゲベルのチームがそれでも命令に背いて炎王龍と戦ったのは、自分たちが世界を救うのだという英雄的な義侠心に駆られてのことだったのか、それとも純粋に強い魔物と戦いたいという戦士の本能に衝き動かされてのことだったのか。
今となっては、それは誰にも分からない。
いずれにせよ、ヘルートのチームとともに特務部隊の双璧を成していたゲベルのチームは、人知れず炎王龍と戦い、そして全員が死んだ。
だが、おそらくゲベルは満足だっただろう、とヘルートは思った。戦士ゲベルとは、そういう男だった。
「炎王龍と戦うことは許さんぞ」
特務部隊本部で初めてヘルートの前に姿を現したグルバンが、最初に言い放ったのはその一言だった。
物覚えの悪い番犬にでも言い聞かせるような口調だった。
「目立とうとするな。レベル10は目前なのだ」
グルバンは引きつったように笑った。特務部隊の戦士たちを統括する立場でありながら、小柄な身体にはでっぷりとした脂肪がついていた。
「炎王龍と戦えば、世間がお前たちの存在に気が付く。それは特務部隊として、決してあってはならないことだ。たとえこの世界が滅びようとも、特務部隊の秘密は守られなければならない」
それはグルバンにとっては極論でも暴論でもなかった。彼は本気でそう信じている男だった。
「炎王龍など、虚名に惹かれた連中の餌にしておけ。なにせ、お前たちのデータは私の理想とするものにかなり近いからな。次は、最高の相手を用意した」
ヘルートたちが命じられたのは、北の果て、永久氷壁への遠征だった。
遥か昔、その地に現れた氷王龍が築いたと言われる巨大な氷の壁。あまりに険しい場所にあるがゆえに、それを実際に見たことのある者は少ない。
そこに、恐るべき魔物が出現したのだという。
それを倒せば、間違いなくレベル10に昇格するはずだとグルバンは言った。
それがヘルートの最後の戦いとなるはずだった。
目的地まで戦力を温存するためとして、レジオンの率いるレベル6のチームを含め、レベル6から8までの数チームも同行した。
瘴気の源たる炎王龍の根城タルセニアから離れて北に進んでいるというのに、魔物は手強かった。
まるでこちらにももう一つ、炎王龍に匹敵する瘴気の発生源があるかのようだった。
ヘルートは配下に加えられたチームとともにそれらの魔物を排除していった。彼らの眼には、ヘルートとアウラの連携はもはや次元の違う絶技に映った。
やがて永久氷壁に近付いたとき、ヘルートたちは敵の正体を知った。
氷王龍。
それは、炎王龍と並ぶ王龍のうちの一体だった。
永久氷壁から現れた巨龍が南へと飛んでいく。その巨大な腹を見上げて、多くの戦士たちの勇気は挫けた。
ヘルートは彼らを付近の村に残して、自分たちはなおも北上した。
タルセニア砂漠に居座る炎王龍がそうであるように、飛び去ったとしても氷王龍は必ずまた元の地に帰ってくる。そういう確信があった。
果たして、吐く息も凍り付くほどの極寒の永久氷壁にたどり着いたころ、氷王龍も再び舞い戻って来た。
ヘルートたちには知る由もなかったが、その頃、二つの大きな出来事が起きていた。
一つは、ついに炎王龍が討たれたことだ。
冒険者パーティ“光の剣”は、炎王龍が出現したワンデルガルのダンジョンにもぐり、その核を封印することに成功した。
それでも炎王龍はなお無尽蔵に近い力を誇っていたが、タルセニア砂漠での戦いで、最後は戦士ウヌムの振るう神剣ヘカトオラクルにその巨躯を切り刻まれ、絶命した。
大魔物期の終わりを告げる、草莽の英雄たちによる勝利だった。
もう一つは、北の駐屯地に集結していた特務部隊の幹部が全滅したことだ。
魔物の王である氷王龍を討つ戦い、すなわちついに実験部隊がレベル10を迎える節目の戦いを前に、その結果を一刻も早く知ろうと、グルバン以下の幹部は永久氷壁にほど近い北の駐屯地で待機していた。
そこを、飛来した氷王龍が襲ったのだ。
氷王龍にしてみれば、本格的な南下を前にした準備運動のようなものだったのだろうが、彼らはひとたまりもなかった。
特務部隊を牛耳る旧時代の幹部たちは全て、この世から永久に消えた。
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