第77話 剛剣


「上に上がるために、絶対に欠かせないものがある。それは武器だ」

 グリモールは言った。

「特に戦士の扱う武器の優劣は、生死を分ける。魔法使いは修練で己の魔法を高められるが、戦士はどんなに鍛えてもそれに見合う武器がなければ実力を発揮できないからだ。ヘルート、お前のその剣」

 グリモールに言われて、ヘルートは剣を抜く。特務部隊に来てから数本目となる、使い込まれた業物だった。

「その辺の雑魚を狩るならその剣でもいいが、ここから上はそうはいかない。魔力を帯びた武器を手に入れる必要がある」

「そうはいっても、簡単に手に入る物ではないでしょう」

「“地の獄のダンジョン”、ソリュードルの地下迷宮」

 グリモールは言った。

「知っているか」

 その名は、ヘルートも聞いたことがあった。

 古くからその存在を知られるこの地下迷宮は、どこまで下りても果てがない、まるで地の底の獄まで続いているかのようなダンジョンとして名高かった。

 そしてこのダンジョンは、もう一つ異名を持っていた。

“剣の墓場”。

 その奥には、新たな所有者を待つ有名無名の魔剣が眠っているのだという。

 冒険者たちは先を争ってこのダンジョンに挑み、自分だけの魔剣を手に入れようとした。

 無論、浅い階層には魔剣などない。大半の冒険者はそのまま誘い込まれるように深い階層まで下りていき、強力な魔物の餌食となって二度と戻っては来なかった。

 だが、中には凄まじい切れ味の魔剣とともに帰還する幸運な強者もいた。

「お前の剣をそこで手に入れる。そうすれば、レベル10までの道が開ける」

 突然のグリモールの宣言に、ヘルートは、それは買い被りだ、と言おうとした。俺の剣を強化するだけで、レベル10まで行けるだなんて、と。だが、グリモールは真剣だった。

「お前は自分の力に気付いていないだけだ、ヘルート。お前は誰よりも強い戦士になれる。その素質がある」

 グリモールは熱に浮かされたように言った。

「いいか。俺とお前で一番上まで行くんだ」


 世間では、組織の大きさゆえに小回りの利かない軍に代わってあちこちで活躍する冒険者に対する期待と称賛の声が高まっていた。冒険者たちをサポートするギルドと呼ばれる組織もあちこちで立ち上がっていた。

 もちろん、魔物との戦いは厳しく、多くの未熟な冒険者たちが何も為せぬままに命を落とした。だが、生き残って勇名を馳せるパーティも確実に増え始めていた。

 何ものにも縛られず、自らの正義と信念に基づいて戦う彼らは、ヘルートの眼には眩しく映った。

 俺もあんな風に戦うことができたなら。

 その一方で、グリモールからの信頼が嬉しかったことも事実だった。

 ここまで生き残ってこられたのは、間違いなくグリモールがいてくれたからだ。その卓越した魔法に命を救われたことは、一度や二度ではない。

 彼に恩義を感じてもいた。

 だから、グリモールの力になれるのならやれるだけのことはやろうという気持ちはあった。

 いつか、グリモールがその上昇志向を満足させることのできる高みに上るまでは、ともにいようと。


 ソリュードルの地下迷宮は、今までヘルートたちが挑んできたダンジョンと比べても、最も大掛かりなものだった。

 浅い層には冒険者たちの死骸がごろごろと転がっていた。

 ヘルートたちは断続的に襲ってくる魔物を排除しつつ、地下へと進んでいった。

 進むにつれ、ダンジョンの魔物は強力になっていったが、それでもグリモールの魔法は敵を寄せ付けなかったし、ここまで生き延びてきたヘルートの剣の腕も十分に通用した。

 途中、数本の剣を見付けたが、彼らは無視した。

「こんなところじゃない。もっと下だ」

 グリモールがそう言ったからだ。

「お前に相応しい剣は、もっと他にある」

 しかし、地下深くなるにつれて、魔物の手強さは加速度的に増していった。しかも狭く暗い閉鎖空間での戦いだ。仲間たちは倒れ、やはりヘルートとグリモールだけが残った。

「戻りましょう、グリモール」

 ついにヘルートは言った。

「これ以上は無理だ」

「まだだ」

 グリモールは首を縦に振らなかった。

「俺はまだ戦える。俺とお前だけ生き残っていればいい。他の奴らなんて、替えの利く部品だ。求める魔剣は、まだ下だ」

 ヘルートは、上官に当たるグリモールを止める術を持たなかった。

 そしてひたすらに魔物を倒し、無謀とも思える前進を続けた果て。ダンジョンの奥の奥で、二人は一振りの剣を見付けた。

 床に突き立ったそれは、しかしとても名のある魔剣のようには見えなかった。

 まるで肉切り包丁のような分厚い刃はあまりに不格好だったし、ごついばかりの柄には、ろくに装飾もなかった。

「それもハズレだ」

 グリモールは言った。すでにその魔力は尽きかけていたが、目は力を失っていなかった。

「だが、もう行き止まりです」

 ヘルートは言った。

「グリモール、これ以上は進めない」

「さっきの道を左に曲がるべきだった」

 グリモールはそれでも諦めていなかった。

「もう少しだ。行くぞ」

 その時、突然周囲の闇が凝縮するようにして、一体の魔物が姿を現した。

 漆黒のゴランゲインという名で知られるその強大な魔物は、おそらくはこの剣の守護者だった。今までの魔物とは、強さが格段に違った。

 ヘルートの剣もグリモールの魔法も全く歯が立たなかった。ゴランゲインの身体からは闇の刃が自在に伸びて二人を切り刻んだ。

 グリモールが自らの血だまりの中に倒れると、ヘルートは真ん中から二つに折れた自分の剣の代わりに、無我夢中で床から不格好な剣を抜いた。

 手に馴染む感覚があった。

 それを振り回すと、今までどんな攻撃にも傷一つ付かなかったゴランゲインの身体から、霧のような血が噴き上がった。

 斬れる。

 ヘルートは剣を振り上げ、そして振り下ろした。

 あれほどに強大だった魔物が、わずか数度の斬撃であっさりと崩れ落ち、消滅した。

『剛剣、シュルシェレット』

 ヘルートの頭に、声が聞こえた。それはこの剣が彼を所有者と認めた証だった。

 だが、それほどの力を持つ剣にしては聞いたことのない名前だった。

「ヘルート」

 かすれた声で呼ばれ、ヘルートは我に返った。

 床に倒れたグリモールは、既に致命傷を負っていた。

「なんだ、それが当たりの剣だったのかよ」

 グリモールはそう言って、弱々しく微笑んだ。

「お前の力は俺が一番よく知っていると思っていた。だが結局、俺には見定められなかったか」

「戻ろう、グリモール」

 ヘルートは言った。

「大丈夫だ、助かる」

「素人のようなことを言うな」

 歴戦の魔法使いは、自分の傷の深さを誰よりも知っていた。

「ヘルート。お前は人を助けるために戦いたいなんて青臭いことを言ってたな」

 グリモールは、ヘルートの腕を掴んだ。最後の命を振り絞ったような、強い力だった。

「それなら、レベル10に到達しろ。お前の力をグルバンに認めさせろ」

「グリモール、だめだ。死ぬな」

「ああ、くそ。よりによって、こんなところで」

 グリモールは吐き捨てた。

「俺は見返したかった。てっぺんまで登りつめて、俺をバカにした人間全てを見返してやりたかった」

 迷宮の暗い天井を見上げて最後に一筋だけ涙を流し、グリモールは死んだ。

 そしてヘルートはまた一人、生き残った。



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