第44話 ミドバルの村

「うん、分かった。今回はすぐに仕事が決まってよかったね」

 宿でヘルートがこの街をしばらく離れることを伝えると、カテナは素直に頷いた。

「そうすると、どれくらい帰ってこないのかな」

「さて」

 ヘルートは眉を寄せる。

「何日かかるでしょうな」

「えーと、一日半の行程だから、とりあえず行って帰ってくるだけで三日かかるでしょ? それから山の中に入って魔物を探して倒して、きっと村でお礼の宴会も開いてくれるだろうから……」

 カテナは指を折って日数を数える。

「少なくとも六日くらいは帰ってこないよね。魔物が見付からなければもっとかかるかも」

「そうなりますな」

 ヘルートは頷く。

「その間、カテナさんは一人で大丈夫ですかな」

「ちょっと寂しいけど、大丈夫」

 カテナはベッドの上で石とボールを交互にお手玉しながらそう答える。

「今日も結構お客さん集まってくれたし。ヘルートが帰ってくる前に新しい技を開発しておくから、楽しみにしててね」

「カテナさんは研究熱心ですな」

 ヘルートは微笑む。

「分かりました。楽しみにしておきましょう」

「はい、これ」

 上半身を起こしたカテナは、銀貨の入った小袋を差し出す。受け取ったヘルートは、そのずしりとした重さに目を見張る。

「こんなには要りませんぞ」

「冒険って何があるか分からないんでしょ。お金は多めに持っていくに越したことはないよ」

 カテナは言った。

「この宿のお金はとりあえず何日分かは前払いしてるから、心配しないで」

「すみませんな」

 ヘルートは小袋を大事にローブの袖にしまい込む。カネに無頓着なヘルートに代わって、旅の資金をカテナが管理するようになってからもうだいぶ経つ。

「何倍かにして返しますぞ。この宿に五十日は泊まれるくらいの」

「そんなに泊まってどうするの」

 カテナは笑う。

「光神ケルムの大神殿でクインクって人に会って、太陽の石のことを聞くんでしょ」

「ああ、そうですな」

 ヘルートは頷く。

「大丈夫です。目的を見失ってはおりませんからな。ゆっくりと着実に、こう」

 ヘルートは水をかき分けて歩くような姿勢で、ゆっくりと歩いてみせる。

「こんな感じで前に進んでおりますから」

「変な動き」

 カテナはくすくすと笑った。



 ミドバルの村には、予定通り一日半の行程で到着した。

 さっそく依頼人である村長の家に通されたものの、パーティのメンバーを見た村長の顔が曇った。

「女性の方ばかりのようですが……大丈夫でしょうか、その、魔物退治の方は」

 村長は一番後ろに控える老魔法使いに顔を向けて、そう尋ねてきた。

 ハイザル幻想楽団の五人を見れば確かに、ダントツで最年長のヘルートがリーダーのように見えても仕方ない。

「リーダーはこちらのヒルダ殿です」

 ヘルートはヒルダを手で示す。

「もちろん、大丈夫です」

 ヒルダはきっぱりと言い切った。

「そのつもりで来ています。女性が多いので侮っておいででしょうが」

「あ、いえ。そんなことは」

 村長が慌てて顔の前で手を振る。

「いえ、いいんです。そういう反応には慣れています」

 ヒルダの言葉に、村長は気まずそうな顔をした。

「私たちは全員、経験豊富な冒険者です。安心してお任せください」

「分かりました」

 村長は頷いた。

「村に何か被害が出る前に、どうかよろしくお願いいたします」


 村長の話では、その鳴き声は時折山奥から聞こえてくるのだという。

「それが何とも不気味な鳴き声でして」

 村長は、思い出したように怯えた表情を見せた。

「まるで、人の笑い声のように聞こえるのです」

「笑い声……?」

 ヒルダたちは顔を見合わせる。鳴き声の詳細は、依頼書には書かれていなかった。

「ええ、笑い声です」

 村長は頷く。

「一番はっきりと聞いた者の話では、まるで男が腹を抱えて大笑いしているように聞こえたそうにございます」

「本当に誰かが笑ってるってわけじゃなくてかい」

 ハボンが口を挟むが、村長は首を振った。

「あんな山奥でそんな大笑いをする者などおりません。まして、その声は真夜中に聞こえることもあるのです」

 その声は、確かに人の声によく似てはいるが、やはり別物だという。

「動物の声が人の声に聞こえることって、たまにあるよね」

 ファリアが言った。

「私が昔飼ってた猫も、私の言葉にまるで“うん、うん”って頷いてるみたいな鳴き声で応えてくれて。可愛かったなあ」

「マリンちゃんの話はいい」

 ヘスが冷たく遮った。

「今は、その不気味な鳴き声の話だ」

「マリンちゃん?」

 ヘルートが隣のハボンを見ると、ハボンはそっと耳打ちした。

「ファリアの昔飼ってた猫の名前だ。その話を始めると、ファリアはいつも最後は泣くんだ」

「ああ、それでヘスさんが止めたわけですな」

「そういうこと」

 ハボンは小さく頷く。

「冷たそうに見えて、ヘスは優しい女だからさ」

 後ろでぼそぼそと喋る男性二人を尻目に、ヒルダたち女性陣は村長の話を分析する。

「人のようで人ではない声、か。いくつか可能性は考えられるな」

「さすが知恵の神官」

 ファリアが手を叩く。

「私は今のところ思い当たる節、ゼロ件」

「実際に耳にすれば、また何か分かるかもしれない。村長、その声は今夜も聞こえますか」

「おそらくは」

 村長は頷く。

 その奇怪な声は、最近聞こえる頻度が高くなり、徐々に村に近づいてきているように感じるのだという。

「今夜、まずは鳴き声の確認だな」

 ヒルダは言った。

「それ次第で作戦を練って、明日以降に出発します」

「お願いいたします」

 村長は深々と頭を下げた。

「魔物の鳴き声なのか何なのか、我々には分かりませんが、昔、この村は恐ろしい巨大な芋虫の魔物に襲われたことがあるのです。そのときも冒険者の方に魔物を封じていただきました」

「そんなことがあったのですか」

「はい。ですから、村に何かがあってからでは遅いということは分かっています。どうか、その前にあの鳴き声を止めていただきたい」

「お任せください」

 ヒルダがパーティを代表してそう答え、村長の家を辞そうとしていた時だった。

「村長、御来客が」

 慌てた様子で、使用人が駆け込んできた。

「来客? 誰だ」

「それが」

 使用人の顔は、青ざめていた。

「軍のお方で。魔物狩人だとおっしゃってます」

 その言葉を聞いたヘルートの眼が一瞬、暗い何かを宿したが、誰もそれには気付かなかった。



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