第38話 老魔法使いの可能性

 なあ、ヘルート。


 お前、本当に魔法使いになるつもりなのか。


 ……そうか。本気か。


 それなら、もしかしたら可能性は残っているのかもしれんな。


 ……え? 何の可能性かって?







「太陽の石という名は、聞いたことがない」


 敗北を認めたトリアは、静かに言った。


 失望した顔のヘルートを見て、だが、と続ける。


「炎王龍の肉体が滅びたときに、赤熱した核が出現した。膨大な魔力を内包していた。それを危険なものだからと封印するために持ち帰ったのはクインクだ」


「クインク?」


「知らないのか。“光の剣”のメンバーで、光神ケルムの神官の名だ。今はケルムの大神殿で大神官を務めている」


「核か。そうか、なるほどな」


 ヘルートは頷くと、立ち上がった。


「教えてくれてありがとよ」


 ぼろぼろになってしまったローブをひと叩きして顔をしかめると、そのまま歩き出そうとする。


 だが、うずくまったままのトリアが、「待て」と声を上げた。


「私を告発しないのか」


 ヘルートは怪訝な顔で振り返る。


「私は魔物を呼び出し、百人以上の人間を死に追いやったのだぞ。それを知っているのはお前だけだ」


 トリアは静かな口調で言った。


「私は大罪人だ。告発せずに街を去っていいのか」


「知らねえよ」


 ヘルートはあっさりと言った。


「けじめを付けたきゃ、勝手に自分で付けな。前に、忠告はしたと言ったはずだぜ。ナシオンさんたちあの街の冒険者は、本当にあんたを慕ってる。タイガリグラを前にしてもあいつらが踏みとどまったのは、自分たちがあんたの街の冒険者だという誇りを持っていたからだ。あんたはあいつらの名前も覚えちゃいなかったがな」


 その言葉に、トリアは顔を歪める。


「自分が英雄だっていう自覚があるなら、自ずと答えは出るだろうよ。もういい歳なんだから、けじめの付け方くらい自分で決められるだろう」


 トリアは何も答えなかった。


 ヘルートもそれ以上は何も言わずローブをばさりと翻すと、光る羽毛に包まれて眠ったままのカテナの方へと歩き出した。





「……ん」


 心地よい揺れに身を委ねていたカテナは、ふと目を覚ました。


「あれ?」


 いつの間にか、カテナはヘルートに背負われていた。


 ヘルートと話しながら歩いていたはずが、周りの景色が全然見たことのないものに変わっている。


 私、いつの間に眠っちゃったんだろう。


「ああ。カテナさん、起きましたか」


 ヘルートが振り返る。


「もう少しで次の街に着きますぞ」


「次の街!?」


 カテナは悲鳴を上げた。


「私、そんなに寝てたの!?」


「ええ。それはもう、よく寝ておりました」


「お、下ろして」


 カテナは老魔法使いの背中でもがいた。


「下ろして、ヘルート。ここで下りる、下ります」


「せっかくここまで来たんですから、どうせなら最後まで」


「絶対に嫌」


 自分を背負ったやせっぽちの老人が街の大通りを歩くさまを想像して、カテナは身震いした。


 着く前に目覚めて、本当に良かった。


「ああ、もう。変だな、どうして眠っちゃったんだろう」


 ヘルートの背中から下りて自分の荷物を受け取ったカテナは、ヘルートのローブがぼろぼろになっていることに気付く。


「ちょっと、ヘルート。どうしたの、それ。崖からでも落ちたの!?」


「ああ、これですか」


 ヘルートはローブの袖を撫でる。


「ちょっと落雷に遭いまして」


「はあ!?」


「まあ、さっとかわしましたので大丈夫です。こう、さっと」


 カテナは、老人のくせにすばしこく、さっとかわす動作を繰り返すヘルートを呆れた目で見た。


「街に着いたら、それ真っ先に縫ってあげるからね」


「いや、自分でできますから」


「いいよ。ここまでおぶってもらったお礼だよ」


 そう言った後で、カテナはふと思い出した。


「そういえばヘルート」


「はいはい」


「私、眠ってる間に夢を見たんだ」


「いいご身分ですな」


「うるさいなあ。それで、その夢っていうのがね」


 カテナはつい今しがたまで見ていた夢をもう一度思い出そうとしたが、あんなに鮮明だったのに、目覚めた途端、曖昧になってしまっていた。


「ヘルート、お願いって言ってたよ」


 消えていく記憶を手繰り寄せるように、カテナは言った。


「お願いしますって、すっごくきれいな女の人が」


 それから、ヘルートの顔を見上げてぎょっとする。


「ど、どうしたの」


「ああ、いや」


 眉間に深い皺を寄せていたヘルートは、我に返ったように首を振る。


「きれいな女の人ですか。それはどんな」


「それが、夢だからもうあんまりはっきりしないんだけど」


「そうですか」


 心なしか残念そうなヘルートの顔を見ているうちに、カテナは思い出した。


「でも、笑顔だった」


「笑顔?」


 ヘルートがまた険しい顔をする。


「笑顔ですと?」


「うん。笑ってたよ」


 もうその人の目も鼻も、輪郭や髪の色、長さもぼんやりとしてしまっていたが、その口元だけは覚えていた。


 間違いなく、彼女は微笑んでいた。


「笑いながらすっごく優しい声で、ヘルート、お願いしますって。そう言ってた」


「……そうですか」


 そのときヘルートの顔に浮かんだ表情をどう表現していいのか、カテナには分からなかった。


 けれど、それは一瞬のことだった。あれ、と思ったときにはヘルートはもう穏やかに微笑んでいた。


「さあ、あと少し」


 ヘルートはいつも通りの静かな声で言った。


「頑張りましょう」


「うん」


 カテナはヘルートと並んで歩き始める。


「私、次の街でも踊るから。ヘルートも一緒に踊って」


「ははは」


 ヘルートは笑った。


「ねえ、踊ってよ」


「ははは」


 ヘルートは街へと歩く足を速めた。






 なあ、ヘルート。


 お前、本当に魔法使いになるつもりなのか。


 ヘルートの耳に残る、師匠の声。


 老いた魔法使いは、長いあご髭を揺らし、まるで駄々っ子を見るような目でヘルートを見ていた。


 今までの自分を捨てて魔法使いになるのだと、師匠に告げた日のことだった。


 ヘルートの揺るぎない決意を聞いた師匠は低く笑った。



 ……そうか。本気か。



 それなら、と師匠は言った。



 それなら、もしかしたら可能性は残っているのかもしれんな。



 何の可能性かと問うヘルートに、師匠はこう答えたのだ。



 決まってるだろう。

 

 ヘルート。お前が世界をひっくり返す可能性だよ。





(第四章 完)


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