第18話 ムシトリグサ
ヘルートがその身体を素早く扉の隙間に滑り込ませるのと、魔物が右手を上げて見えない力で再び扉を固く閉ざすのとは、ほとんど同時だった。
「おっと」
扉に挟まったローブの裾を強引に引っ張り出すと、ヘルートはカテナを庇うように彼女の前に立った。
「カテナさん」
老人は後ろ手にカテナに何かを差し出す。
「あ……」
それは、先ほどカテナが輿の上で脱いだ白い衣装だった。
「その格好では寒いでしょう。こんな服でも着ないよりはましですからな」
「あ、ありがとう」
カテナが服に袖を通している間に、ヘルートは改めて魔物と向かい合った。
「さあて」
老魔法使いは魔物の異形を目の前にしてもいささかも怯んでいなかった。
「何と呼んだらいいかね、あんたのことは」
魔物は答えない。
カテナはヘルートの後ろからその姿を見て、ようやく食虫植物のような四つの口の陰に赤い二つの目が光っていることに気付いた。
魔物の目は、ぴたりとヘルートを見据えていた。
「少なくとも、あんたは太陽の魔法使いクウラフウラなどという名前ではない」
ヘルートは普段と変わらぬ口調で言った。
「そうさな、儂の知っているところでは、あんたらのような魔物はキュリゲイモスと呼ばれる」
「人間の付けた名前などに興味はない」
魔物はそう答えた。
「好きに呼ぶがいい」
「……どういうことなの」
カテナは喘ぐように声を絞り出した。
駆けつけてくれたヘルートは頼もしかったが、それでも所詮はただの老人だし、二人ともこの塔に閉じ込められたままという状況は変わっていない。
いまだ絶体絶命の危機であることに違いはなかった。
だからこそ、このままここで殺されてしまう前に、知りたかった。
この魔物が何者なのか。私たちはどうしてこの村に集められたのか。
「ここ最近は、村の古い家々を回っておりました」
ヘルートは言った。
「霧も深いし、空き家ばかりで、探すのに苦労しましたが」
「それで、最近あなたの姿を見なかったのね。私はてっきり霧に食べられたものと」
「畑仕事をさぼってしまい、申し訳ないことをしました」
悪びれた様子もなくヘルートは言った。
「昔の村人の遺した日記や書付を読んで回っているうちに、答えが分かったのですよ」
「……答え?」
「クウラフウラなどという魔法使いは、最初からいなかったのです」
そう言って、ヘルートは厳しい目で魔物を見据えた。
「そして、こんな塔もなかった」
「え?」
塔が、なかった?
「もともとここにあったのは、ウークリルのダンジョンと呼ばれていた地下墓所です。古代に作られた地下墓所が異界と繋がり、魔物が溢れてダンジョン化してしまった場所です」
「地下墓所……」
カテナは先ほど下りた地下を思い出す。
あそこは確かに、墓所のような場所だった。
「そしてそのダンジョンは、数十年前にとある冒険者パーティの手によって封印されました」
「ふん」
魔物はバカにしたように笑うと、腕を組んだ。
「違いますかな」
ヘルートは目を細める。
「訂正があるなら、お聞かせ願いたい」
だが、魔物は投げやりに右手を振った。
「続けろ」
「そうですか」
ヘルートは小さく頷く。
「しかし、ダンジョンの封印が不十分だったのでしょうな。異界の力がわずかに漏れていた。そしてダンジョンにはまだ生き残った高位の魔物がいた」
そう言って、ヘルートは魔物の方に顎をしゃくってみせた。
「キュリゲイモスはその四つの顎で何でも噛み砕きますが、魔法にも長けた魔物です。長い年月じっと力を蓄えたのでしょうが、それでも異界と繋がるこの場所から動くことはできなかった。キュリゲイモスがこの世界で生きていくためには、生命力を食らう必要がある。それも、幼い少女のものを。だから己の魔力を使ってダンジョンの上にこの黒い塔を築いたのです」
「あ……」
そうか。それで。
カテナは理解した。
土台となっている一階の壁と、その上に立つ塔の壁との色が違っているわけを。
元からあったダンジョンと、新たに作った塔。
「わざわざ塔を築いたのは、下ではなく上に注意を向けさせるためです」
ヘルートは頭上を指差した。
「高い塔があれば、人はそちらにばかり気を取られ、地下など気にしない。疑似餌のようなものです。そしてあれも」
ヘルートは階段の途中にたたずむもう一人のローブの人物に目を向けた。
「偽物の張り子に過ぎない」
「……偽物?」
「ええ」
ヘルートは頷く。
「明かりの魔法を奪われた時から、おかしいと思っていましたがね。あの偽物を作ることによって、塔の最上階にクウラフウラがいるのだと信じ込ませたのです。しかしその実、本当の主は地下に潜んでいた」
ヘルートの言葉通り、偽物の張り子呼ばわりされても階段上の人物は反応を示さなかった。
カテナは改めて、魔物の食虫植物のような奇怪な顔を見た。
そうか。ムシトリグサと一緒なんだ。
カテナは悟る。
食虫植物のムシトリグサは、茎の上に咲く花で虫を取り込んで、その栄養を根に送る。この魔物のやっていたことも、それと同じようなものだ。
「魔物本体はここから離れられなかったので、餌が自分から飛び込んでくるような仕組みを作ったのです。麓へと通じる森に魔法をかけて、村を孤立させたうえで、突然現れた塔を見て集まってきた村人たちに魔法使いクウラフウラの存在を信じこませた。そして、養分が必要になると霧を濃くして村人からいけにえを募った。晴らし子という名の、大好物の少女を」
「……そんな」
「長い間そうしているうちに、村では人の入れ替わりが進んで、元からこの村に住んでいた人は誰もいなくなってしまった。残ったのは、カテナさん、あなたのような新たにおびき寄せられた人間だけだ」
私たちは餌と、それを養う者としてこの村におびき寄せられた。
薄々感じていたことだが、言葉にしてはっきりと告げられるとやはり肌が粟立つようなおぞましさがあった。
「村を覆うあの霧には、人の精神力を萎えさせる力がある。疑問を抱き、自発的に行動しようとする気力を奪うのです。どうやら子供には効果が薄いようですが」
「ふはは」
不意に、魔物が笑った。
「まあ、当たらずとも遠からずといったところか」
それから魔物は、挑発するように両手を広げた。
「長々と講釈をご苦労。それでどうするつもりかね、白馬の王子気取りの老いぼれ殿。まさかその枯れた身で私を倒してその少女を救い出そうとでも?」
「ええ、そのつもりですがね」
ヘルートが平然と答えると、魔物は身をよじるようにして笑った。
「身の程を知れ、じじい。そなた程度の力で何を掴もうというのだ。その魔法の実力では太陽の石どころか、路傍の石すら満足に掴めぬわ」
「やってみなけりゃ分からねえだろう」
不意にヘルートの言葉遣いが変わった。
その粗野な口調に、カテナも思わずヘルートを見る。
「身の程を知るのはいったいどっちなのか、確かめてみようじゃねえか」
ヘルートは不敵に微笑んでいた。
この巨大な塔を一夜で築き、森と村を霧で覆って支配してしまうほどの強大な力を持った魔物を前にしても、怖気づいた様子一つ見せない。
それは、この老人に何か隠された力があるからなのか。それともただ単に強がっているだけなのか。
カテナには判断がつかなかった。
今はただ、ヘルートを信じるしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます