第17話 醜い檻

「どうした」


 クウラフウラの声がカテナを急かす。


「早く下りるのだ」


 怖い。


 カテナは自分の剥き出しの肩を抱く。


 震えているのは、下着姿で寒いせいばかりではない。


 怖いよ。お父さん。お母さん。


 行きたくないよ。


 だが、あの日カテナの手を引いて連れ出してくれた両親は、もういない。


 ヘルート。助けて。


 けれど、あなたは勇敢な子だ、とカテナに言ってくれたあの謎めいた穏やかな老人も、いなくなってしまった。


 村人たちは、キクリおじさんもコルトも、みんなクウラフウラを恐れている。誰も助けてはくれない。


 私は一人だ。


 私を守ってくれる人なんていない。だから、進むしかないんだ。


 カテナは覚悟を決めて、一歩一歩階段を下りていく。


 百段近い階段を下りきると、湿った空気に包まれた。暗い石造りの通路が続くそこは、まるで地下墓所のように見えた。


「こっちだ」


 その声が、今度ははっきりと通路の奥から聞こえた。


「こっちに来い」


 クウラフウラはこの先にいる。


 カテナは震える足を無理やり動かして、暗い通路を進んだ。


 奧に一つだけ、明かりが見えた。


 とにかく、そこだけを目指して歩く。


 床の冷たさに、足の指はほとんど感覚がなくなりかけていた。それでも懸命に歩いていると、ようやく彼女の目は目的の人物を見付けた。


 明かりの下に黒いローブの人物がうずくまっていた。


「クウラフウラさま、来ました」


 かすれた声でカテナは言った。


「晴らし子を務めます、カテナと申します」


 ローブの人物がゆっくりと立ち上がる。


 そのとき、カテナの足が地面に転がる何か白いものに触れた。



 ――逃げて、カテナ。



 そう言われた気がした。


 その瞬間、カテナは卒然と悟った。


 これは、この白いものは、カリーンの骨だ。


 背筋に、無数の虫が同時に這いまわるような怖気が走った。


 足を止めたカテナの目の前で、ローブの人物がかぶっていたフードを剥ぐ。


 そこには人の顔はなかった。代わりにあったのは、四つに裂けた奇怪な、口のような何か。


 ギザギザに、無数の鋭い牙のようなものが生えたそれは、食虫植物のように大きく広がると、ぱくぱくと不規則に動いた。


「さあ、捧げよ」


 クウラフウラは言った。


「その命を、我に」


「……!」


 カテナは悲鳴を呑み込み、身を翻す。


 涙で視界が滲む。


 クウラフウラは、魔法使いなんかじゃなかった。その正体は恐ろしい魔物だった。


 どうして、という気持ちと、やっぱり、という気持ち。


 でこぼこの通路を必死に走りながら、カテナの中ではその二つの感情がないまぜになっていた。


「ははは」


 カテナの背後でクウラフウラが笑った。


「こたびの晴らし子は、活きが良い」


 何が何だか分からない。


 それでもカテナは階段を駆け上がる。


 立ち止まったら、それでおしまいだということだけは分かった。


 息を切らしてようやく一階に戻ってくると、よろけそうになる足を必死に動かして、入って来た扉の前に立つ。


 けれど、扉はもはやただの石の塊そのものだった。


 さっきは滑るように動いたのに、カテナが全力で押してもびくともしない。


 そうこうしているうちに、クウラフウラが階段を上がってきた。


 食虫植物のような奇怪な頭部を持つ魔物は、愉しそうにローブを揺らす。


「やはり少女の精気は良いな。ここまで登ってこられたのは久しぶりだ」


 クウラフウラは、四つの奇怪な口をばくりばくりと動かして何かを吸うような仕草をする。


 全身の力を振り絞って扉を押していたカテナは、近付いてくる魔物を見てついにそれを諦め、塔の上へと続く階段に駆け寄った。


 けれど、幾段も登らないうちにまた足を止める。


 上から、黒いローブの人物が下りてきたからだ。


 やはりフードをかぶっていて顔は見えなかったが、その体型はクウラフウラに瓜二つだった。


 クウラフウラが、二人?


 何が何だか分からなかったが、とにかくこっちもだめだということは分かった。


 カテナは階段から飛び降りると、再び石の扉の前に逃げた。


 階段の途中まで下りてきたもう一人のローブの人物は、そこで階段を塞ぐように足を止める。


 食虫植物の頭をした魔物は、カテナの反応を楽しむようにゆっくりと近付いてくる。


「お願い」


 石の扉を必死で押しながら、カテナは祈るように呟いた。


「開いて」


「開かぬ」


 魔物は笑った。


「さあ、晴らし子よ。その生命を私に捧げよ。そうすればあの村の霧は晴らしてやろう」


 迫ってくる魔物の恐ろしさに、カテナの足から力が抜けた。


 ああ、私の人生はこれでおしまいなんだ。


 この小さな村で、霧に包まれたまま何も見ることなく、最後はこうして訳も分からないまま騙されて、魔物に食べられて終わる。


 そんなつまらない人生だったんだ。


 ごめんなさい、カリーン。逃げろって言ってくれたのに。


 悔しくて情けなくて、涙がこぼれた。


「誰か、助けて」


 地面に膝をつき、石の扉を叩きながら、カテナは叫んだ。


「お願い、誰か」


 誰か助けて。私をここから連れ出して。


 この醜い檻の中から。


「誰かとは、誰だ」


 魔物は楽しそうに言った。


「ここには私の選別した者しかおらぬ」


 そうだ。村にいるのは全て、選別の森によって選別されたクウラフウラに都合のいい人間ばかりだ。


 だから、誰も助けになんて来るわけがないんだ。


「助けが要るようですな」


 不意に、まるで緊張感のない声がした。


 魔物がそれに反応して、動きを止める。


 その声は石の扉の向こうから聞こえた。


 それから、ずずず、と扉が外に向かって動いた。


「貴様」


 魔物が忌々し気な声を出す。


「何をしに来た」


 なおも扉は動き、人ひとり通れるくらいの隙間が開くと、そこから白髪の老人が顔を覗かせた。


「ヘルート……」


 カテナは信じられないものを見る思いでその顔を見つめた。


「あなた、生きてたの」


「カテナさん、あなたは勇敢な子だ」


 迫ってくる異形の魔物を目にしているというのに、ヘルートは変わらない穏やかな声で言った。


「だがもう、一人で頑張らなくてもいいのですよ。なにせ、この儂が来ましたからな」




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