第15話 カテナの勇気
塔を出たヘルートは重い石の扉を元通りに閉め直し、村への道を歩き出した。
しかし森に入ってすぐに、そこに立っていた人物に気付いて目を見張る。
「カテナさんではないですか」
不安そうな顔で木の陰に隠れるように立っていたカテナは、無事に塔を出てきた老人の姿を見てほっと息を吐いた。
「ヘルート、出てこられたのね」
「ええ」
ヘルートは頷き、それから改めてカテナを見た。
「まさか、儂を心配して待っていてくださったのですかな」
「別に、そういうわけじゃないけど」
カテナは自分の腕で肩を抱くようにして、ヘルートを見返す。
「クウラフウラさまには会えたの?」
「ええ、会えましたとも」
ヘルートは頷いて塔を振り仰ぐ。
「あの最上階で」
「じゃあ、分かったの? 太陽の石がどこにあるのか……」
「知らない、と言われてしまいました」
「そう」
カテナががっかりした顔をしたので、ヘルートはかえって表情を緩める。
「カテナさんがそんな顔をすることではありませんぞ」
「うん。でも」
カテナはうつむく。
「ずっと探しているものなんでしょ」
「優しい子ですな、カテナさんは」
ヘルートはカテナの肩をそっと押した。
「さあ、村へ帰りましょう」
村へと戻る道中も、ヘルートの表情は穏やかだった。
カテナはこの老人が少しも気落ちしているように見えないことを不思議に思い、霧の向こうに村の鐘楼が見えたころ、ついに尋ねた。
「ねえ、ヘルート。探し物がどこにあるか分からなかったのに、どうしてちっとも落ち込んでないの?」
「え?」
老人は一瞬きょとんとした後で、ああ、と言って微笑んだ。
「最初から、そう期待はしておりませんでしたからな」
「そうなの?」
「ええ」
ヘルートは頷くとローブの袖を撫でる。
そこに、あの恐ろしく透き通った氷が入っていることを、カテナも知っている。
「少しでも太陽の石の手がかりらしきものを見たり聞いたりしたら、全て確かめておるのですよ。クウラフウラのことも、その中の一つに過ぎません。まあ、暇なじじいの一人旅ですからな。誰に気兼ねするでもなく、自分で考えて好きなようにやっておるわけです。そうやって諦めず旅を続けていれば、いつか辿り着くこともあるだろうと、そんな期待は多少はしておりますがな」
「ふうん」
カテナは、静かに微笑む老人の横顔を見た。
目的を果たせなかったというのに、まるで気負いのない表情だった。
それは、何に追われているわけでもなく、自分の意志で旅の目的を決めているからなのだろうか。
この人は、自由なんだ。
不意に、そう思った。
鳥籠みたいな小さな村に閉じ込められている私とは違う。
どこでも好きなところに、自分の意志で行くことができる。
まるで、大空を舞うあの大きくて強い鳥たちのように。
だけど。
「でも、ヘルートももうこの村から出られないよ」
カテナは言った。
「ここにいたんじゃ太陽の石探しは続けられない。どうするの」
「さあて」
相変わらずさして困った様子もなく、ヘルートはのんびりと首をかしげる。
「どうしますかな。まあ差し当たっては、もう少しあの森の霧と戦ってみますかな」
それは危ないよ。
そう思ったが、カテナは口に出さなかった。
止めたところで無駄だろう。
結局はこの老人も、霧に食べられてしまうのかもしれない。
うつむいて自分の靴の先を見つめながら、カテナは思った。
私の両親のように。
この村で自分の意志を持ち続ける人は、みんなそうなる運命なのだ。
そのとき、老人がカテナの顔を見た。
「カテナさん、あの塔まで行くのは、勇気が要ったでしょう」
「え?」
思いがけない言葉にカテナが顔を上げると、いたわるような表情の老人と目が合った。
「この村の大人は、誰もあそこまでの道を教えてはくれませんでした。みんな、それを聞いた途端、魂が抜けたような顔をして首を振ったものです」
カテナを見つめるヘルートの目は優しかった。
「だから、カテナさん。儂はあなたに案内を頼んだ。この村でたった一人、まだ自分の意志を失っていないように見えるあなたに」
「私……私は、別に」
「それでも、道さえ教えてもらえれば十分だと思っておりました。まさか、あの塔の入り口まで来てくれるとは思わなかった」
ヘルートの声は、まるで魔法の呪文のようにカテナの胸に染みた。
「ありがとう、カテナさん。あなたは勇敢な子だ」
カテナがヘルートとともに黒い塔を訪れてから、また十日余りが経った。霧は、ますます濃くなってきていた。
もうカテナの住む家の二階の窓からも、広場のモミの木は見えない。次の晴らし子を出さなければならない時が来たのだ。
ここ数日、村にヘルートの姿はなかった。
キクリおじさんに何度かヘルートの居場所について訊かれたが、カテナにも分からなかった。
だが、おそらく行くとしたら、麓へと通じる選別の森しかないだろうと思っていた。
クウラフウラとの対面を終えた以上、ヘルートにはこの村に留まる理由がないからだ。
「じいさん、さては村を出ようとして森の霧に食われたかな」
カテナと一緒にヘルートの家を見に行ったコルトは、中に誰もいないことを確認した後でそう言った。
「でも、荷物は置いてある」
老人が村に来るときに持ってきたのであろう荷物をカテナが指差すと、コルトは興味なさそうに肩をすくめた。
「そうか。それじゃあ村のどこかで溝にでも嵌って動けなくなったかな。この霧じゃあここに慣れてる俺たちでさえ迷いそうになるからな」
まるで無感動な言い方だった。
ヘルートの身を心配する様子は全く無い。
逃げたのでなければそれでいい、とでも言いたげな口ぶり。
この人も来たばかりの時はこうじゃなかった、とカテナはまた思った。この村にいるうちに、みんないつの間にかこんな風になってしまう。
「とにかく、もうすっかり霧が深くなった」
外の霧に目をやった後で、コルトはカテナを見た。
「良かったな。晴らし子の出番だぞ、カテナ」
「……うん」
そうなのだろう。
怖かったが、覚悟はできていた。
この村にいても、何がどうなることもない。きっとカリーンは二度と帰ってこないけれど、私だってここにいたんじゃ生きていても、死んでいるのと一緒だ。
あなたは勇敢な子だ。
そう言ってくれたヘルートの優しい表情を思い出す。
自分が晴らし子になることで霧を晴らして、かわいそうなヘルートの遺体が見付かるのなら、それも悪くないかもしれない。
カテナはそう思った。
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