第14話 クウラフウラ
その黒い尖塔に、いつから偉大な魔法使いクウラフウラが住んでいるのかは、誰も知らない。
ヘルートが尋ねた村人たちは、皆そう言っていた。
実際に見たわけでも無かろうに、彼らにはそれを疑う素振りもなかった。
老人らしからぬ健脚で険しい尾根を難なく越えて塔に辿り着いたヘルートは、入り口の石組みを見て顎髭をしごいた。
「ふうむ」
しばし黙考し、それから小さく頷く。
「なるほどな」
門の入り口にあたる巨大な石の扉は、硬く閉ざされていた。
ヘルートは扉の中央に付けられた魔物の首を擬したノッカーを二度鳴らしてみたが、塔の中からは何の反応も返ってはこなかった。
「クウラフウラ殿!」
ヘルートは門前でそう呼びかけた。
「クウラフウラ殿、いらっしゃらぬか!」
だがヘルートの老人にしてはよく通る声も、そのまま木々の間に溶けて消えた。
「……やむを得ん」
ヘルートは扉のノブに手をかける。
力を込めて引いてみると、扉はわずかに動く気配を見せた。だが、それだけだった。
分厚い石の塊のような扉は、老人の細腕で動かすにはあまりに重かった。
「やれやれ、衰えたもんじゃ。この程度の扉も満足に動かせんとは」
老人は独り言ちる。
「とはいえ、だからこそ面白い」
髭の奥の口で、ヘルートはむにゃむにゃと呪文を唱えた。ぼうっ、と手の上に光が灯る。ヘルートはその光を自分の腕に移した。
筋力強化の魔法。
魔法使いが前衛の戦士の攻撃を補助するために使う、ごく初歩的な魔法だった。
「よいしょっと」
ヘルートが再びノブに手をかけ扉を引く。
ずずずずず、という地響きのような音とともに、扉はゆっくりと動いた。
人ひとり分通れる程度の隙間ができたところで、ヘルートはノブから手を離し、身体を捻じ込んだ。
内部は暗かったが、ヘルートが歩を進めるとそれに合わせるように壁の燭台に次々に炎が灯った。
遥か頭上の天井まで、塔はほとんど空洞になっていた。
ただ、最上階には部屋があるようで、そこまで内壁に沿って螺旋状に階段が上へと続いている。
ヘルートは躊躇うことなく階段に足を掛けた。
幅の狭い、手すりもない階段を、ぐるぐるとまわって上がっていく。
「よっこらせ」
時折ローブの袖に手を突っ込んで、自分を鼓舞するような声を上げながらヘルートは階段を上り続けた。
もう塔を何周しただろうか。ようやく螺旋階段が終わり、最上階の扉に辿り着いた。
だが、扉の前に立ったところで、どこからか声がかかった。
「そこで止まれ」
低い男の声だった。
「なぜここへ来た。この塔に許可なく立ち入ることは禁じられている」
「それは申し訳ありません」
ヘルートは言った。
「どうしてもクウラフウラ殿にお会いしたかったものですから」
「クウラフウラは、私だ」
声は言った。
「だが、そなたを呼んだ覚えはない」
「儂も呼ばれてはおりませんがね」
ヘルートはあくまで淡々と答える。
「自分の意志で参りました」
「去れ」
声は冷たく言い放った。
「私はそなたに用はない」
「用はこちらにありましてな」
ヘルートは言う。
「どうか、話だけでも。なに、大した時間は取らせません」
「無礼ではないか」
「無礼は承知の上」
ヘルートは退かない。
「老い先短いこの歳になると、礼儀にこだわっている時間も惜しいものですから」
しばらく、沈黙があった。
「妙な年寄りだ」
声が呆れたように言い、ヘルートの目の前で扉が音もなく滑るように開いた。
「入れ。その高齢に免じて、話だけは聞いてやろう」
「ありがたい」
ヘルートは微笑み、部屋へと足を踏み入れる。
燭台もない、暗い部屋だった。
ヘルートは白い髭の奥でもごもごと口を動かして呪文を唱え、手の上に光を作り出した。
明かりの魔法。
照らし出された石造りの部屋の中央には大きな執務机が一つ置かれ、その向こうに尖塔の壁の色と同じ黒いローブを纏った人物が立っていた。
フードをすっぽりとかぶっているせいで、顔は見えない。
背は長身のヘルートよりもやや低いだろうか。
痩せた体躯とそれを包むローブのせいで、男か女か、若いか年を取っているのか、まるで判別が付かなかった。
「クウラフウラ殿ですな」
ヘルートは穏やかに呼びかけた。
「ヘルートと申します」
ローブの人物はそれに答えず、右手を軽く振った。
それだけでヘルートの作った光は、泡か何かのようにパチンと弾けて消えてしまった。
暗くなった部屋に、新たにぼうっと炎が灯る。
ローブの人物の肩の上で、炎は鬼火のように燃えていた。
「この私に用と言ったな」
クウラフウラの声は、まるで部屋全体を揺らすかのように響いた。
「ええ」
「手短に話せ」
「実は、あるものを探して、この歳まで旅を続けておりましてな」
ヘルートは言った。
「“霧の村”の深い霧を払い、太陽の光を呼ぶと言われる高名な魔法使い、クウラフウラ殿ならそれをご存じないかと思いまして」
「何を探している」
「太陽の石」
その名を口にしたとき、老人の目は猛禽のような鋭さを見せた。
だが、それはごく一瞬のことだった。クウラフウラがローブを揺らして笑い始めたときには、ヘルートはもう元の穏やかな表情に戻っていた。
「おかしいですかな」
「ああ。おかしい」
クウラフウラはなおも笑っていた。
「太陽の石だと。そんなものを求めて、何とする」
「まあいろいろと事情がありましてな」
ヘルートは探るようにクウラフウラを見た。
「いずこにあるのか、クウラフウラ殿はご存じですか」
「知らぬ」
クウラフウラの答えはにべもなかった。
「知っていたとしても、そなたに教えはせぬだろう」
そう言うと、追い払うように右手を大きく振った。
「愚かなる者よ、去るがいい。もし、太陽をこの手で掴んでみたいなどと口にする者がいたら、どう思う。なんと愚かなやつよ、と呆れるであろう。そなたの言っていることはそれと同じよ」
「残念ですな」
そう言いつつも、ヘルートは淡々としていた。
「お時間をいただき、感謝いたします」
「そなた、魔法使いにしては、ずいぶんと稚拙な魔法しか使えぬようだな」
「そんなことまで分かってしまいますか」
ヘルートは驚いたように目を細める。
「さすがは太陽の光を呼び込む魔法使いですな」
「ふん」
クウラフウラは肩を揺らして笑う。
「そんな歳になるまで、一体何をやっていたのやら。歳に見合う実力も備えず、実績もなく、無為に老いさらばえた姿は、実に醜く憐れなものだな」
「まあ、そう悲観したものでもないですがね」
ヘルートは答えた。
「確かにあちこち色々とガタがきてはいるが、これはこれでそう悪くはない」
そう言って、クウラフウラに背を向ける。
「では。お邪魔しましたな」
「招かれざる者よ」
歩き去ろうとする老人の背中に、クウラフウラはそう呼びかけた。
「村にはもう慣れたか」
「ええ、おかげさまで」
ヘルートは肩越しに塔の主を振り返る。
「皆さん親切ですな。活気はないが、いい村だ」
「ならば、太陽の石のことなど忘れて真剣に畑を耕すことだ」
クウラフウラは嘲りの口調を隠しもしなかった。
「そなたは残り短い人生を、あの村で過ごすのだから」
「ご忠告、痛み入ります」
ヘルートはクウラフウラに向き直ると、慇懃に一礼した。
「まあ、精一杯やらせていただきますよ」
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