第11話 出ることはできない


「こんにちは、おじいさん」


 カテナは軒先の老人に挨拶を返す。


「あなたを畑に案内しに来たのよ」


「畑に?」


 老人は微かに目を見張る。


「それはまた、どういうわけですかな?」


「おじいさんにも、働いてもらわないといけないからよ」


 カテナが答えると、老人は「いやあ」と首をひねる。


「こう見えても宿代くらいは持ち合わせておりますぞ。働いて返すような事態はできれば避けたいところですなあ」


 話がかみ合わないことに、カテナは微かに苛立つ。


 昨日、大人がちゃんと説明しなかったんだろうか。


「何も聞いてないの?」


「と、言いますと?」


「もうおじいさんはこの村の住人になったのよ」


 その言葉にも老人の表情に変化が見られなかったので、カテナは言葉を足す。


「この村からは出られないってこと」


 老人は、ふむ、と言って白い顎髭をしごいた。


「そういえば、昨夜酒場で宿の場所を尋ねたときに、この村に宿はないからここに住んでくれ、というようなことは言われましたな。ここに泊まってくれの聞き間違いかと思っておりましたが」


 どうやら相当に雑な説明をされたようだ。カテナはため息をつく。


「聞き間違いじゃないよ。おじいさんの家は、これからこの空き家になるの」


 カテナが言うと、老人は自分のローブの袖を手で撫でるような仕草をした。何か入っているようで、袖は少し膨らんでいた。


「なるほど、なるほど」


 老人はゆっくり二度頷いて、椅子からのっそりと立ち上がる。老人らしい、緩慢な動作だった。


「分かりましたぞ。それでは畑に案内していただけますかな」


「うん」


 思ったよりも老人の飲み込みが早いことに、カテナはほっとした。


 誰でも来たばかりの頃は状況が飲み込めず、ふざけるな俺は帰る、とか、お願いここから出して、などと言って大騒ぎするものだ。カテナもそういう人たちを見てきた。


 まあそんな彼らも、今ではすっかりこの村の一員なのだが。


「行く途中で、この村のことを色々と教えてもらってもいいですかな」


「いいよ」


「そういえば、名乗っておりませんでしたな」


 老人はカテナを見下ろした。隣に並んでみると、老人は意外なほど背が高く、肩幅も広かった。


「“元気な老いぼれ”ヘルートと申します」


「ヘルートね。私は、カテナ」


 そう言ってから、カテナは自分の名前を人に伝えるのがずいぶん久しぶりなことを思い出した。





 畑までの道すがら、カテナは老人にこの村のことを話して聞かせた。


 ここは、ここに迷い込んでしまった人たちの暮らす村で、村人は三十人から四十人くらい。


 村人はみんな、元々はここに迷い込んで出られなくなった旅人だ。


 昔は元からここに住む村人もいたらしいけれど、もう誰も残っていない。


 村人が正確には今何人いるのか、カテナは一人ひとりの顔を思い出しながら数えてみたが、途中で分からなくなったのでやめた。


 男性の方が多いのは、旅人には男性が多いからだろう。


 麓へと通じる外界との唯一の接点である「選別の森」には、いつでも霧が深く立ち込めていて、その不思議な力のせいで抜けることができない。一度こちら側に来てしまったが最後、もう決して戻ることはできないのだ。


「そういうことだから、もうヘルートもここで暮らすしかないのよ」


「なるほど、そういうことでしたか」


 ヘルートは驚く風でもなく、また顎髭をしごいた。


「しかし、あの森には確かに霧は出ておりましたが、この村に来る分にはそう迷うこともありませんでしたぞ」


「入ってくることはできるの。でも、出ていくことはできない」


 少なくとも、カテナはそう聞かされていた。


「無理に出ようとすれば、森の怒りに触れるの」


「ほう」


 ヘルートは興味を引かれたような顔をした。


「森の怒りですか。それは、どのような」


「食べられてしまうの」


「何に」


「霧に」


 そう。無理に森を抜けようとした者は、その怒りに触れ、霧に食べられてしまう。


 だから、私の両親も。


「霧に食べられる、ですか」


 老人はカテナの言葉の意味を考えるように目を細め、それから頭上を見上げた。


 薄い霧に覆われた空の先に、ぼんやりと太陽の輪郭が見えた。


「しかし霧は、人を食べませんなあ」


 緊張感のない、とぼけた口調だった。


「だから、霧の中に隠れた何かがいるんでしょうな。それとも、それ自体が霧に見せかけた何かなのか」


「私には分からない」


 カテナは肩をすくめる。


「私だって自分で見たわけじゃないもの」


「そうですか」


 老人はひとつ頷き、それ以上は何も言わなかった。なんとなく自分がバカにされたような気になって、カテナは付け加える。


「もしも嘘だと思うなら、森へ行ってみるといいわ。きっと私の言ったことが分かると思う」


「噓だなどと思ってはおりませんぞ」


 ヘルートは言った。言葉通り、真面目な顔をしていた。


「何かがいることは間違いないでしょう。とはいえ、おっしゃる通り自分でも一度は行ってみようと思いますがな」


 カテナの言葉を恐れているふうでも、バカにしているふうでもない。


 どこか掴みどころのない老人だった。


 そもそもこの老人はなぜこの村に迷い込んだのだろう。


 大人たちによれば、この村はほかのどこにも通じていない「行きどまりの村」なのだという。


 だから、余程のことがなければ旅人が迷い込んでくることなどない。


 ここにいる人達は、みんなまるで何かに誘われたようにして道を外れ、気付くとこの村に辿り着いていたのだ。


 けれどキクリおじさんの話では、ヘルートは迷い込んだというより、最初からこの村に来るつもりだったかのように落ち着いていたそうだ。


 だから、カテナは聞いてみた。


「ヘルートは、どうしてこの村に来たの」


 ヘルートは、ああ、と言ってまた頭上のうすぼんやりとした太陽を見上げた。


「探し物をしていましてな。それで“霧の村”の噂を聞きつけてやってきたのですよ」


「探し物?」


“霧の村”は、外で噂になるほど有名なのだろうか。


 外の記憶のほとんどないカテナには分からない。


 とはいえ、この小さな村にわざわざ外から探しに来るほどの珍しいものがあるとも思えなかった。


「太陽の石」


 ヘルートはそう言ってカテナの顔を見た。


「聞いたことは?」


「ないわ」


 カテナは首を振る。


「それ、何?」


「さあて、何なのでしょうなあ。儂にもよく分かりません」


 ヘルートは、はぐらかすように笑い、それからまた自分のローブの袖を撫でた。



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