第9話 帰還

「あー、太陽っていいな」


 久しぶりに浴びた眩しい日の光に、エッジが大きく伸びをした。


「もう二度と拝めねえかと思ったぜ」


「ああ。生きて帰ってきたという実感があるな」


 アトスも頷くと、太陽に向かって恭しく首を垂れる。


 その隣で、イエマも胸に手を当て、同じように頭を垂れた。


 いつもは普通の若い女の子のように振る舞っているイエマだが、やはりそういう姿は敬虔な神官そのものだった。


 盗賊のウグレはさすがにそれに倣うことはなく、さっそく背嚢はいのうから死霊石を取り出して、太陽の光にかざしてめつすがめつしている。


 彼らがそんなことをのんびりとできるのも、無事にアルケンのダンジョンから帰還できたからだった。


***


 モルディアルマを倒した後、アトスたち“燃える魂”の一行は、帰り道を求めて魔獣の開けた穴から未知の洞窟に踏み込んだ。


 そこはもう人工の墳墓ではなく自然にできた洞窟だった。元のダンジョンへ戻る術も分からないまま、地上へと続く道を探しているうちに、彼らは逆にさらに深淵へと続く道を発見してしまった。


 おそらくそこを下ればこのダンジョンの核、すなわち全ての魔物の故郷たる異界との間に開いた穴があるのだろう。


 だが、強敵との戦いで疲労困憊している彼らに、核を封じるような余力はとてもなかった。


 疲れ果てた一行に、ヘルートは深淵へと続く道を下りることを提案した。


 湧き出した魔物の中には、地中に穴を掘るものもいる。現に、密閉されていたはずの死霊石の部屋に風穴を開けたのはおそらくあそこで死んでいた魔獣たちだろう。


 だから、核に近付けば必ず他の道ができているはずだ、とヘルートは言うのだ。その中には、必ず上に通じる道もある、と。


 強力な魔物に出くわす危険もあったが、アトスたちはヘルートの提案に乗った。


 結局は、ヘルートの言うことがここまでずっと間違っていなかったことを、皮肉屋のウグレですら認めざるを得なかったからだ。


 道を慎重に下りていくと、途中でやはり上へと続く脇道を発見した。


 そこからもなお、別の物語が一本書けるくらいの苦労があったのだが、とにかくついに一行は元の墳墓の通路に復帰することに成功し、こうして地上へと帰還を果たしたのだった。


 偽の棺の財宝は手に入らずじまいだったが、代わりにたくさんの死霊石を手に入れることができた。


 収支としては、大幅な黒字であることは間違いない。


 一行の表情も明るかった。


 ヘルートは、帰還を喜ぶ四人を後ろから見つめていたが、やがて癖のように袖の中の氷に触れた。


 それに最初に気付いたのは、イエマだった。


「あ、おじいちゃん。また触ってる」


 ヘルートはばつの悪い顔で袖から手を抜く。


「癖でしてな。自分でも気付かぬうちに触っている」


 イエマは手を伸ばして老人のローブの袖を触る。硬い感触だった。


「聞こうと思ってたんだけど、その氷の中の紙って何が書いてあるの?」


「ああ、これですか」


 ヘルートは袖から氷の塊を取り出す。


 モルディアルマを倒した殊勲の氷に、アトスたちも集まってきた。


「おお、これが例の永久氷壁の氷か」


「きれいなもんだな」


 氷を覗き込んで、口々に感想を言う。


「ほんとだ、紙が入ってる。あ、もしかして」


 エッジが大きな声を上げた。


「ヘルートさん、魔法使いとしての力をほとんどこの紙に封じ込められちまってるんだろ。そのせいで、今はあんなしょぼい魔法しか出せなくなってるんだ」


「おい」


 アトスがエッジを肘でつつく。


「しょぼいとか言うのはよせ、失礼だぞ」


「でもしょぼかっただろ。あの火球とか、びっくりしたぜ」


「まあ確かにしょぼかったが、それはそれとして失礼だろう」


「魔法は、あれが儂の全力ですな」


 ヘルートは笑顔で言った。


「何の力も封じられてはおりません」


「そうなのか」


 と残念そうなエッジ。


「じゃあ、この紙は何なんだろう」


「伝説の魔法書の切れ端とか」


「いや、財宝のありかを示す地図だろ」


「世界そのものを揺るがすような秘密が書かれているのかも」


 若者たちの勝手な予想に、ヘルートは首を振った。


「どれも違いますな」


 ヘルートは布越しに氷をこつこつと叩く。


「これは、昔儂が書いたラブレターです」


「ラブレター!?」


 あまりに意外な答えに、全員が素っ頓狂な声を上げた。


「お、おじいちゃんの?」


「ええ。ひょんなことから永久氷壁で落としたときに凍ってしまいましてな」


「どうして、ひょんなことで永久氷壁にラブレターを落とすの」


「これがまあ若気の至りといいますか、とにかくこっぱずかしい内容のラブレターでしてな」


 ヘルートは真剣な顔で言った。


「自分が死んだ後で、何かの拍子にこの氷が溶けて誰かに見られたんじゃ、死んでも死に切れませんので」


「じゃ、じゃあおじいちゃん」


 イエマがおそるおそる尋ねた。


「この氷を溶かす方法を探してるのって」


「ええ」


 ヘルートは頷く。


「このラブレターを、儂が生きてるうちに処分するためです」


 なんだ、それは。


 四人は何と言えばいいのか分からず、顔を見合わせた。



 ***



 アルケンのダンジョンから帰還して、三日。


 その日、“燃える魂”には二つの朗報があった。


 一つは、オリビアが無事に元気な女の子を出産したこと。


 もう一つは、ダンジョンから持ち帰った死霊石が、合わせて十二万マグで売れたことだ。


 五人で分けることを考えても、これは相当な大成功と言ってよかった。


 しかし、金を分配するためにヘルートに連絡を取ろうとしたアトスは、冒険者ギルドの受付のペンネ嬢から、老魔法使いがすでに街を発った後だということを知らされた。


 ヘルートには、契約金のほかにはまだ死霊石以外に得たわずかな財宝を売った金の分配しか済ませていなかった。


「次の街への旅費は稼げたので、残りの分配はどうぞ皆さんで、ですって」


 ペンネ嬢は、ヘルートからの言付けを伝える。


「しかし、死霊石を売った金が渡せていないんだ」


 困った顔のアトスにペンネ嬢は、ああ、と頷く。


「それも言ってたわ。皆さんが死霊石を掘り出しているとき、儂は後ろで見ていただけなのでもらうわけにはいかないって」



 ***



「……変なじいさんだったな」


 あまりうまい料理のない冒険者ギルドの食堂で、四人はささやかな祝杯を挙げていた。


 愛想のないいつものウェイトレスがテーブルに鶏の香草焼きを置いていく。


 エッジとオリビアの子供の話や、自分たちの後にアルケンのダンジョンに入った“栄光の盾”がろくに宝を見付けられずに帰って来た話などをし、次こそアルケンのダンジョンで例の棺の宝物を回収しようという話でひとしきり盛り上がった後。


 不意にウグレがそんなことをぽつりと言ったのだ。


「魔法使いとしちゃ話にならねえレベルだったけどよ。なんつうか……」


 ウグレはあの老人に合う言葉を探そうと、しばし目を宙にさまよわせる。


「そう、自由なじいさんだったな」


「自由、か。そうかもね」


 イエマが頷く。


「確かに使ってたのは初歩の魔法ばっかりだったけど、使い方が独特で、常識に縛られてないっていうか」


「そうそう」


 エッジが思い出したように笑う。


「明かりの魔法でトロルの目をくらませたりな。自分に筋力強化の魔法をかけて、投げつけた氷でモルディアルマを倒した時は、びっくりしたぜ」


「永久氷壁の氷なら、この世のあらゆる物よりも硬いって話だからな」


 そう言ってウグレがジョッキを空にする。


「アトスやエッジの剣なんて目じゃねえ。最強の武器ってわけだ」


「うまく使ったもんだよなあ」


「発想が自由なんだよね」


 イエマがそう言ったときだった。


「……それなんだが」


 黙って何かを考えこんでいたアトスが、真剣な顔で仲間たちを見た。


「エッジ。ヘルートさんが俺たちの剣にかけてくれた武器強化の魔法、効果はどうだった」


「え? あー、うん、まあ」


 エッジは頭を掻く。


「あの人の他の魔法と一緒だよな。ないよりはマシかなって程度。いかにも駆け出しの魔法使いの魔法って感じ」


「そうだよな」


 アトスはそう言って、また考え込む。


「なんだよ、アトス」


 ウグレが顔をしかめた。


「祝いの席だぞ。言いたいことがあるなら、しけた面してねえでさっさと言えよ」


「だからさ」


 アトスは言った。


「おかしいと思わないか」


「何が」


「魔法の効果が、だよ」


 アトスは勢いをつけるように酒を一口飲む。


「エッジも言ったように、あの人の武器強化の魔法は、俺とエッジの二人同時にかけられない上にその効果も気休め程度のものだった。火球の魔法だって、お前も見た通り、あのざまだ。それなのに、筋力強化の魔法だけは、モルディアルマの分厚い粘液の身体を一撃で貫くくらいの腕力を与えたっていうのか。あの高齢の魔法使いのヘルートさんの細腕に」


「あ」


 イエマが目を見張る。


「そういえば、そうだね」


「それは、あれだろ。投げたのが永久氷壁の氷だから」


 そう反論しかけたウグレも自分の言葉のおかしさに気付き、途中で口を閉じた。


 永久氷壁の氷は、確かに硬い。触れるものを凍らせるほどの冷気も持っている。だが、それだけだ。自分の力で飛ぶわけではない。


 モルディアルマの分厚い粘液を貫いたのは、あくまでヘルート自身の力のはずだった。


「……筋力強化の魔法だけ、すごく上手だったのかな」


 イエマが言った。自分でも苦しいと思ったが、それ以外に理由は考えられなかった。


 しばらく無言の時間が流れた後で、ウグレが結論のように言った。


「……変なじいさんだったよなぁ……」


「ああ……」


「そうだね……」


「おまちどうさまー」


 黙ってしまった四人の前に、やる気もあまりないいつものウェイトレスが追加の料理を置いた。


 皿を見て、エッジが「げっ」と声を上げる。


「ジャイアントリザードの肝焼きじゃねえか」


「くさーい!」


 イエマが悲鳴を上げ、ウグレも鼻を押さえて椅子を引く。


「おい、ねえちゃん。俺たちこんなもん頼んでねえぞ」


「いや、俺が頼んだ」


 アトスがそう言って、フォークを手に取る。


「ヘルートさんはこれを三皿も食べてたんだろ? もしかしたらそれがあの人の秘密と関係するのかもしれない。だから俺も一皿くらいは挑戦してみようかと」


「んなわけねえだろ! やめとけやめとけ」


「そうだよ、絶対吐くぞ」


「くさいー!」


 仲間たちの声に構わず、アトスは真剣な表情のままフォークを突き刺し、料理を口に運んだ。


「ん! これは見た目と臭いの割に」


 アトスは目を輝かせた。


「意外といけるぞおろろろろ」


「きゃー!」


「ほらぁ! だから言っただろうがぁ!」


 テーブルは大騒ぎになり、四人は先ほど抱いた疑問のことなどすっかり忘れてしまった。




(第一章 完)


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