第7話 老魔法使いの秘密

「みんな、無事か」


 アトスの呼びかけに、パーティ全員から口々に無事を伝える声が返ってきた。


 明かりが灯る。


 ランタンを点けたのはウグレだった。アトスは全員の顔が光に浮かび上がっているのを確認して、ほっと息をつく。


 どうやら、最悪の事態だけは免れたようだ。


「くそ。あれだけの宝石を目の前にして」


 ウグレが悔しそうに自分の膝を叩いた。


「死ぬ気で罠を解除したってのに。あれ全部、どっかの誰かに取られちまうのか」


 その「どっかの誰か」というのは、これからこのダンジョンにやって来るであろうライバルパーティ“栄光の盾”である可能性が極めて高かった。


 ライバルのために御膳立てをしてしまったというあり得ない失態に、さすがのアトスも悄然としてかける言葉もなかった。


 イエマもエッジも、無言でうつむいている。

 その時だった。


「面白くなってきましたな」


 緊張感のない声に、全員が振り返る。


 声の主はヘルートだった。老魔法使いはローブの袖をさすりながら、穏やかに微笑んでいた。


「やはり何が起きるか分からないからこその冒険ですな」


 アトスたちは言葉もなくヘルートを見つめた。


「我々は冒険者。いよいよここからが本当の冒険ではないですか」


 皮肉を言っているわけではない。


 この老人は、心からそう思っているように見えた。


 先ほど、自分たちはこの老人の警告を無視した。


 その結果がこのざまだ。


 だから、ヘルートはそれをなじってもいいはずなのに。


 しかしこの魔法使いはそれを怒るどころか、むしろ楽しんでいるようではないか。


「どこに飛ばされたのかは分かりませんが、こうしてまだ全員が生きている。戻ることができればあの宝を手に入れるチャンスは十分にあるでしょう」


 ヘルートはそう言って、パーティのリーダーに顔を向ける。


「違いますかな、アトスさん」


「あ、ああ。ヘルートさんの言う通りだ」


 アトスも何とか気持ちを立て直す。


「もう罠は解除したんだ。戻ることさえできればあの財宝は俺たちのものだ」


「戻るったって、そもそも俺たちが今どこにいるのか分かんねえだろ……うっ」


 ランタンを掲げて室内を照らしたウグレが絶句する。


 それも無理はなかった。


 明かりに照らし出された部屋は、先ほどの広間とそう変わらない大きさの部屋だったが、ひどく荒らされていた。


 床一面に瓦礫とともに無数の骨が転がり、激しい戦いの痕跡が残っていた。


「……これは」


 アトスは床に屈みこみ、骨を手に取る。


「人骨だ。冒険者が何人もここで犠牲になったのか」


「邪法の力を感じるわ」


 同じように骨を手に取ったイエマが顔をしかめた。


「この骨、アンデッドの材料として使われていたんじゃないかな。スケルトンとか」


「こっちには魔獣の骨もあるぞ」


 エッジが剣で指したのは、大きな牙を持つ獣の頭骨だった。その両目の間辺りに、折れた剣が突き刺さったままになっている。


「この部屋は他の冒険者に荒らされた後ってことか」


 ウグレが言った。


「俺たちの前にもここに飛ばされた人間がこんなにもいたんだな。まあ、こんなでかい魔獣の相手をせずに済んだのは、運が良かった」


「ふうむ」


 周囲の骨をしげしげと眺めていたヘルートがローブの袖を撫でる。


「どうも、ここを荒らしたのは冒険者ではなさそうですぞ」


「あ?」


 ウグレが目を剥く。


「どういうことですか、ヘルートさん」


 アトスの問いに、ヘルートは骨を手にしたまま、答える。


「我々は先ほどの偽の棺の間で転移の魔法をかけられて、ここに飛ばされてきましたな」


「ええ」


「つまり、ここは盗掘者を処分するための部屋なのではないかと思うのですよ」


「……処分」


 気持ちのいい言葉ではなかった。イエマが気味悪そうに両腕をさする。


「王の眠りを妨げようとして偽の棺を開けた盗掘者は、転移の魔法をかけられてここに送られる仕組みになっていた。だから、この部屋には侵入者を始末して古き神々に捧げるための不死の兵士たちが用意されていたのでしょう」


「そうか。それでこんなに邪法の臭いのする人骨が」


 イエマが声を上げる。


「古代の魔法使いが作ったスケルトンの残骸ということね?」


「ええ」


 ヘルートはひとつ頷くと、床に散らばる無数の人骨を見た。


「それでは、このアンデッドどもを倒したのは誰でしょうなあ」


「そんなの決まってるだろ」


 ウグレがふてくされた声を上げる。


「俺たちより先にここに飛ばされた冒険者だ」


「冒険者、ですか」


 ヘルートは手で白い髭をしごいた。その目が鋭い光を帯びる。


「さっきのあの棺。あの周りにはまだあれだけ多くの罠が残っていたのに、ですかな?」


 ヘルートの目が、抜け目ない光を放っていた。


「それを苦労して全て解除したのは、ウグレさん、ほかならぬあんたじゃなかったかね」


「そ、それは」


 ウグレは言葉に詰まった。


 確かに、あれだけの数の罠を一切解除せずに祭壇の棺に辿り着くというのはほとんど人間業ではない。


 ましてや、棺の重い石の蓋はしっかりと閉ざされていたのだ。


「つまり、あの罠にかかった人間はおそらく儂らが初めてということでしょうな。当然、この部屋に飛ばされてきたのも」


「しかし、それでは」


 アトスが口を挟んだ。


「アンデッドの番兵どもは、誰が倒したというのです」


「こいつらですよ、リーダー殿」


「えっ?」


 ヘルートが指差したのは、魔獣の骨だった。


「古代王国の人々によってこの墳墓が作られた。その遥か後に、異界との穴が開いたせいで、ここはダンジョン化してしまった。そのときに湧き出した魔物が、壁を破ってこの部屋にも侵入したというわけです。そして、それを迎え撃つスケルトンとの間で戦いとなった」


「……そうか」


 アトスは周囲を見回す。改めて見れば、魔獣の骨は一つや二つではない。


 かつてここで、異界から現れた魔獣と古代人の作ったアンデッドとの恐ろしい戦いが繰り広げられたのだ。


「これだけ強力な魔物が複数いたってことは」


 ヘルートは言った。


「ここはおそらくダンジョンの核に近い場所ですぞ」


「なんてこった」


 ウグレがぼやく。


「宝を手に入れられねえばかりか、そんな深くまで飛ばされちまうなんて」


「そう嘆いたもんでもないでしょう」


 ヘルートは薄く笑う。


「もともとこの部屋は、出口のない密閉空間だったはずです。そして、そこで死んだ者もまたスケルトンの材料となる……はず、だったが」


 ヘルートが指差した壁の一角には、大きな穴が穿たれていた。


「ここがダンジョン化した際に、魔獣が開けた穴ってわけです。あそこから脱出ができそうですぞ」


「なんとか命だけは繋げそうってことか」


 安堵と失望の入り混じったため息をつくウグレの肩を、ヘルートが叩く。


 それは盗賊がよろけるほどの強さだった。


「何を言っとるんですか、ウグレさん。あんたの仕事はこれからでしょうが」


「へ?」


 ヘルートはウグレの手からランタンを奪うと、高く掲げた。


「ほれ」


 夜空に光る青い星々。


 一瞬、ウグレはそんな光景を幻視した。


 壁に埋め込まれた無数の青い石が、炎を反射してきらめいていた。


「こりゃあ……」


青藍輝石せいらんきせき。死霊術との相性が極めて良いので、死霊石しりょうせきとも呼ばれている鉱物ですな」


 ヘルートは言った。


「おそらくは古代の死霊術師たちが、スケルトンを操るために埋め込んだものでしょう」


「し、死霊石だと。貴重品じゃねえか」


 死霊石は四方の壁に無数に埋め込まれていた。ウグレは壁に縋りつく。


「これだけあれば、十万マグはくだらねえぞ」


「ヘルートさんが二百人雇える額じゃねえか!」


 エッジが歓声を上げる。


「すげえ!」


「よし、お前らも手伝え!」


 ウグレが道具袋から床にぶちまけたのみと木槌を手に、アトスとエッジも壁に飛びつき、死霊石を掘り出し始める。


 その様子に、イエマはほっと息をついた。


「よかった。みんな元気になったわ」


「ええ。報酬があると分かれば、人は頑張れるもんですからな」


 そう答えるヘルートがローブの左袖の中の何かを撫でていた。無意識のようにも見えるその動作が、イエマには気になった。


「ねえ、おじいちゃん。そこに何か入ってるの?」


「ああ、また触っておりましたか」


 老人はばつの悪い顔をすると、袖から何かを取り出した。


 こぶし大くらいの大きさで、布に包まれていた。


 ヘルートが布を剥がすと、それはランタンの炎を反射して妖しく煌めいた。


「きれい。宝石?」


 そう言ってから、イエマはすぐに自分の間違いに気付く。


「違う。……これ、氷だわ」


「ええ」


 ヘルートは頷く。


 老人が手にしているのは、恐ろしいほどに透明な氷の塊だった。


 見ているだけで凍り付きそうなほどの冷気を発していなければ、宝石と言われても信じてしまうほどの美しさだった。


「きれい」


「危ないですぞ」


 手を伸ばそうとしたイエマを、ヘルートが制止した。


「火蜥蜴草の繊維で編んだ布で包んでいてもなお、この冷気ですのでな。指で触れたら、皮くらいは簡単に剝げてしまいます」


 そう言われて、イエマは慌てて手を引っ込める。


 氷の表面には、水滴一つついていなかった。


 いくらダンジョンの中が涼しいとはいえ、全く溶ける気配がない。


 修道院で学んできたイエマには、その氷に思い当たるものがあった。


「これってもしかして、永久氷壁の氷?」


「よくご存じですな」


 ヘルートは頷く。


「その通りです」


「本当に? 本物なの?」


 イエマは目を見張る。


 永久氷壁の名は知っていたが、イエマも実際に見たことはなかった。


 ただ、知識として知っているだけだ。


 それは、魔物の中の魔物とも呼ばれる王龍のうちの一匹、氷王龍の生み出した、人の業では決して砕くことも溶かすこともできないと言われる北の果ての氷の壁のことだった。


 これが、その一部だというのか。


「初めて見たわ」


 イエマはまじまじと氷を見つめた。


「永久氷壁って実在するのね」


 魔物の王である氷王龍が生み出したという物騒な逸話と、目の前の氷の美しさとがうまく繋がらなかった。


 氷の中に、小さく折りたたんだ紙片のようなものが入っているのが見えた。


「何か入ってるわ」


「ええ」


「紙ね」


「そうですな」


 ヘルートは不意にはにかんだような笑顔を見せた。


「実は、この紙を取り出すために、こいつを溶かす方法を探しております」


「えっ、この紙を?」


 イエマは、透明な氷の中で、まるで宙に浮かんでいるようにも見えるその紙片を見つめた。


 永久氷壁の中に封じ込められているほどの危険なもの。これだけの力を持つ魔法使いが、不可能を可能にしようとしてまで求めているもの。


 この紙に書かれているのは恐ろしい魔法の秘伝か何かだろうか。


 それとも、世界を揺るがすような秘密だろうか。


「……この紙には、何が書かれてるの?」


 おそるおそるイエマが尋ねると、ヘルートは笑顔のままで首を振った。


「いやあ、人に言うほどのものでもないのですよ」


 そう言うと氷を布に包み直し、ローブの袖にしまい込んでしまう。


 やっぱり、言えないんだ。


 イエマもそれ以上のことは訊けなかった。


 ちょうど、そのときだった。


 夢中になって死霊石を壁から掘り出していたエッジが突然「うわっ」と声を上げた。


「なんだ、こりゃ」


 壁から、妙な液体が滲み出てきている。


「む」


 それを見たヘルートが顔色を変えた。


「それは、まさか」


「とにかく、あと少しだ」


 エッジがその液体を気にすることなく、再び鑿を壁に打ち込み始めた。


「いかん」


 ヘルートが叫ぶ。


「エッジさん、そこから離れなさい」


「あと少しなんだってば」


 エッジはひときわ大ぶりの死霊石に手をかけた。


「もう少しでこれが取れる。オリビアに楽をさせられる」


「おい、そのぬめりは」


 ウグレも異常に気付いて声を上げる。


「入り口で見たやつじゃねえか」


 液体は、もはや滲み出るというレベルを完全に超えていた。どぼどぼと壁から溢れ出して、床へと流れ落ちる。


「よせ、エッジ!」


 アトスも叫んだ。


 それに構わず、エッジが鑿を壁に打ち込む。大きな死霊石が壁から剝がれたその瞬間、不定形の何かが噴き出した。



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