第5話 オーガとトロル
「こっちだ!」
そう叫んだウグレが、先頭を駆ける。
彼の後ろを、アトスたち四人が続く。
狭い通路いっぱいに彼らを追ってくるのは、巨人族と見紛うばかりの巨躯の鬼、オーガだった。
こびり付いた血や臓物でひどく汚れた巨大な斧を振り回しながら、オーガは“燃える魂”のパーティを追ってくる。
そして、その隣には巨体の魔物がもう一匹。
「追いつかれるぞ、急げ!」
ウグレの声にも切迫感があった。
地下四階。
冒険者ギルドがここより下の情報を別料金にするだけのことはあって、この階はそれまでとはレベルが違った。
現れたのは、今まで何人もの冒険者を屠ってきたと思しきオーガの戦士。
それでもこのオーガ一体だけなら、パーティの連携を駆使すれば排除できないことはなかっただろう。
だが、そうするより先に、別の通路から新手が現れてしまった。
その魔物もまた厄介だった。
岩からそのまま切り出されたようなごつごつとした灰色の身体は、オーガよりもさらに一回り大きい。丸太のような棍棒を手にしたその魔物は、トロルだった。
無尽蔵の体力を誇る二体の魔物に挟み撃ちにされたら、いくら連携の取れた五人の冒険者とはいえ勝てるはずがない。
「おい、やべえぞ、アトス!」
真っ先に危険な状況を察したウグレが叫ぶ。
「どうする!?」
「とりあえず俺はオーガと戦う!」
そう叫んだのはエッジだ。勇敢に剣を構えて、オーガに飛びかからんとしていた。
それなら俺はトロルに。
反射的にそう考えたアトスを止めたのは、ヘルートだった。
「エッジさん、ここは狭い。退却の一手ですぞ」
その言葉でアトスも冷静になった。
確かに、狭い通路では壁が邪魔で敵の攻撃をよけることすら難しい。もっと広い場所なら、こちらの敏捷さを活かして相手を翻弄できる。
「そうだ、確かここに来る前に広間のようになった場所があったな」
「それならこっちだ!」
ウグレが先頭に立って走り出す。
「走れ!」
ランタンの炎が激しく揺れた。
逃げる五人を、二体の巨大な魔物が並ぶようにして追いかけてくる。
すでに足元は整備された石畳だけではなく、ごつごつとした岩肌も露出し始めていた。
いくらも走らないうちに、分かれ道に出た。その先の通路は今よりもさらに狭くなっているが、オーガやトロルも一体ずつなら通れる幅と高さだ。
どうせなら、こいつらが通れないくらい狭けりゃいいものを。
実にうまくできているダンジョンの構造を呪いながら、ウグレが右へ曲がろうとすると、ヘルートが声を上げた。
「そっちからは新手が来ますぞ!」
「ほんとかよ!」
ウグレは道の奥に目を向ける。彼の目には何も見えなかったが、老練な魔法使いには見えているのかもしれない。
こんなところで挟み撃ちにされたら絶望的だ。
「くそっ」
やむなくウグレは左の道を選ぶ。
「本当は右の方が広間に近いってのに」
こっちは遠回りになるが、魔物が来るなら仕方ない。
仲間たちもウグレに続いて左に曲がる。
「おじいちゃん、新手ってどこ!?」
「おや?」
イエマの問いに、ヘルートは眉間に皺を寄せてとぼけた声を出した。
「見間違いですかな、あれはただの岩か」
「じじいー!」
ウグレは歯噛みしたが、もう後の祭りだ。後ろからはトロルとオーガが追ってきている。今さら右の道には戻れない。
「くそ、遠回りさせやがって!」
「いや、申し訳ない」
ヘルートは相変わらず飄々と言う。
「この歳になると、目もぼやけるもので」
「ふざけんな!」
だが、しばらく走った後でウグレが背後を確認すると、いつの間にか追ってくる魔物との距離が開いていた。
なんだ?
一瞬疑問に思ったウグレだったが、すぐにその理由を理解した。
先ほどの分かれ道でトロルがオーガの前に出たからだった。
トロルとオーガなら、足が速いのはオーガだ。
巨体の魔物二体はこの狭い通路を並んで走ることはできない。
さっき、もしも右の通路を選んでいたら、そちらに近いオーガが先頭に立っただろうが、左を選んだので足の遅いトロルが先頭になった。
オーガは遅いトロルの後ろをついてくるしかない。
ウグレの推測を証明するように、トロルの背後でオーガが苛立った唸り声を上げた。
オーガが前に出ていたら、体力のないイエマは追いつかれていたかもしれねえ。このじいさん、まさかそこまで考えて。
ウグレは、ほとんど表情も変えずについてくる老人を見た。
……まさかな。
さっき、じいさんが自分で言った通りだ。老いぼれた目で岩か何かを魔物と間違えただけだ。偶然、それがいい方に転がったってだけの話だ。
「がんばれ、もう少しだ!」
アトスが叫ぶ。その声でウグレも走ることに集中した。
「こっちだ」
広間まであと少しというところで、足元のくぼみに足を取られたイエマが転倒した。
「きゃあっ」
「イエマ!」
振り向いて駆け寄ろうとするアトスを、ヘルートの鋭い声が制止した。
「リーダー殿はそのまま広間へ!」
ヘルートはイエマの脇に屈みこむと、背後から迫るトロルに向かって手を突き出す。
白いひげがもごもごと動き、むにゃむにゃと何かの呪文が唱えられる。
ついに、歴戦の老魔法使いがその実力を見せるときが来た。
爆炎か、暴風か。
足を止めたアトスはとっさに息を止め、襲って来るであろう衝撃に備えた。
次の瞬間、ヘルートの手から光が生まれた。
それは、明かりの魔法。ダンジョン探索時に松明代わりに通路を照らす、初歩の魔法だった。
「な」
当ての外れたアトスは、思わず落胆の声を上げる。
だが、迫っていたトロルが、手で顔を覆って後ずさった。
その後ろから走ってきたオーガが、トロルの背中にぶつかって怒りの叫びを上げる。
その隙にヘルートはイエマを助け起こしていた。
「イエマさん、走れますかな」
「う、うん」
イエマとヘルートが再び走り出し、五人はそのまま広間へと駆け込んだ。
「よし、散開!」
アトスの号令一下、五人はばらばらに散った。
遅れて入って来た二体の魔物は、戸惑ったようにきょろきょろと五人を見る。
トロルもオーガもすさまじい怪力の持ち主だが、決して賢い魔物ではない。
だから選択肢をいくつも与えられるとかえって混乱して、思考が停止してしまうのだ。
足を止めたトロルとオーガの頭に、ウグレがスリングショットで放った拳ほどの大きさの石がぶつかる。
怒りの声を上げた魔物たちの最初の標的は、この身軽な盗賊に決まった。
振り回される棍棒と斧を、広い空間を生かしたウグレがひらりひらりとかわす間に、二人の戦士が魔物の背後に回り込む。
イエマの護りの魔法が力を発揮してアトスとエッジの防御力を高め、ヘルートの手に再び明かりの魔法の光が現れるとトロルが身をよじった。
戦闘は熾烈を極めたが、勝ったのは冒険者たちだった。
ようやく動かなくなった二体の魔物を前に、五人は息を整え、お互いの状態を確かめ合う。
「そういえば、トロルは光が苦手でしたね」
イエマから傷の治療を受けながら、アトスはヘルートに声を掛けた。
強い光を嫌う魔物は数多いが、その中でもトロルは日の光を浴びたら石になってしまう特性を持つほどに、光を苦手としていた。
「まさか、明かりの魔法を足止めに使うとは」
「いやあ」
ヘルートは誇る様子もなく首を振る。
「儂みたいなじじいは、皆さんみたいに速くは走れませんからな。生き残るためにいろいろと頭を捻るもんです」
いや。
アトスは内心で首を振る。
ヘルートの足は速かった。
それもアトスが驚いた理由の一つだった。
ヘルートは戦士のアトスやエッジ、盗賊のウグレと遜色のない身のこなしを見せていた。
魔法使い離れしたその挙動は、明らかに特殊な訓練を受けた人のそれであろうと思われた。
一体何者なのだろう、とアトスは横目でヘルートの皺だらけの顔を見る。
ランタンの光で陰影の強調されたその顔は、まるで年経た巨木の幹のように神秘的だった。
契約金の破格の安さといい、謎の多い老人であることに間違いはない。
最小限の魔法で、最大限の成果を得る。先ほど、老人がやってみせたのはそれだ。
言うのは簡単だが、なかなか実際にできることではない。
さっきの場面、おそらくオリビアだったら大火球の魔法を敵に叩きこむことしか考えないだろう。
敵にダメージを与えられれば、それはそれで構わないのだが、大きな攻撃魔法というのはそう何度も使えるものではない。
それをヘルートは初歩の魔法だけで切り抜けてみせた。
この老魔法使いが強力な魔法を使ったら、果たしてどうなってしまうのか。
それが楽しみでもあり、少し怖いようでもあり。
何気なくヘルートを観察していたアトスは、この老人が時折、ローブの袖を気にするような仕草をすることに気付いた。
どうやら、袖の中に何かが入っているようだ。
この乱戦の中でこっそりと宝を独り占めする暇があったとも思えないが、それは何か大事なもののようだ。
この老魔法使いの秘密を握る何かだろうか。
「ヘルートさん、その袖の中には何が」
アトスがそう言いかけたときだった。
「おい、ここ見ろよ」
周囲の壁を探っていたウグレが、興奮した声を上げた。
トロルがでたらめに振り回した棍棒で、壁に亀裂が入ってしまっている。盗賊の鋭敏な目は、そこに財宝の匂いを嗅ぎつけていた。
「この奥に、隠し部屋があるぞ」
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