第4話 未知の領域へ
「落ち着け、エッジ!」
ダンジョンの通路にアトスの叫びが響くが、でたらめに剣を振り回すエッジには届いていない。
耳をつんざくような金切り声を上げて、吸血蝙蝠の群れが通り過ぎていく。
「護りの力を」
イエマがそう口にしながら素早く聖塩を撒いた。
エッジの身体を光が包み、それを嫌ったように蝙蝠の群れが散開する。
「本命が来ますぞ」
ヘルートが鋭く言った。
「でけえ!」
ウグレが驚きの声を上げる。
迫ってくるジャイアントバットは、先ほど倒した二匹の大蝙蝠の倍以上の大きさだった。
ほとんど通路を塞ぐかのように飛んでくる。その牙は、まるで短剣のようだった。
「くそっ」
イエマの神聖魔法のおかげでようやく吸血蝙蝠の群れをやり過ごしたエッジの顔や手には、無数の傷が付いていた。
「血を吸われた」
「集中しろ、エッジ」
アトスが立ち上がる。
「大物が来る」
そのとき、前衛の戦士二人の間をさっと何かが通り過ぎた。
それはウグレの投げたナイフだった。狙い違わず、ジャイアントバットの翼を貫く。
だが、それでもジャイアントバットの飛行速度は落ちなかった。
ナイフよりもなお鋭い牙を持つ口が大きく開かれると、ひときわ大きな鳴き声がアトスたちの耳をつんざいた。
「きゃあっ」
イエマが耳を押さえて悲鳴を上げる。
ジャイアントバットの叫び声には、敵の士気を挫く効果があるのだ。
しかし、それは元騎士として鍛えられた精神力を持つアトスとすっかり頭に血が上っているエッジには通用しなかった。
二人の剣を左右から同時に食らったジャイアントバットは、勢い余って後衛のイエマとヘルートの頭上を越えたところでべしゃりと床に落ちた。
屈みこんだままのヘルートの頭上を跳び越えたアトスがとどめの一撃をくわえ、動かなくなったことを確認してから、ようやく息を吐く。
「ふう」
「さすがですな」
ヘルートが身体を起こす。
「見事な連携だ。儂の魔法を飛ばす暇もなく、終わってしまいました」
「あなたの魔法は温存しておいてください」
アトスは微笑む。
「この程度の魔物相手に、使う必要はない」
「エッジ、今治療するから動かないでね」
素早く駆け寄ったイエマがエッジの傷に手をかざす。柔らかな光とともに、傷口が塞がっていく。
イエマは治癒神キベルに仕える神官だ。治癒の神聖魔法は彼女の最も得意とするところだった。
痛そうに顔をしかめていたエッジの表情は、すぐに和らいだ。
「ああ、もう大丈夫だ。ありがとよ、イエマ。後は舐めて治す」
「もう少し待ってよ」
イエマは手をかざしたままで言う。
「適当に治すと、すぐに傷口が開くから」
「イエマさんは腕がいいですな」
黙って治療の様子を見ていたヘルートが、アトスを振り返る。
「回復に無駄がないし、先ほどの護りの魔法も的確だった」
「ええ」
アトスは頷く。
「イエマはああ見えて、俺たちの中でも一番の腕利きです。実は育ちも一番いい」
「育ちも?」
「元は、貴族の令嬢です」
アトスは言った。
「嫁入り修行に修道院に入ったのですが、どういうわけかいつになっても結婚相手が見付からなかった。そうこうしているうちに、イエマは才能があったのであっという間に治癒神キベルの神聖魔法を身に付け、修道院を飛び出してしまったのです」
「それはそれは」
ヘルートは目を見張る。
「勇敢ですな」
「そういうわけで実家には帰れないのですが、本人としてはそれでいいと思っているらしく」
「ちょっと、アトス」
イエマが顔を上げてアトスを睨んだ。
「私の話ばっかりおじいちゃんにしないでよ」
「ああ、すまんすまん」
イエマはヘルートを見て微笑む。
「冒険者になるような人は、誰にだって事情があるものでしょ? きっとおじいちゃんにだっていろいろとあるんでしょ?」
「そうですな」
ヘルートは穏やかに頷く。
「何となくで選んで、生き残れるような甘い仕事ではないですからな」
「うん。私もそう思う」
イエマはヘルートの返答に満足したように頷いた。
治療が終わったエッジの肩を、アトスが叩く。
「興奮して状況を見誤ったな、エッジ。ヘルートさんの言う通り、ここで一度戦っておいてよかった。もっと下の階でさっきのようなミスをしていたら、命取りになるところだった」
「ああ、すまねえ」
エッジは神妙な顔で頷く。
「気を付けるよ」
「おうい、見ろよ」
一足先に通路の奥を覗きに行っていたウグレがはしゃいだ声を上げた。
「こいつら、光り物を貯めこんでやがった」
ウグレが掲げてみせたのは、小さな宝石の付いた装飾品だ。
「ネックレスと、こっちはアンクレットかな。こりゃめっけもんだぜ」
ウグレはすっかり上機嫌だ。
エッジのいきなりの負傷に重苦しいムードが漂いかけていたが、ジャイアントバットとの戦いで得るには十分すぎるほどの報酬に、パーティの雰囲気は一変する。
「やはり、アルケンのダンジョン」
アトスは言った。
「得られるものが他のダンジョンとは違う」
「どんどん行こうぜ」
ウグレが言った。
「“栄光の盾”の連中になんか、何一つ残しておくことはねえよ」
それから一行は冒険者ギルドで得た情報を頼りに、ダンジョンを地下へと進んだ。
地下二階で一度、地下三階で二度、大ネズミや大ミミズとの戦闘があったが、いずれも問題なく切り抜けた。
アトスとエッジの連携は冴え、イエマとウグレの援護も的確だった。ヘルートが何の魔法も使うことのないまま、地下四階へと降りる階段に辿り着いた。
「……まただ」
ウグレが階段にこびりついたぬめりを指差す。
「入り口の近くにあったてかりだ。ここにもあるぞ」
「ジャイアントスラッグではなさそうだな。ナメクジの化け物にしては行動範囲が広すぎる」
アトスが言った。
「アンデッド系だろうか」
「うーん」
いかにも嫌そうな顔でぬめりを観察したイエマは、やがて首を振った。
「違うと思う。邪法の力を感じないもの」
「そうか」
アトスは仲間たちを振り返る。
「ここから先は、俺たちにとっては未知の領域だ。とはいえ、危険を冒さずに得られる財宝などたかが知れている。要は」
「いよいよ本番ってことだな」
エッジが言った。
その目が、ランタンに照らされてぎらぎらと光っていた。
「こっからは命懸けだ」
「ああ、そうだ」
「地下二階と三階ではろくなものは手に入らなかった」
ウグレが言う。三度の戦闘で得たのは、数枚の銀貨に過ぎなかった。
「怪しい場所があったら、必ず俺に声をかけろよ。仕掛けがあったら、そこには宝があるってことだ」
「おう!」
エッジが吼えるように頷く。
意気上がるメンバーたちをよそに、ヘルートは屈みこんで床のぬめりをじっと観察していた。
「さあて、
誰に言うでもなく、ヘルートは小さな声で呟いた。
「思い出せんな。これと同じものを見たのは、果たして何年前のことだったか」
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