第3話 戦闘

 ダンジョンに足を踏み入れると、外の光はたちまち遠ざかった。


 ウグレがランタンに火をともすと、五人の冒険者の足元に、敷き詰められた石畳が照らし出される。


 そこに、ぬらぬらと光沢のある粘液のようなものがこびりついていた。


「ゴブリンじゃねえな」


 ウグレが屈みこんでそれを確かめる。


「このてかりは、ジャイアントトードかジャイアントスラッグあたりか」


「どちらも簡単な相手ではないが、ゴブリンの群れが棲みついてるよりはましか」


 アトスの言葉に、イエマが頷く。


「うん。私、汚いの嫌ー」


「ゴブリンは臭いですぐ分かるからな」


 ウグレも言う。


「あいつらの糞尿の山から宝物を捜すのはごめんだぜ」


「もしもジャイアントスラッグなら、弱点は火だ」


 アトスはそう言って、ヘルートを振り返る。


「ヘルートさん、そのときはお願いします」


「ああ、火ですか。火もいいでしょうな」


 まるで緊張感のない返事だったが、アトスはそれがこの老人の長年の経験から来る落ち着きだろうと考えた。


 ランタンに照らされた通路はいくつかに分岐していたが、いずれもその先は闇の中に消えている。


「地下三階までの構造は頭に入ってる」


 ウグレが自分のこめかみを叩く。


 存在を把握されたダンジョンのある程度の構造は、冒険者ギルドが情報を管理している。


 新たな道や隠し扉を見付けた際は、ギルドに報告すれば報奨金がもらえる制度もあるのだ。


 今回、ウグレは手数料を払って地下三階までの地図を事前に閲覧してきていた。


「どうせ浅い階のめぼしい宝は、前に来た冒険者に獲り尽くされてるんだ。さっさとその下まで下りちまおうぜ」


「それがいい」


 エッジが同意した。


「宝だよ、宝。なにせ俺達には金が要るんだから」


「私も賛成」


 イエマも両手を上げる。


「ジャイアントスラッグなんかと戦ったって、何にもいいことないもんね」


 だが、アトスはさすがにリーダーだけあって、掛かり気味の仲間たちをいさめた。


「ここは初めて来るダンジョンだ。いくら道が分かってるといっても、棲みついている魔物は常に入れ替わっているんだ。慎重に行こう」


「そんな悠長なこと言ってると、“栄光の盾”に追いつかれて、洗いざらい持ってかれちまうぞ」


 ウグレの口にしたライバルの名に、アトスの顔色がさっと変わる。


「あいつら、どうせギルドでたっぷりと情報をあさってから来るつもりなんだ。あいつらがでけえ面して、俺たちの知らねえ隠し通路かなんかを通って宝を持っていっちまうのを指をくわえて眺める羽目になるぞ」


「それはだめだ、許せん」


 アトスは言った。


「お前の言う通りだ。地下三階までは一気に行ってしまおう」


「それでこそリーダーだぜ」


 アトスを先頭にパーティが通路を歩き出そうとした時だった。


 最後尾のヘルートが緊張感のない声を上げた。


「アトスさん、一度この階で戦っておきませんかな」


「え?」


 アトスが振り向く。


「この階で、ですか?」


「はい」


「じいさん」


 ウグレが顔をしかめて両腕を広げる。


「俺たちのさっきの話、聞いてなかったのかよ。こんな浅い階にはもう何もねえんだ。さっさと通り過ぎて」


「宝も大事ですが、このダンジョンの魔物のレベルがまだ分かりませんからな」


 ヘルートは先ほどまでと変わらぬ落ち着いた口調で言った。


「ここに来るまでの道中でも、魔物に遭遇しなかったでしょう。一度、強くない相手と戦って、感触を掴んでおいてもいいのではないですかな」


「……なるほど」


 アトスは頷いた。


「確かに、ヘルートさんの言うことには一理ある。俺たちは新パーティになってまだ一度も戦闘を経験していない」


「魔法使いが入れ替わっただけじゃねえか」


 ウグレが言うが、アトスは首を振る。


「だとしてもだよ。こういうダンジョンでは、油断が即、死に繋がるからな」


「うーん、そうかもね。前回の冒険ってあんまり戦闘がなかったよね」


 イエマも曖昧な顔になる。


「私たちが最後にちゃんと戦ったのって結構前じゃない?」


「まあ、そりゃな」


 ウグレも渋々それを認める。


「まだオリビアの腹がそんなに大きくなかった頃だ」


「そうすると、三か月近く前じゃない?」


「かもなあ」


「俺は何でもいいよ。とにかく突っ立ったままのお喋りはやめようぜ」


 単細胞のエッジが、苛立ったように言う。


「“栄光の盾”が来る前に進むんだろ。こんなことを話してる時間が、一番もったいねえ」


「よし、リーダーの俺が決める」


 アトスが言った。


「一度この階で、調整のための戦闘をしておこう。ウグレ、魔物のいそうなところはどこだ」


「それなら、向こうだな」


 さすがにウグレも新人冒険者ではない。気持ちを切り替えて、通路のうちの一つを指差す。


「奥に、ジャイアントバットの巣があるんだ。どうせ、今でも残ってるぜ」


 ジャイアントバットは天井に張り付くという特殊な生態もあって、ゴブリンなどのほかの魔物が来てもそのまま共存していることが多いのだ。


 一行の最初の目的地は決まった。


 古代の王の地下墓所とはいえ、通路は狭く、並べるのはせいぜい三人が限度だ。


 前衛にアトスとエッジの、戦士二人。


 中衛に松明を持った盗賊のウグレ。


 後衛に神官のイエマと魔法使いのヘルート、という編成で、パーティは暗い通路を進んだ。


 やがて、ヘルートの隣でイエマが鼻を押さえた。


「臭い」


 動物の糞の臭いが強くなっていた。


 道の先から甲高い獣の鳴き声が聞こえてくる。


「近いな」


 そのとき、不意に鳴き声が大きくなった。


「来るぞ」


 アトスが叫んで剣を構えた。


「最初の一撃で叩き落とせ」


「おう」


 エッジが呼応する。


 ばさり、と大きな黒い布のようなものが宙を舞ってきた。


 ランタンの火に、赤い小さな目が反射して光る。


 巨大な蝙蝠だった。それが、二匹。


 ウグレがタイミングよく、ランタンを頭上高く掲げた。


 その光に怯んだように、二匹の大蝙蝠の軌道が蛇行する。


 それは、二人の戦士にとっては格好の的だった。


 アトスとエッジの剣が閃き、大蝙蝠の細い胴体が切り裂かれた。


 絡まり合うようにして地面に落ちた二匹のジャイアントバットは、すぐに動かなくなった。


「よし」


 エッジが興奮した声を上げる。


「調子いいぜ」


「ああ」


 アトスも頷いて老魔法使いを振り返る。


「ヘルートさん、あなたの魔法に頼るまでもなかった」


「いやいや。素晴らしい腕前でした」


 ヘルートは感心したように頷く。


「ジャイアントバットをわずか一撃とは。これなら何の心配もいりませんな」


 そのとき、再び通路の奥から蝙蝠の鳴き声が聞こえてきた。


 今度は、さっきよりも数が多い。


「まだ来るか」


 エッジが舌なめずりして剣を構える。


「何匹来ようが一緒だぜ」


「気を抜くなよ、エッジ」


 そう言いながら、アトスは自らも再び剣を構えた。


「ウグレ、討ち漏らしたのは頼む」


「ああ」


 ウグレはすでに数本の細い投げナイフを手にしていた。


 蝙蝠の鳴き声が大きくなる。


「来るぞ」


「いや」


 最後尾のヘルートが、落ち着いた声で言った。


「まだですな」


「は?」


 ウグレが苛立った声を上げる。


「まだって何だ」


「伏せてやり過ごしましょう」


 そう言うとヘルートはさっさと身を低くする。


 その言葉の意味に、最初に気付いたのはアトスだった。


「そういうことか」


 アトスも素早く地面に蹲ると、仲間に手を振る。


「みんなも伏せろ」


「ああ、なるほど」


「そっか」


 ウグレとイエマも遅ればせながらしゃがみこんだが、剣を構えたままのエッジは怒鳴った。


「何やってんだ、お前ら。最初の一撃が肝心だろうが!」


「違う、エッジ!」


 アトスが叫び返す。


「お前も伏せろ!」


 だが、もう間に合わなかった。


 飛来してきたのは無数の小さな蝙蝠だった。通路いっぱいを覆うようにして突っ込んでくる。


「でかいのは、こいつらの後から来ますぞ」


 ヘルートが言った。


「うおおっ!」


 数え切れないほどの蝙蝠にぶつかられたエッジが、でたらめに剣を振り回す。


 大きくはないが、こいつらもただの蝙蝠ではない。ヴァンパイアバット、すなわち吸血蝙蝠なのだ。


「いてえ! くそ、噛まれた!」


「落ち着け、エッジ!」


 アトスが叫ぶ。吸血蝙蝠の群れの背後から、大きな羽ばたき音が迫ってきていた。



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