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粗さがしから全肯定まで・批評あれこれへの応援コメント
こんばんは。
実は、先日、自分が既読の朝吹さんのご著作が注目の作品にいらしたので、ちょうどよいから『カリンカの花』を拝読しよう!と思いましたらこちらが投稿されていて、拝読いたしました。
拝読し、素晴らしいなあと❤たちを入れさせて頂きまして、感想をと、本日、また戻って参りました。
自分自身がカクヨムという場所をじっくりと落ち着いて見ることができるようになったからなのか、とてもお若い方もいらっしゃることに最近気づきまして、求められてもいないのに「執筆経験が長い」人が批評家気取りで「批評してあげる」ということをしていないといいなあと勝手に心配しておりましたので、朝吹さんのこのご著作をたいへん興味深く拝読いたしました。
(そういう方を見かけたとかではございませんので、その点はご安心下さい)
昭和から平成初期によく見かけました「文章を書いているくせに『考えるヒント』も読んでいないの?」という自称批評家たちを思い出しました。そういう人間は『考へるヒント』と言っていそうですね。
長文を失礼いたしました。
朝吹さんのところに伺って、感想を書かせて頂くことはいつもとても嬉しいことでございます。
ありがとうございました。
作者からの返信
豆ははこさん
こちらにもありがとうございます~。
TOPの注目の作品、他の人のものはよく見るのに自分のものは見たことがほとんどないんです。
タイミングなのでしょうね~。
星が入ると一週間くらいはランダムで載るんでしたっけ。
人はアドバイスをしたい生き物なので、「もっとこうしたほうが!」と何かと云いたいですよね。
わたしはそのケが少ない方なのですが、最近「ああ~これもったいない~」そんな作品に出会ってしまって、まさに、「こうしたほうが」と口出ししたい気持ちを抑えるのに苦労しました(笑)
そんな時は、同じ作品を他の人に見せたらその人たちもそれぞれ「~したほうが」と、わたしとはまた別の意見があるんだろうと、考え直すようにしています。
口出しなんて、よく考えないと、結局はわたしの好みの作品にしたいだけですからね。
意見を求められた時も、その人の作風や書きたいものをよくよく汲み取った上でアドバイスが出来る人でないと、押しつけになってしまいます。
人を育てるのも才能ですから、その才能がないのならば、やらないほうがよほどいいです。
中学生さんいますよね~。
いいな~。
わたしも中学生の頃にこんなサイトがあったら入り浸っていたでしょうね~。
そして何か盛大に勘違いしたまま、自分のことを書ける人だと想っていたかもしれません(笑)
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粗さがしから全肯定まで・批評あれこれへの応援コメント
文章にはレベルがあります。これは好みの問題ではないです。レベルは文体・思想・芸術性等様々な視点から総合判断されるものです(ジャンルによるのでライトノベル等はまた違う観点からでしょう)。
批評する人は難解とされる本も読みこなし、何が素晴らしいのかを理解しておく必要があると思います。
もし、カクヨムに優れた批評家という者がいるなら、書き手のレベルを瞬時に理解し、今その書き手に必要な範囲の事に言及するのではないかと思います。
ただそれでさえも、他の優れた批評家と意見が異なる場合があるので、色々な意見を仰げるなら仰いだ方が良いというのは同意です。
また、これは稀な事ですが、その書き手の才能が斬新であるがゆえに批評家にはその価値が分からないというケースもありますよね。だから、人の意見はそれはそれとして自分を信じ自分の道を進む事が大切かなと思います。
素敵な評論をありがとうございました。
※追記
あ、上の文章のレベルとは、まさに「巧いだけではダメ」という意味です。
発見や感動を与えられるかという意味で、中身の部分(感性や思想、芸術性等)ですね。
「こんな言い方でそれを表現するか!」という点では文章力にも含まれますが。
これは仰る通りに自分なりに試行錯誤するしかなく、そこが1番面白い点ですよね。
作者からの返信
葵 春香さん
あ、連載、更新されておられますね~♡ 後ほどうかがいます。
カクヨムの批評は、先生役に採点と感想を頼む。そんな感じですよね。
ぜんぜんこれでいいです。
批評したくてしたくて堪らない、そんな方がやることなので、見かける度に「返答の熱量がすごい」と感心しています。
拙作「天井桟敷より」にほぼ云いたいことを書いてあるのですけれど、
https://kakuyomu.jp/works/16817330652565100373
文章は、ある程度からはもうみんな巧くて、あとはそれを自作における表現としてどれだけ磨いていくかになるのですが、文句のつけようもない文章を書く人が必ずしも良い小説の書き手ではないんですよねー。
ただ表面的にはすごく整っているので、下手とは云えないし、一応小説っぽくはなっている。
こういうのは、批評もしにくいでしょうね。
「うん、文章は巧いけど……(もごもご)」
これが一番曲者だと想っています。
惹きつけられる作品と、そうでないもの。
好みもありましょうが、この差をつけるものは、意外と文章力はそこまで関係なかったりします。
文章が巧いものは、「文章が巧いなぁ」で終わりですから。
※それだけでも魅力があるといえばあります。
最近、柊圭介さんがエッセイでモネの「印象・日の出」について触れておられましたよね。
当時はボロカス云われるものだったんですよね~。
キュビズムとかもそうですよね。
学芸員の人とオフでお話しした時に「正直、なんでこんな作品が美術館にあるんだろうと想うようなものある」と云っていました。当時はそれが受けていたんですが、流行であり、芸術の観点からみても何の価値もないと。
見る眼を養うには沢山の作品に触れてみないといけませんね。
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粗さがしから全肯定まで・批評あれこれへの応援コメント
赤い花の季節感まで描写する必要があるのかなって思います
読んだ人がいろいろ想像できる余地がある方がいいかなって(*´ 艸`)
むしろその世界にはあるけど現実には無い
それでもいいと思います
描写が細かいと確かに情景浮かびやすいですんけど🍀*゜
長くなりすぎたので以下削除しました
確認済でしたら失礼致しました🙇♀️🙇♀️
作者からの返信
@rnariboseさん
基本的に赤入れする人は、赤を入れないと死ぬ病気にかかっているので、どうでもええがなそんなん分かるがなっていうところまで細かく赤入ったりします。
犬が出てきたら、「何歳くらいの犬でオスですかメスですか」とかね……。つっこみ芸なのかな? というくらい。
わたしは、「小説においてはいくら描写しても限界があるのだから、描写は最低限であるほうがよい」こちらの考えの支持者で、そちら派のわりには自分で書く時には細々書いたりもするんですけど、最低限の描写で、読者の想像に委ねるほうがいいと想っています。
どんなに描写したって作者の脳内映像とぴったり同じものを読者は想い浮べていませんから。
だいたいのあたりで十分なんです。
でも最近はなぜか、詳細な描写があるほうがいいみたいな流れになっていて、散々「説明が足りない」「これでは読者が分からない」と編集さんから説明を書き加えることを延々やらされてせっかくデビューしたのに一冊だけでぽしゃった人の話なんかをきくと、
いやいやいや。
それ違うし。
と想ってしまいます。
童話まで落とせとはいいませんが、意外と人間、最小の描写や説明でも、物分かりよくちゃんと読めますよね。
粗さがしから全肯定まで・批評あれこれへの応援コメント
カクヨムは批評と言う名目で自分の話を聞いて欲しい人と批評して下さいと言う名目で星ください批判は要りませんついでに褒めてくださいの人で溢れていて気がつくと自分もいつの間にかそうなっていそうな予感がするので気をつけたいです。
いや……自分もとっくに、その一人になっているのかもしれません。
作者からの返信
海猫ほたるさん
これは、多少は分かります。
批評企画に出せば、兎にも角にも主催者だけはしっかり読んでくれますから。
読者が少ない人にとっては、「誰でもいいから作品を読んで欲しい……!」そんな切実な駆け込み寺に見えるのも仕方がないかなと。
批評企画をやっている人の、返答スタイルも色々ですよね。
褒める系なら簡単なのかといえば、まったくそうではなく、他の批評と同じようにどれだけ真剣に読み、どれだけ真剣に褒められるかに相当な頭を使います。
自分の好みの作品ばかりが来るとは限りませんからね~。
辛口系は、夜道で刺されそうなほど恨まれてそうなのに、まったく揺らぐことなく辛口スタイルを続けていらして、それはそれで立派だなぁと。
いずれにせよ、文章が上手だとお得ですよね(笑)
企画にエントリーした作品がみな、高水準で文章力が揃っていたら、それぞれに対してどんな批評になるのでしょうね。
粗さがしから全肯定まで・批評あれこれへの応援コメント
>カクヨムでは文章の水準が高いとおおむね高評価になりがちですが、中身ではなく文章力だけでワンステージ上がってしまうというのは実はひじょうにまずいです。
鋭い指摘だと思いました。
朝吹さんの数ある創作論において、本作が一番朝吹さんの言いたいことに触れることができたような気がいたしました。とてもためになりました。(単にわたしの理解力が悪いだけで失礼な事を言っているかもしれません)。
作者からの返信
犀川ようさん
手癖と書きましたが、何か他にいい云い方ないでしょうか~。
ピアノにたとえて、文章が巧いというのは譜面どおりに弾けることと云ったらよいのかな?
熟練者は難易度の高い曲でもさらさらと片手間に弾けるでしょうし、練習を重ねた人ならばある程度までは誰でも譜面どおりに音を出すことが出来るのですが、それだけでは誰が奏でても同じです。
文章達者になるのは一番最後でよい。書きたいことをしっかり書く方が優先です。
・手癖で書いているかのようでいて違う。
・文章慣れして手癖で書いている。
これは書いている本人にしか分からないことでしょうから、誰かの作品をみて「手癖で書いている」と勝手に判断するのは違います。
(気が抜けたようなものには云いたくなる時もありますが)
ぱっと見は巧くとも、いまいち心に何も残らないツル―ッとした文章。
これにならないように、おそらく多くの人は文章が巧くなるにつれて、同時進行でそこにも十分に気を付けているのではないでしょうか。
粗さがしから全肯定まで・批評あれこれへの応援コメント
具体的な批評の例をなるほどと思いつつ楽しく拝見させて頂きました。
確かにこれは批評ですね。
懐かしい現代文の授業を思い出しました。
自分の書いた作品にこういう感想が書かれていたら、びっくりと同時にとても嬉しいと思います。
丁寧に作品と向き合って頂いているんだなと。
カクヨムに来てからまだそこまで経っていないのでまだ批評家さんにお会いしたことはないのですが、全般的に文章力が高い書き手さんが多いからこその存在かも知れませんね。
面白かったです!
朝吹さん、ありがとうございました。
作者からの返信
未来屋 環さん
批評は人によって色々なので、自分にフィットするものを選ぶ方がいいかなぁ~と。
今後、何かの批評企画に出して、思いがけないことを云われても、あまり気にすることはありませんよ~。
これはその通りだ。
そんな、自分で納得するところだけを美味しく頂いちゃいましょう。
あとわたしの信条として幾ら辛口批評であっても、書く人のやる気まで完膚なきまでに潰すような批評は、あまり感心しません。
「そうか~。でもよく見てくれているな。また新しい作品で挑戦してみたいな。この人にまた見てもらいたいな」
そんな気持ちを起こさせてくれる人の方がいいかなと。
沢山の批評を回るうちに、だんだん麻痺してきて、何を云われても平気になってしまったりしますが(笑)、あくまでも利用する側が「何が有益な意見がもらえるといいな~」という心持で利用するものです。
批評した、たった一人の意見が正解でもないし、全てでもないので、参考までにして下さいね。
大切なのは自分の書きたいものを書くことであって、批評家にいい評価をもらうことではありませんから。
こちらこそ、ありがとうございました。