第6話 逃避行 2

 確かに昔よりは体重が増えた自覚はある。

 故郷にいた頃は、リドリーを引き取った叔父夫婦が食事を用意してくれなかったりと意地悪をするので、かなり軽かった。


 その反動で、学院の寮に入ってからは何一つ残さず食べた。時には減量にいそしむ学友の分まで食べた。

 よって体重は確実に増えている。だけど、適正値ぐらいだと思っていたのに、異性に『重い』と宣言されてしまったこの屈辱……。


 再び歩み始めた少年の頭をリドリーは恨めしい気持ちで見た。

 リドリー達はゆっくりと川岸から離れ始める。

 そして先導するかのように、黒猫も二人の先へと走っては振り返った。


「おまえもあいつらに追われているのか? それともこいつが気になるからか?」


 黒猫は答えず、再び道の先へ駆けていってこちらを振り返る。ついてこいというように。

 少年はややあってから猫の後をおいかけた。


 彼は隆起した木の根がうねる坂道を登っていった。

 何度かリドリーの足が木の根にひっかかったが、支えられているので転ぶことはなかった。低い崖の縁を歩いていると、どこからか枯れ葉や草を踏みしめるような音が聞こえてくる。


 少年もリドリーと同時に気づいたようで、その場で立ち止まり、すばやくあたりに視線をめぐらせた。

 それを受けたように、黒猫が少し先で低木の枝葉に隠れたくぼみを見つける。そこへ少年は移動し、リドリーを下ろしてくれた。そこは以外に広く、三人くらいは並んで眠れそうな場所だ。


 足が萎えていたリドリーは、座り込んで耳を澄ます。

 一定の拍子で枯葉を踏んでいる。間違いなく人が歩いている音だ。


 少年は窪みの縁に寄って、じっと外をうかがっていた。彼はリドリーに危害を加える気はなくなったようだが、何かから逃げているらしい。

 わからないなりに少年を怒らせてはまずいと思って、リドリーは自分も声を出さずに息を潜めていた。

 やがて足音は遠ざかり、完全に聞こえなくなると少年がふっと息をつく。


「助かった」


 少年が礼を言ったのは、彼の足元にいた黒猫に対してだった。

 黒猫は返事をするわけでもなく、顔を洗ったりと毛づくろいをし始める。


「変な奴だな。分身を持つ猫も珍しい。おまえも、あいつらの『儀式』で契約をしたのか? そうだとしたら、あの男の仲間に懐くはずないんだが……」


「あの男って?」


 返事をするはずもない黒猫の代わりに尋ねると、少年はようやくリドリーに視線を向けてくれた。

 彼の柔和な面立ちは、やはり自分とそう年がかわらないように思える。ただ、同じ十六歳にしては、成長の遅い男の子かもしれない。


 背丈もそうだが、やせぎすな体格から、あまり栄養状態の良い生活をしていないのではないかと感じた。緑の瞳は露に濡れた森のように深い色だ。もうそこに敵意は感じられない。


「お前には聞きたいことがある」


 抑揚のない声で言われ、リドリーは再び彼から逃げ出したくなる。が、暴れても絶対に勝てないことだけはわかっている。だからリドリーは腹を据えて言い返した。


「お前じゃないわ。私の名前はリドリー。あなたは?」


 彼は意外と素直に答えた。


「ハルディス」


「わかったわハルディス。助けてくれたみたいだし、答えられる限りのことは話す」


 ハルディスはうなずくと単刀直入に尋ねた。


「お前はあいつらの仲間なのか?」


「仲間って、一体誰と?」


「カール・メクレンブルク」


 名前を聞いたリドリーは、驚きのあまりめいっぱいに目を見開いた。


「カール先輩? なんで?」


 ハルディスは眉をしかめてみせた。


「本当に、お前は王都のレンルート学院の生徒で、たまたま奴と一緒に行動していただけなのか? あそこの生徒なら、お前も貴族なんだろう?」


 貴族という事が、彼が『仲間』だと認識する条件なんだろうか。それ以前に、どうして王都にある学院の名前を知っているのだろう。いや、今は彼の誤解を解くのが先だとリドリーは思い直す。


「私は……正確には、今は貴族じゃないわ」


「ではなぜ女なのに学院へ?」


 疑問に思うのはもっともだ。

 貴族ならば夫の代理として領地を治める時のために、知識を得ることが奨励されている。

 ただし専門知識を持ちすぎると結婚相手として敬遠されてしまうため、ほんの二年ほど在籍して基本教科を修了次第、卒業するのだ。

 貴族以外はその傾向がより顕著だ。地主や商家ならば、学校へ行ったというだけで結婚相手として倦厭されてしまう。


 だけどリドリーは違う。自分で願って入学したわけではない。リドリーはどうあっても学業を極めて、自分で自分を養わなければならないのだ。家には戻れないのだから。


「私は、やっかい払いされたのよ」


 本当の事を話すのは、リドリーにとっても苦しいことだった。同級生にも、ずっと嘘を話していた。

 どうしても勉強したくて、頼み込んで入学したの。

 通いやすいよう寮に入ったのよ、と。


「私、八歳の時に両親を亡くしたの。二人とも物取りに襲われて死んだわ。私は、父が持っていた土地や家を継いだ叔父に引き取られたけれど、やっぱり自分の娘じゃないから……。養女という形にもされず、主家の娘から格下げされた立場のまま……」


「追い出したいが、対面は保ちたいからと、学院に入れられたのか」


 リドリーは小さくうなずいた。

 叔父一家はリドリーが邪魔だったのだ。

 領地を継ぐ条件として、親族がリドリーの扶養を義務づけたから引き取っただけだ。

 彼らはリドリーを養女にする手続きをしないまま、自分たちが主家となった。

 だからリドリーは、前当主の娘ではあるけれど、現在の当主の娘ではないので、貴族の一員からは外れてしまった。


 当主の座を手に入れたのだから、叔父たちはリドリーがこのまま死んでしまっても、心配すらしないだろう。

 ひとりぼっちのリドリーは、自分で自分の身を守るしかないのだ。


「だから、私は学院の寮に住んでる」


 きっぱりと言い切ると、リドリーを見降ろしていたハルディスがついと視線をそらす。

 嘘をついていると思われたのだろうか?

 視線をそらされたことが気になったが、どうしようもない。これがリドリーの真実だ。


 不意に、地面についた手にやわらかな毛皮が触れ、くすぐったくてリドリーは声を上げた。見れば、黒猫がまとわりついていた。リドリーは思わず微笑みをこぼす。

 なんだろう。

 自分を慰めようとしてくれているのだろうか。


「ありがと」


 首元をなでると、猫は得意げな表情をしてみせる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る