第5話 大臣令息、パトリック。

 いつものティーセットとは別に、包み紙がテーブルの上に。


『それは一体』

「あ、クッキーをと、焼かせて頂いたんですが」


『君が』

「はい、不器用ですので何度も練習してしまい、すっかり使用人にまで飽きられてしまい。あ、もし、お口に合わないようでしたら直ぐにも遠慮無く破棄して頂ければと。はい」


『ココで食べても良いんだろうか』

「あ、ご無理なさらないで下さい、食事管理をなされているでしょうし。色々と有るでしょうから」


『いや、問題無いよ』


 どうして彼女は驚き、困惑しているのだろうか。


「あの、甘味をお好きかどうか伺うべきだったのですが」

『あぁ、好き、だけれど』


「あ、そうなのですね。ですが何か有っては困りますので、毒味役などに精査して頂いてからで、お願い致します」


『あぁ、分かった』

「それに、どうか期待なさらないで下さい、所詮は素人の手作りですから」


 どこからか僕が甘味は好きでは無い、などと偽情報を仕入れてしまったんだろうか。

 明らかに困惑し、戸惑っている。


 けれど、なら、どうしてクッキーを焼いたんだろうか。


『どうして、コレを』


「してみたかったんです、料理を、ただ専門家になろうとも思っていませんので。はい」


 彼女の表情が、思いが良く分からない。

 何を気にしている表情なんだろうか。


『君は、何を気にしているんだろうか』


「その、皇妃に相応しく無い事を敢えてしているつもりは無いのですが、そう疑われてしまったらどう弁解すべきか考えていませんでしたので。はい」


 僕に失望されることを。

 いや、不興を買う事を忌避したいが為、困惑しているに過ぎない。


 彼女は、本当に僕の妻になりたがってはいない。

 なれる筈が、その資質が有るにも関わらず彼女は。


『僕の、何が気に入らないんだろうか』


 僕は、今までヴィクトリアに失礼な事はしなかった筈だ。

 確かに会話は途切れがちに、なるのは。


 僕がこうして癇癪を起こすからだ。


「いえ、あの」

『すまない、言い方が悪かった』


「あの、大変、心苦しいのですが」

『言ってくれ、善処する』


「殿下がそうだとは思わないのですが。私が、最近になり悩まされる悪夢に出る、死神に、殿下がそっくりでらっしゃるんです」


『死神が、僕の顔を』

「はい、候補入りして以降の事ですので、プレッシャーから悪夢を見ているのだろうと言われているのですが。とても生々しいのです、そして私はあまりにも理不尽に殺されてしまう、ですのでどうしても殿下に受け入れて頂けるとは思えないのです」


『もっと聞かせてくれないか、その悪夢について、詳しく』

「その、私としては内容についても非常に不本意ですし、不愉快になるかと」


『構わない、君の事を聞かせて欲しい』


「分かりました」


 それは悍ましくも、不条理で理不尽な悪夢だった。


 その死神は様々な者の顔を借り、彼女に様々な言葉を齎す。

 政務に関する事以外は学ぶな、皇妃として必要な事以外はするな、刺繍や料理などもってのほかだと。


 そして場面が変わり、僕との結婚後へ。


 そこでも死神は相変わらず存在し、果ては僕が死神に操られ、他の女に手を出す。

 自分を抱こうともしなかった者が、他の女には進んで手を出した。


 そして遂には全てを乗っ取られ、彼女を襲う。

 だが意識を取り戻した僕は。


『僕が、処刑を』

「はい、何も覚えてらっしゃらないので、はい」


『僕が、その様になる、と』

「いえ、ですが恋は人を盲目にしてしまうそうなので、それに来訪者様は大変魅力的な容姿で現れるそうですから。私は、全く相手にされませんでしたので、私が悪いのだと思います。私には相応しく無いのだと、私が私へ、警告しているのかと」


 僕は、そんなにも愚かだと思われていたのか。




『そうか』

「どうか、決して殿下では無く私に問題が有るとご理解下さい、こんな悪夢如きに左右される愚か者なのだと。殿下は賢明でらっしゃいます、どうか私の様な者に関わらず、お体をご自愛下さい」


『僕は、体は弱くは無いんだが』

「ですが眠らず常に忙しければお体に障ります、今は何も無くても、いつか出るかも知れませんので」


『そんなに疲れた顔をしているんだろうか』

「いえ、全く、ですが私の見えない知らない所でお忙しくしてらっしゃるかも知れないと。すみませ、出過ぎた事を申しました」


『僕を、本当に心配してくれるのなら、君が支えれば済むんじゃないだろうか』


 私は、以前もそう頑張ったのですが、ダメだったんです殿下。

 殿下は私に笑顔を向けず、常に厳しいお顔をしてらっしゃった、なのに来訪者様には笑顔を。


 殿下は私ではダメだったんです。


「例え、今はこうして興味を抱いて頂けても、人は成長と共に変わるそうです。しかも既に私は皇妃たる行動から逸脱を繰り返しております、その特異さに惹かれたとしても、成長後に結局は落ち着いてしまうかも知れません。だからこそ、後悔して頂きたく無いのです、無駄な時間を過ごしてしまったと。時間は、とても貴重なモノですから」


『僕は、君に請われる者になれてこそ、皇帝の資質に見合う者になれるのだろうと思う。君に振り向て貰える様に努力する、だから暫くは友人であり婚約者候補として居て欲しい』


 パトリック様に言われた通りにしたのに、どうして。


 いえ、きっと今はムキになっているだけ。

 まだ幼いんですから、仕方が無い。


「では殿下、私に言われずとも勿論されるとは思いますが、どうか他の方と私をしっかり見比べ吟味して下さいますね?」


『ぁあ、勿論だ』

「それから、私は悪夢に悩まされ人生を考え直しただけ。いつ他の方にもそうした機会が訪れるか分かりませんから、どうか長い目で、私とて走り回り転けるなどの幼稚な部分が未だに多く御座いますから」


『あぁ、そうだな』

「では、お時間も他の方と揃えられるでしょうから、そろそろ」


『あぁ』


 ご納得頂けましたなら幸いです。

 どうやらココは天国では無さそうなので、本当に真剣に考えなければなりませんね。


 私の、死の回避方法を。




『ダメだったか』

「はぃ」


 今まで追い掛けもしなかったアレが、逃げられるとなったら追う側になるとは。


 もう少し俺は、何か出来たのかも知れない。

 こうして幼少期からヴィクトリアを支えていれば、それこそ以前の職や役目に拘らず、遠くからでも支える方法を。


 いや、それは結果論だ、俺に出来る事は何かと散々に考えた上でダメだったんだ。


 アレを見て役職を手放すなど、考えられなかった。

 無実の皇妃が処刑される様を、腹から出たのは自らの子だったと知った皇帝の様を、国が蹂躙される様を見て。


 宰相として請われた俺が皇妃と幼少期から関わるなど、家臣としてはあるまじき行為だ、と。


 宰相としての俺を放棄しない限り、そうした考えは俺には出なかった。

 現に俺は、今やっと、役割への拘りを捨てた有用性を見い出せたのだから。


『本気で、皇妃になる気は無いか』


「私は死にたくは無いのですが」

『死なないで皇妃になる方法が有ったとしても、か』


「はい、私には力不足です。貴族同士の結婚ですらも全く情愛が無い、などと言う事は無いそうですし、幸せに、愛される人生を歩んでみたいんです。たった1度の人生ですから」


 俺は、何度も繰り返し麻痺していたのだろう。

 幸せだ愛だ、本来なら人が得ようとして当たり前の事を、俺は考えようともしなかった。


 最悪は、国が滅んでも民は生きられる。

 もし、彼女が単なる民なら、彼女は生きられる筈。


 幸せに、愛される人生を歩めるかも知れない。


 国の為に彼女を犠牲にするより、せめて今回だけでも、彼女の幸せに助力すべきかも知れない。

 アレより、遥かに善人なのだから。


『分かった、更に本格的に諦めさせる作戦を立てるか』

「はい、ありがとうございます」

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