第3話 皇太子侍従、セバスチャン。

『大丈夫ですか、ヴィクトリア嬢』


 彼女は見た事も無い笑顔で走り回っていたかと思うと、躓き転んでしまった。

 だと言うのに。


「ふふふ、大丈夫よパトリック様、ごめんなさい不器用で、ふふふふ」


 以前の彼女も、同じ様に謝っていた。

 他の子女に刺繍を揶揄られた時も、学ぶ必要が無いと言われ稚拙な刺繍しか出来無い事を言わず、寧ろ申し訳無さを滲ませていた。


 政務でミスが有った時も言い訳をせず、不器用で申し訳無い、と。

 全て殿下や他の者の指示で動いていただけだと言うのに、彼女は嫌な顔一つせずに謝っていた。


 けれど、その時とは違う。


 本当に彼女は嬉しそうに笑っている。

 初めて見るかも知れない、こんなにも楽しそうな彼女の笑顔を。


『念の為に、侍女に怪我が無いか確認させて下さい』

「そうね、ありがとう」


 彼女にも以前の記憶が有るのかどうか、分からない。


 けれど。

 どうやら今の彼女は幸せらしい、以前よりもずっと。




《お怪我が無くてホッとしました、あんなに勢い良く》

「ふふふ、私も驚いたわ、あんなに容易く転がってしまうなんて。ふふふふ」


 私は、大罪を犯していたのだと、改めて実感させられました。


 こんなにも楽しそうなお嬢様を見た事が無い。

 私はお嬢様の幸せを奪い、あまつさえ死に追いやってしまった。


 あの皇帝にさえ嫁がせなければ、その考えは間違いだった。

 私こそがお嬢様の幸せを奪ってしまった。


 ぁあ、だからこそ死を選んだのですね、セバスチャン様は。


 今の私と同じ様に思い、考え、自らを断罪なされた。

 私達がお嬢様を死に追いやった、と。


《申し訳、御座いません》


「クララ?どうしたの?もう走り回ったり」

《いえ、今まで我慢させてしまい、大変申し訳御座いませんでした。私は、どんな事があろうともお嬢様の味方です、どうぞお心のままになさって下さい》


「そんな、大して我慢もしてないわクララ」

《良いんですお嬢様、走り回り怪我をなさっても構いません、幾らでも手当て致します。アナタを幸せにする為なら、私はどんな事も致します、どうかお手伝いさせて下さいお嬢様》


「ありがとうクララ」


 私には、礼など言われる価値は無い。

 出来るのだから、とお嬢様に期待し背負わせた、そうしてお嬢様を殺したのは私達。


 断罪されるべきは、私達なのですから。




『そう、ハプスブルク家の子息と』

「はい、パトリック様に恥ずかしい所を。あ、怪我はしておりませんからご心配には及びませんよ殿下、ふふふ」


 初めて中庭を走り回り、転んだ。

 そんな事を嬉しそうに、楽しそうに話す彼女は、如何にも子供らしい笑顔だ。


 彼女とて未だ幼いのだ、と実感させられる。


『子供らしい一面も有るのですね』

「それにお転婆、婚約者候補が庭を走り回り転がるなんて。それに勝手な思い込みと言えど、殿下に失礼な事も言ってしまいましたし、やはり私は」


『いや、アレは気にしないでくれ、僕こそ本当に狭量だった』

「いえ、だとしても大変失礼致しました」


 違う、謝って欲しいワケじゃない。

 本当に僕は自分の狭量さに気付かされ、理解したのだから。


 なのに彼女は、また、表情を消してしまった。

 冷たい人形の様に生気を失くし、中庭の椅子に綺麗に座る人形に。


 どうしてなんだろう。

 僕はただ、話し合いたいだけだと言うのに。


『本当に理解したんだ、もう謝罪はしないで欲しい』


「承知致しました」


 会話が、途切れてしまった。

 いや、途切れさせたのは僕だ。


『それから、彼とは』

「意見交換をさせて頂いております、外遊は無理ですのでココを遊学先に選んで頂く事で、異国の子女にも知る機会を増やす。僭越ながら外交に子女は要らないとは思いますが、来て下さる方のもてなしを行うのは、やはり女性かと」


 まるで父上と宰相達の会議の様に理路整然とし、隙が無いように思える。

 年下とは思えない程の落ち着き、考え方、なのにも関わらず。


『それと走り回る事の繋がりは、一体』

「いえ、御座いません。親交を深めたいと考えた時に、不意に思い付いた事ですから」


 あぁ、コレは愛想笑いだ。

 今度こそは言葉選びを慎重に、そう思っていたのに僕は、また僕は失敗してしまった。


『すまない、どうやら僕は疲れているらしい』

「学ばれる事が多いかと、私に構わず、どうかご自愛下さい」




 寝る間際、ベッドの上で殿下は溜め息を。

 そして。


『僕は、どうして上手く言えないんだろうか』


 今なら、少しだけ分かります。

 以前の殿下はヴィクトリア様をお慕いする気持ちと自尊心、尊敬と不安が相まって悩み、結局は来訪者に逃げた。


 そうした私の考えに対し、侍女のクララは勿論、あのパトリック様も同意していると聞いている。


 私は、真実を言うべきなんだろうか。

 言って気付かせてしまえば、彼はどう動くか。


 ココは、クララからパトリック様へ相談して貰おう。

 彼はもう何度も繰り返している、と言っていたのだから。


「私には直ぐには分かりませんので、お時間を頂ければと、殿下はお休みになって下さい」


 彼は、ヴィクトリア様に比べ凡庸です。

 皇帝と言う立場、そして劣等感と自尊心に苛まれ、ヴィクトリア様に素直に相対する事が叶わなかったのでしょう。


 けれど、あの残虐な行為の弁明には足りなさ過ぎる。

 自らの子をも殺し、愛していた筈の者を殺したのだから。




《ですので、どう動くべきかと、パトリック様にご相談をと思いまして》


 あの皇太子が、ヴィクトリアに上手く話せない事を悩んでいる、と。


 ヴィクトリアの侍女クララに言う様なヤツじゃない、となると王族と繋がれる何者かが確実に後ろに居る。

 差し当たってはセバス、そして彼にも以前の記憶が有る、と思って良いだろう。


 今まで何度繰り返しても、彼の行動はさして変わらなかった。

 子を取り出すか、庇い一緒に処刑されるか、極稀に来訪者を殺したが結局は処刑された。


 良い家臣、侍従だからこそ、板挟みに苦しんでいた。

 仕える者の不器用さと、慕う者の苦しみ、常にそうした板挟み故か行動の変化はさして無かった。


 それは目の前の侍女クララにも言える事、信念から、貴族令嬢が目指すべきは皇妃なのだと公言していた女。

 確かに間違いでは無い、全ての令嬢が目指すべき姿は確かに皇妃、けれど相手がアレでは。


 いや、彼女には変わらず皇妃になって貰い、今度は皇帝の首をすげ替えれば。


 そうか、乗っ取らせるべき相手、国をコチラが最初に決め動けば。

 混乱は少なく抑えられる筈、今なら十分に時間は有る。


 ただ、セバスが同意するかどうか。


『クララ、お前が願うのは令嬢の幸せ、だな』

《はい》


『では、王族に繋がる者の意思はどうだ、令嬢の幸せだけを考える者か』


 直ぐに返事をしようとしたが、再考を始めた。

 悩むのも無理は無い、前回の記憶だけなら、彼の事を殆ど知らない筈。


 それに、俺自身も分からない。

 セバスの情愛が目覚める事をコチラで制御するのは非常に難しく、規則性を見出せないまま、俺は諦めるに至った。


 全てを諦めた筈が、最善の方向へ向かえる可能性が高い機会に恵まれた。


 皮肉が過ぎる。

 俺が関わらない事で、こうした変化が生まれるとは。


《仰っている方がもし同一なら、私から尋ねさせて下さい》

『おう、任せた』


 セバス、お前はどうしたい。

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