第34話 見逃してはくれないだろうか

「何が起こったの……!?」


 奇妙な光景を目の当たりにしたアリスが、じりりと半歩下った。

 俺も後退りたい気持ちでいっぱいだったが、なんとかその場に踏みとどまる。


 その人影を目にした途端、掌に汗がにじむのを実感してしまう。

 真っ赤な肌、小さな角、牙が覗く口。

 精悍な顔にどこか余裕の表情を浮かべながら、ブラテノス男爵がこちらを睥睨していた。


「お前、やっぱり生きとったんか……!」


 この状況においても気合十分といった様子で戦斧を構えるバルクに、男爵がにやりと笑う。


「経験も力も足りぬまま再び吼えるか。些か滑稽だな」

「何やと!?」

「若さと未熟さは認めたほうが身のためだぞ。さて、本題は……君だ」


 アリスを指さすブラテノス男爵。

 わかってはいたが、やはり狙いはアリスだったか。


「やはり、薄くはあるが陛下の気配を感じる。少しばかり事情が変わってな……我が野望成就のため──ここで死んでいただく」

「なっ……!」


 これは少しばかり、想定外だった。

 てっきり、アリスの身柄を求めるのは新たな魔王として据えるだとか、魂を使って魔王復活をするとかそういう話だと思っていたから。

 まさか、直接命を狙ってくるとは思っていなかったのだ。


「どういうつもりだ!」

「事情が変わったと言った。ここからは玉座を簒奪の宴となる! 我が一番手にして、簒奪者だ!」

「つまり、次の魔王ってわけか?」


 俺の言葉に、小さく笑いを漏らすブラテノス男爵。

 それは、愉快というよりも自嘲じみたものに聞こえた。


「魔王の襲名は下剋上によって成るのが習わし……! だというのに、魔王ルイスが未だこの世界に在るとならば、それを弑逆するのもまた習わしよ!」

「そんなの好きに名乗ればいいでしょ! わたしはわたし。魔王ルイスなんかじゃないわ!」

「それをよしとすれば魔族われらの王制が乱れる。正当な襲名によってのみ、王となる資格を得ることができるのだ……!」


 空気すら震わせる殺気がブラテノス男爵から放たれる。

 それはあからさまで、直接的で、圧倒的だった。


「大人しくその命と魂を捧げよ。さすれば此度は退いてやってもよい」

「させ、ない……!」


 小太刀を構えたメアリー先輩が男爵の視線を遮るように、アリスの前に躍り出る。

 同時に、バルクも身体にタメを作ってプレッシャーを増させた。


「そんなアホくさい道理が通じると思っとんのか、ダボが!」

「ドワーフ言葉は相変わらず泥臭い。先の大戦の時のように、また滅びたいのか?」

「滅びてへんからわいがここにおるんやろが!」


 怒気まじりの殺気を放ちながら戦斧に力を籠めるバルクが、右足で二回……地面を踏む。

 それに、ピンときた。


 俺を、待っているのだ。

 呆けている場合ではない。

 戦闘開始の合図は、リーダーであり先制手でもある俺がやるべきことだ。

 この場面においてバルクは、戦士としてパーティメンバーとしての理性をまだ保って、待っているのだ。


「なあ、ブラテノス男爵。言葉が通じる相手として提案するんだが……見逃してはくれないだろうか」

「そこの小僧は道理が通じないと言ったようだが?」

「アリスはただの人間だ。魂の在りようがどうであっても、今は魔王じゃない。それを殺して、胸張って魔王になったって言えるのか? あんたは」

「少なくとも後顧の憂いは断てるのでな」

「そう、かいッ!」


 彼我の距離はほんの十メートルほど。

 仕込んでいた【斬裂】を不意打ち代わりに投石紐スリングで発射する。

 もちろん、仕留められるとは思っちゃいないが、牽制としては充分だ。


 薄い刃となった【斬裂】の弾を片手で叩き落として、ブラテノス男爵が一歩前に出る。

 その魔男爵に向って、鉄塊のごときバルクが突進した。


「どらぁぁぁッ!」

「浅い、軽い、容易い! 貴様らの生そのもののようだ!」


 弾丸のごときバルクの突進を受け止めいないして、男爵が鋭くとがった爪をバルクに振るう……が、触れる直前にその一撃は淡い光に阻まれた。


「飛び出し過ぎよ、バルク!」

「すまんな! 性分や!」


 アリスの防御魔法ありきの突進攻撃。

 彼氏としてはその連携を少しばかり羨ましく思いながらも、俺は次の一手を投石紐スリングから発射する。


「バルク、離脱」

「おう」


 メアリー先輩の声で、大きく飛び退るバルク。

 その直後、俺が放った【火炎】が追撃態勢に入っていたブラテノスの腕に命中して炎を吹き出す。

 【氷結】と迷うところであったが、目くらましも兼ねているのでこれでいい。


「む」

「いくよ……!」


 燃え上がる腕に視線がそれた瞬間、猫耳忍者メアリーが地を這うように魔男爵に迫りその腹部に小太刀を突き入れる。

 致命傷となるタイミングであったはずだが、その切っ先はブラテノス男爵の血を少々こぼすにとどまった。


「おっと、浅い、ね」

「やるではないか、小娘。いや、素体にした人間が悪いのか?」


 やや黒く焦げた右腕、そしてもう血が止まった腹部。

 それを見ながら、カルネージが目を細める。


「強い」

「まあ、魔貴族やからな」

「実際よくやっている方だろう」


 メアリー先輩とバルクの声を耳にしたらしいブラテノス男爵がこちらに向き直る。

 その姿は悠然としていてまるで俺達を意に介していないように見えた。


「前回よりマシとはいえ、『この体』ではこの程度にしか動けぬというのが、少し惜しい」

「どういう意味だ……?」

「ゲルシュ君といったか? 彼の身体ではこれが限界というわけだ」


 その言葉に、体が強張るのを感じた。

 おそらく、俺だけではない。みんなそうだろう。

 この魔男爵がここに現れた時の光景を、目の当たりにすればそうもなる。


「何を言っとるんや、お前。負け惜しみか?」

「いや、バルク……多分、彼の言っているのは負け惜しみそれじゃない」


 さっき、バルク自身が言っていたではないか。

 目の前にいる『ブラテノス男爵』は魔王の座を簒奪せんとする魔貴族だ。

 それが、この程度であるはずなど、ない。


 実力の底をまだ見せていないとはいえ、こちらはまだ初年度の冒険者未満。

 だというのに、歴戦の魔貴族に圧倒的なものを感じないのはおかしい。

 たとえ、俺達が少しばかり強くなっていたとしてもだ。


「だが、君達を殺すには十二分ではある。その点でゲルシュ君は過不足のない人選だった」

「まさか、闇魔法……!?」

「その通りだ、ルイスの魂を持つ娘。この少年の魂は実に御しやすかったよ。君達への憎しみで契約に染めるに容易い歪みがあった」


 こんな所で、授業の復習をする羽目になるとは。

 魔族にそういった術があるらしい、という話は座学で聞いた。

 ネガティブに囚われた精神の人間を魔族として受肉させる高等魔術。

 ブラテノス男爵は、ゲルシュ先輩という俺達の関係者を利用してそれをやってのけたらしい。

 おそらく、あの『迷宮研修』の時も。


「あいにく、大した能力にも目覚めず、我輩の分身としては些か器不足ではあるが……君達に上手く誘導してくれたことに関しては、よくやったと褒めてやってもいい」

「えらい上から目線やんけ」

「事実、上なのだよ」


 その言葉が終わるや否や、残像が残るような猛スピードでバルクに踏み込むブラテノス男爵。

 油断していたはずもないのに、バルクが易々とその拳を受けて吹き飛ぶ。

 アリスの防御魔法がかかっていたにもかかわらずだ。


「無駄話が過ぎた。陛下とこの学園全ての者を殺し尽くして、新たな魔王誕生ののろしとしようではないか」


 魔男爵が殺気を含んだ笑いを、俺達に向けた。

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