「あなた」だけは、忘れない。

佐藤恩

大学に向けて

 僕 桐山秀斗きりやま しゅうと は、優秀だった。 

 しかし、彼の18年間という長く濃厚な年月が彼にそれを認識させなかった。

 いや、「」という事実は彼を縛り制限し認識すらさせなかった。


 なぜなら彼は普通ではなかったから。普通ではいられなかったから。


 そんな欠陥を抱えてしまった憐れな子供は、大学の入学式をあと数日という変哲のない日常を過ごしていた。


 これはそんな彼が生きていく日常の話


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 窓の外から聞こえる鳥の鳴き声が鳴いたと同時に彼の意識もまた急激に浮上した。


「...さむ」


 足りない睡眠とわかってはいるが、彼の体は自然と朝の支度へと動きだす。


「今は...7時、まだねてたい」


 そうして支度を終えた彼を迎えたのは安息の地(ベッド)だった・

 そうしただらけた朝を過ごす彼に時間は甘くない。


 彼は時計をちらっと目を向け、のそのそと足をひきずるようにしてバイトの用意を終えて、ある程度は手入れされた靴を履いて玄関を開けた。

 そして、振り返ると一言


「いってくる」 と小さく零して。



 彼のバイト先は実家から徒歩10分という場所にある、喫茶店「白恋」だ。

彼がこの喫茶店に勤めて約2年になる。そして、彼にとってはになった馴染み深い場所なのだ。


 店の扉を開けると、


「おはよう、今日もよろしくね」

「おはようございます。はい!!」


 店の店長 白川さんが挨拶した。

 店長の風貌は肩書通り「喫茶店のマスター」だった。


 整えられた白に近い灰色の髪型、穏やかな目に右目の目元にあるほくろ、年を感じさせないすらっと伸びた背筋。もう還暦を超えたというのに


「ここが好きだからね」


 と喫茶店を続けている人であった。


 秀斗は元気よく、そして落ち着いた口調で挨拶をした。


 この店での秀斗はだった。

お店に来た客にとっては、気さくで誠実な、そして憩いの場を提供してくれるよ寄り所のような好青年だった。

そんな彼は、疲れた社会人や安寧の日々を過ごす老人、果ては廃れる手前の人間にとっての休める居場所であり良い話し相手だった。


そんな憩いの場所にまた一人、誘い込まれる。


「いらっしゃいませ」

「あぁ、しゅうちゃん。今日はね...」




そんな日常の中で、常連さんたちと雑談しながらも彼の意識は、窓の向こうからこちらを覗いている彼女に割かれていた。それは喫茶店で働き始めてから一か月ぐらいの頃からであり、日常の中に溶け込んでいた。しかし、彼女が秀斗と話したことはない。ただ、ふとした時に窓の奥に見かける程度。それぐらいの関係性であり他人と変わらない。


「(あぁ...いるなぁ。でもお店には入ってこないんだよな...)」


多少の不気味さと馴染みを覚えながらも、彼女と関わろうとは思わない。

なぜなら、の彼はそんなことしないからだ。

それは、逸脱したものであり、許容された行動ではない。

そんな一抹の思いを感じながらも彼は今日もとして働いていく。


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バイトからの帰り道


「これで当分、大学に集中できるなぁ」


そう、今日で喫茶店のバイトを少し休業して大学に専念することになっている。

なぜなら、白川さんに大学進学すると伝えた際、


「ここを大事に思ってくれるのは嬉しいけど、常連さんたちから言われたでしょう、だからまずは大学で好きなようにやっておいで。私はいつでもここはいつでも君の帰りを待っているよ...」


と言われたからだ。


その言葉に安心したと同時に少し寂しさを覚えた。


「まぁ、一か月程度で戻ってこれるでしょう。そこまでは大学で頑張ろうかなぁ」


そう思い、秀斗は帰路に着いた。


彼の背中をうっとりと惚けた目で見つめる者に気づかないまま...


















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