縁切り

図科乃 カズ


 昔から姉が嫌いだった――咲弥花さやか風莉かざりをそう思っていた。

 生まれた時、ほんの数分の差で区別された姉と妹。たったそれだけの差にどれ程の優劣があるのか。それなのに風莉はおっとりした顔のまましゃべり方から呼吸の仕方までいちいち注意してくる。「そんなんじゃ相手に喧嘩を売ってるように見えるよ」

 どちらが売ってるのやら、その思いを咲弥花はいつも飲み込む。分かってる、姉は自分の欠点を注意して直そうとしてくれているだけだ。

 ふたりは顔形も声のトーンも同じ、しかし、性格は正反対だ。

 咲弥花は整った見た目に反して自分に自信が持てない、風莉は微笑んだまま刺すように正論を口にする。だから咲弥花は風莉が嫌いなのだ。




「2日前が『見えた』で、今日は『消えた』?」

 大学前の昭和レトロな小さな喫茶店でいら立ちを隠すことなく髙山が言葉をぶつけてくる。「不思議ちゃん系? だからそういうのやめなって言ったよね?」

「タカちゃん、落ち着いて」隣の広野がすぐさま口を挟む。そして気遣うように咲弥花に向けて愛想笑いを浮かべる。

 髙山は髪の先を指で弄りながら顔を合わせないように窓の外に目を遣り、広野は困ったように眉を八の字にして咲弥花と髙山の間で視線をさまよわせる。

 大学に入ってからできた2人の知人、髙山と広野は高校からの付き合いだという。だからかもしれない、咲弥花が疎外感を拭うことができないでいたのは。しかし、進学と共に上京した咲弥花には他に頼れる知り合いはいない。だから、藁にもすがる思いで2人の講義が終わるまでずっと待っていたのだが。

 咲弥花の相談事を聞いてから、髙山は明らかに不機嫌になっていた。

「こないだのこと悪いと思ったから聞いたけどもう無理。ヒロだって普通に引くでしょ? 会ったことのない人の話されたって」

「それはそうだけど――」

 口にした後に「しまった」という顔で広野が咲弥花を見る。

 嫌悪感を隠そうともしない髙山に、憐れんだ目をこちらに向けてくる広野。咲弥花の胸の中が更に痛くなる。それは軽蔑や同情を向けられるのが辛かったからではない、自分の話を信じて貰えないことがそれ以上に辛いことだと分かったからだ。 

「ごめん、また変なこと相談しちゃって」

 逃げるように席を立つ咲弥花に広野の声が追いかける。

「お、お姉さん? とケンカでもしたのかな。ほんと酷い顔してるけど大丈夫?」

「だから会ったことないじゃん、あたしら」「タカちゃん、言い方!」

 2人の声を背中で聞きながら咲弥花は逃げるように喫茶店を出た。



 ゴールデンウイークが終わったばかりで梅雨入りはまだだというのに、喫茶店の外はどんよりとした雲が今にも落ちてきそうだった。寂れた大学の門がぽつりぽつりと人を吐き出している。学生課はまだ開いているかもしれない、そう考えた咲弥花だったが、髙山と広野の顔が脳裏をよぎって首を横に振った。

 学生課で何を聞く気? 「私の姉を知りませんか? 私と一緒に今年入学しているはずなんですが」そんなことを口にすればあの2人と同じ反応をされるだろう。もしここでも信じて貰えなかったら心が真っ二つに折れてしまいそうだった。

 咲弥花は校門をくぐることなく駅へと向かった。

 都営地下鉄に乗って五駅目、そこから一駅分歩いた所に咲弥花の住むマンションがある。駅舎を出て空を見上げれば大学で見た鉛色の空がここにもあった。

 スマホに表示した地図を見ながらスーパーや居酒屋が並ぶ道を進むと、すぐに小型のマンションやアパート、個人宅が混在する住宅区へと変貌した。くすんだブロック塀にはバイクや自転車が立てかけられているのに人通りはない。通りすぎたごみ集積所には破れた袋から生ゴミが散乱していたが、それは今朝見かけた状態と変わらなかった。

 寒い、咲弥花はデニムジャケットの襟を掴んで密着させた。急に吹いた風が咲弥花の首元をかすめたせいだが、いつの間にか薄暗さを増した路地にぞわりとしたせいかもしれない。

 あと少し行けば自分が住んでいるマンションの近くに出る。電柱から垂れ下がった街灯がチカチカと瞬く。その光を求めて咲弥花の足が自然と速くなる。

 古びたモルタルのアパート、歪んだままのフェンス、ひび割れたビルの壁。道に並ぶどれもが寂しい。それが咲弥花の心を揺さぶる。喫茶店の時と同じだ。見放され、ひとり取り残されたような孤独感。

 と、そこに――、


 ……ペタ……ペタリ……。


 何かがアスファルトの上を歩む音。

 路地の先、折れ曲がった丁字路の塀の向こう、街灯の明かりが届かない闇の中。

 跫音あしおとの方へと視線を動かす。左右に分かれた道の端にかする黒い影――それはひょろりとした体の上に異様に大きな頭が乗っていた。

 えっ、たたずむ人影に驚いてもう一度目を向けると暗い小路だけが続いていた。そんな筈はない、確かに一瞬、大きな頭をした何かがいたのだ。

 咲弥花は思わず自分の肩を抱いた。やはり見間違いではない、あの子供のような黒い影は確実に近づいてきている。


 そして、この子供が現れてから姉――風莉は存在ごと消えてしまった。

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