《初配信/蒼星シノ》

 机上のマイク、マウス、キーボード、モニター。

 角度も、調子も、全て確認済みだ。


 アプリを通して投影されるアバター。

 シアンの少年とも少女とも区別が付かない小柄な人物は、詩音の希望通りにデザインされた蒼星シノの姿だった。


 我ながら難しい注文をしたものだ。

 男にも女にも見えないデザイン、なんて。

 配信が終わったら合歓垣、ねむのきママと呼ぶべき女性にもう一度お礼を言いに行こう。


 段々と強張っていく身体を誤魔化すように、詩音は考え続ける。


 ここまで色んな人が関わってきた。

 まとめ役として様々な業務を熟した菊楽、モデリングを担当した榊とその他のスタッフ。

 三人のデザインをしてくれた合歓垣、マネージャーとして相談に乗ってくれた片桐。

 他にも色んな人が詩音を支えてくれた。


 特に同期の二人と彩。

 そして、今の詩音を形作ったとある少女。

 彼ら彼女らがいなければ、詩音はここにいなかった。

 蒼星シノという人間は存在しなかった。


 腕につけた星のブレスレット、あの時貰ったお守り。

 もう怖くない、緊張しない。


 ────皆への感謝を今、全身全霊この歌で伝える!


 開演のブザー、閉ざされていた幕が上がる。

 ここから先は、蒼き一等星によるリサイタルだ。


 《Starスター Aliveアライブ》、蒼星シノの始まりの歌。

 あの日、外に駆け出して撮りに行った一番好きな歌。


 出会いは十歳のとき。

 当時、詩音はいじめられていた。

 『変な話し方だ』『色が分からないんだ』。

 どれだけ嫌がっても、それが止むことはなかった。


 そうして、彩と一緒に泣きながら家に帰れば、母と年配の親戚が話していた。

 通り過ぎて家に入ろうとした詩音を、その親戚は引き止める。


 初対面の人であり、詩音は人見知りであったから、いつものように母の後ろに隠れて様子を伺っていた。

 この人はどうして自分を呼び止めたのだろうか、と。


 そうして、詩音を頭の天辺から爪先まで眺めた親戚が言い放った言葉は、ささくれていた心を酷く傷付けた。


 ────女の子なら女の子らしい格好をしなきゃ駄目よ。

 そうじゃなきゃ、お嫁さんになんてなれないわ。

 ただでさえ、ちょっとおかしいんだから。


 お前はそう生きなければいけない、と決めつけられた気がした。


 次の瞬間、詩音は飛び出していた。

 星空の下を、行き先もなく走り続ける。


 どうしてボクらしく生きちゃいけないの?

 どうしてボクをおかしいって言うの?


 そう、世界に問い続けながら。


 遠く、遠くへ走り続けて、ある音が聞こえた。

 誰かが歌っている音。

 哀しくて、それでいて元気が出るような音。

 あなたらしく生きていいって言われているような歌。


 引き寄せられるように音の主を探した。

 公園に入って、噴水を通って、そうして見つけたのだ。

 ジャングルジムの一番上で、一人で歌う少女を。


 少女は最後の一小節を歌い終わる。

 揺れのないロングトーン。

 機械的なまでに完璧な終止符ピリオド

 数分間だけてで、詩音はその歌の、その少女の虜になったのだ。


 ジャングルジムを登って、少女の隣に座り、希う。

 どうか自分に歌を教えてほしい、と。


 詩音よりいくらか年上の少女は、そんなこと言われるなんて思ってもいなかったようで目を見開いた。

 そして、思い切り笑った。



 ────いいだろう。きみに僕が歌を教えてあげる。



 そこから長く短いレッスンが始まった。

 声の出し方、音の取り方、姿勢の大事さ。

 そして、少女が歌っていた曲、『Star Alive』。


 乾いたスポンジのように詩音は技術を吸収していく。

 そこには天性の歌声、センスもあった。


 だが、天性のものがあったって、少女が教えるまで自覚すらしていなかった。

 少女が教えたことで詩音の才能が開花したこと明白だ。



 ────詩音! どこにいるの?!



 遠くで詩音を探す彩の声が聞こえた。



 ────時間みたいだね。



 少女は目を伏せて、詩音を諭した。


 言ってあげなさい。探してるんでしょ、きみを。


 だが、詩音は離れたくなかった。

 どうしてか、少女ともう会えない気がしたから。



 ────また、会えるさ。

 同じ七月七日、天の川の下で。



 少女は約束だ、と腕につけていた星のブレスレットを詩音に手渡す。



 ────次に会った時、これを返してくれ。

 それまではきみのお守りになってくれるはずさ。



 遠くで聞こえていた彩の声が段々近くなってくる。



 ────見つけた、探したんだから!



 振り向けば、肩で息をする彩がいた。

 彩は一人で何してるの、と詩音に問う。

 

 疑問に思いながらも、一人じゃないよ、先生といたのと答えようとした。

 

 しかし、先程までいた少女の姿はどこにもいない。

 右を見ても、左を見ても、はたまた上にも下にも前にも後ろにも、どこにもいない。


 夢、なったのだろうか。

 いや、そんなことはない。

 詩音の手には変わらずブレスレットが握られていた。

 あれは、夢じゃない。現実だったのだ。



 ────ねえ、彩。一曲だけ聞いて。



 忘れないように、詩音は歌う。

 一人だけのリサイタル。

 一番星が輝き、煌めき出す天の川の下で。







 肺から息を吐き出す。

 次は、名乗らなきゃ。

 自分の名前を。



「蒼星シノ。

 『プライマリー』のシアン担当、蒼星シノ。

 よろしく」



 ちゃんと言えた、大丈夫だ。

 自分を励ましながら次へと進んでいく。



「自己紹介。

 性別なし、年齢不詳、身長一四八、体重不明。

 特技は歌、以上」



 次、次は────



────────────────────


◯もっと細かくやれや


────────────────────



 そんなコメントがシノの目に入る。

 はっと、息が詰まった。

 今まで、なんて言ってたっけ。

 どう話してたっけ。


 わからない、わからない、わからない。


 目の前がぼやけていく、何も聞こえなくなっていく。

 白と黒の世界に囚われていく。



 ────頑張れ、詩音シノ



 ちゃり、とブレスレットの音がなった。

 一気に現実に引き戻される。

 色の無い世界に透明な色が着く。

 できる、頑張れる。皆が背中を押してくれる。



「歌は、歌うのも、聞くのも好き。

 一番好きなのは、さっき歌った『Star Alive』。

 知ってる、かな」



 ちらりとコメントを眺める。

 知ってるという答えが七割くらい。



「知ってるんだ、いいよね。

 暗いけど明るくて、哀しいけど元気が出るような不思議な歌」



 最初と比べ、比較できないほどの速さで流れていくコメント欄。

 そんな中、ある一つの単語が目に入った。



────────────────────


◯アリアみたいな歌い方


────────────────────



 アリア、アリア。

 あの、《アリア》のことだ。

 今のVライバーブームを生み出した、孤高の歌姫アリア。

 彼女は一年ほど前に失踪してしまった。


 自分がアリアの歌声に似ている、か。

 シノは調べている時に聞いた、彼女の歌を思い返した。


 だけど、何かが違う。

 言い表せないどこかが違う。

 一体どこが違うのだろう。

 彩あたりに、帰ったら聞いてみるか。


 そうして、数分間詳細説明のようなものをし続けた。

 そろそろ、シノも二人のように話すべき時間が来た。



「……先、二人の配信見てたら分かるよね。

 ボクも二人と同じだよ」



 ゆっくり、一音一音丁寧に音を伝える。



 ────ボク、蒼星シノは一色型色覚だ。



「色を認識できない。

 赤も、青も、黄色も分からない。

 全てが黒と白の世界に生きている。

 綺麗なものを綺麗なものと思えないんだ」



 溢れてくる記憶。

 蔑まれ、疎まれた記憶。

 それらはシノの膝を折ろうと襲い掛かってくる。


 負けない、折らせない。絶対、諦めてやるものか。



「だけど、だけど、分からないままやのは嫌だ。

 ボクは変わりたい。

 ボクは、ボクらは変わるためにここにいる」



 マイクを切り、画面を暗転させる。

 隣には、ずっと後ろで聞いていた二人がいた。



「聞いてくれ、《チェンジング・プライマリー!!!》」



 三人で作ったこの曲。

 変わりたい想いを音にしたこの歌。


 届け、ボクらの想い。響け、ボクらの歌。



「……これで『プライマリー』初配信を終わる。

 次の配信をお楽しみに」

「じゃあねー!」

「またな」



 マイクを切り、配信終了ボタンを押す。

 しっかり終わらせたことを確認して、詩音は一息ついた。



「お、終わった……」

「お疲れ様、詩音」

「すごい良かったよ!」

「ありがとう……」



 片手ずつ差し出す二人とハイタッチする。



「あ、そうだ。リバーラーどうなってる?」

「変わらず炎上中」

「面白いことになってるよー!」



 愛歌の画面を覗き込めば、件の投稿が目に入る。

 詩音は目に写った景色が信じられず、一度目を背けた。



「ちょ、ちょっと待って」

「分かる」

「やっぱそう思うよね」



 そこに示されていたのは十万いいね、二万再リバール。

 そのうち約一万が引用。

 今日から始まった企業ᐯライバーの箱として、規格外の数値であった。



「明日オフコラボするんだよね?」

「うん」

「ボクたち、デビュー一日目だよね?」

「そうだね」

「……見られすぎじゃない?」

「ふはは、知らん」

「流石にここまでと行くは思ってなかったよ、あたし」



 無言になる三人。

 炎上商法と言っても、ここまで広がるとは予想してなかったのだ。



「……再生数五桁行った」

「……低評価と高評価同じぐらい付いてる」

「……あ、やべ。連続投稿のこと言い忘れてた」

「あ……ま、大丈夫じゃない?

 毎日零時でしょ、今から告知すれば間に合う」



 どうするんだこの空気。

 殆どお通夜と同じレベルだ。

 困り果てる三人の元に、菊楽が歩み寄ってきた。



「お疲れ様、皆。上出来だよ。

リバーラーやユアライブの方はあまり気にしなくていい。

 そのうち収まるさ」

「……収まります? これ」

「……収まるはずさ、多分」



 もう駄目なんじゃないか、この箱。

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