25  冒険譚

 お祭りのは衰えることなく、未だ熱気がこもっている。海美のもよおしを小一時間手伝うはずだったのだが、気を使った浮島さんによって放り出されたのだった。


 俺と折谷の手にはフランクフルトが入ったトレイが一つずつ。とりあえず食べるかとなり、運動公園のベンチを探した。だが祭りの真っ只中とあっては、満席になるのは仕方ないだろう。

 ベンチを取れなかった人たちは滑り台やスプリング遊具、ブランコといった座れそうな場所でくつろいでいる。考えることは同じということらしい。


 運動公園は難しそうということで、俺たちは歩きながらフランクフルトを食べていた。

 焼き立てのフランクフルトにかぶりつけば、押し出されたうまい油が舌を撫でてくる。火傷しそうになりながらハフハフと咀嚼そしゃくし、久しぶりの脂ぎった物を胃に押し流した。

 ふと隣へ視線を移すと、まだフランクフルト一本の半分しか食べていなかった。片や俺はもう完食しそうな勢い。


「食欲ないのか?」

 折谷が俺を一瞥いちべつすると、渋い表情で小さく口を開いた。

「猫舌なの……」

 折谷は少し恥ずかしそうに言った。

「フーフーしてやろうか?」

「バカじゃないの」

「優しさで言ってやんてんだろぅ?」

「押しつけがましいのよ。君の言い方」

「そうか?」

「そうよ」

 んー。そうなのか。気をつけよう。

 ガシガシと頭をかいて苦々しい思いを持て余す。


「んで、俺たちは今どこに向かってんだ?」

 面目めんぼくなくなって話を切り替えた。

「この辺、人多いでしょ? あたし、人が多いとこ苦手だから」

「あるのか? そんなところ」

「心当たりがあるわ」

「んじゃ、頼む。ガイドさん」

 おどけてみたのだが、やはり淡白な反応だった。だがつぐんだ口のまま、折谷は何か言いたげに瞳を向けている。意味ありげな視線を投げられた日には、聞かずにはいられない。そんなもんじゃね?

「どうした?」

 反射的に尋ねると、喉の奥にでも物を詰めているかのように、らしくなくおずおずと絞り出した。


「帰る時間、大丈夫?」

「それはお前もだろ?」

「あたしは平気。お母さんには言ってあるから」

「入院している間に来たのは妹だけだったんだぞ? しかも、薄情な愚妹ぐまいは入院してる俺をイジり倒して帰っていきやがった。こうなったらグレてやろうと思ってんだよ」

 俺は変なベクトルで意気込んでみせる。


「優しい妹さんね」

「なぜそうなる?」

 げんなりした俺を見てか、折谷はクスクスと笑う。

 こんな時になんだが、こうして近くで見ると————。

「お前、笑った方がかわいいな」

 折谷は面食らったように目を見張り、体を遠ざけた。

「変態……」

「なんでだよ⁉」

 褒めたのに罵倒されるのは納得いかんだろう。


 そんな風に何気ない雑談を交わしながら歩いていたら、いつの間にか港までやってきていた。

 朝市が開かれる市場を覗けば、夜祭りの空気にあてられたオジサンたちが宴会を開いていた。

 普段は新鮮な魚介類が並ぶであろう二つ合わせた長机に、酒瓶と切り身、みそ鍋というラインナップ。野太い声々が喜々として相交わされていた。

 これが大人の祭りということなのか?


 少し興味はあるが、いろんな意味で俺にはまだ早い気がする。

 漁師とその家族らしき人たちの宴会を横目に歩いていると、顔馴染みの漁師さんが俺たちに気づいた。

「お、樫崎島の不良ヤンキーどもだ!」

 心外な……。時々ぶっこみ海鮮みそ鍋をご馳走してくれるいい人なのだが、どうも酒が入ると失礼なことを口走るらしい。

「有名人。こっち来な。どうだ⁉ 一緒に鍋でも」

 綺麗な卵の形をしている顔のオジサンが誘ってくれるが、頬が赤らんでいる様子を察するに、なかなかに仕上がっているようだ。


 俺はどうしたものかと折谷に視線を振った。

 折谷は肩をすくめて笑った。

 一つの歓談の輪に近づいていくと、先ほど誘ってくれたオジサンが椅子を用意してくれた。お礼を言いつつ、腰を落とした。

 いざ輪に入ってみるとわかるが、熱気と共にぽわんと酒のにおいが漂っている。俺は大丈夫だが、苦手な人は苦手なんだろうなと思いながら、好奇な目を受け流しつつ取り繕ったように漁師さんたちに会釈した。


「暑いだろ。ほれほれ~、いっちゃってぇ」

 あきらかに酔っている若い男の人がグラスを俺の前に置き、がっしりとした腕をこちらに寄せてきた。

 その手に視線を向ければ、どこからどう見てもビール瓶。

 いやいや、自然な感じで未成年に酒を勧めんなって。

「おいおい、ケンチ。子供を毒すなよ」

 聞いたことのある声が飛んできたと思い、はらりと視線を移せば、みそ鍋を持ってきたれいさんだった。


 澪さんは俺と折谷の分のみそ鍋をよそってくれていたようで、「お代わりならいくらでもあるから」と俺たちの前にお茶碗を置いた。

「ありがとうございます」

 お礼を言い、長机の中央に雑然と置かれた割り箸を取る。その時だ。澪さんは折谷に視線を合わせた瞬間、ウィンクをした。すると、折谷はとても気まずそうにソワソワとし出した。

 な、なんなんだ……?


 今にもここを立ち去ってしまいたいとでも言いたげに、唇がゆがんでいる。

 よくわからないが、今は鍋である。いつもの味にウキウキしながら口に運んだ。

 豊かな海の幸から流れ出るジューシーな旨味と野菜の甘み。それら二つがみそと混ざり合い、体に染み込んでいく。危うく飢餓状態になりかけたサバイバルをこなしたからか、いつもよりおいしく感じる。口の中の幸せを噛みしめながら、これを共有しようと折谷の方へ視線を投げた。

 なあ、おいしいだろ⁉ このみそ鍋! と声を上げようとしたが、折谷はこれでもかというほどに顔をしかめていた。膝に手を置いたまま、口をつけようともしない。

「腹いっぱいなのか?」

 俺は素直に問いかける。

「なにこれ?」

 なにこれ? の口調は文句を言う一歩手前。そんな風に聞こえた。


「なにって、鍋ですけど……」

「ただ具材を入れただけのみそ鍋でしょ」

「いやいやいや! この具材を入れただけの鍋だと思って甘く見るべからずですよ、折谷さん!」

 俺は声を大にして反論する。

「確かに見た目はざっくりした仕上がりだけど、味は溺れるほどうまいんだって!」

「おっ! 言うねぇあんちゃん!」

 俺の力説に宴会の参加者たちがわっと湧いた。

「百聞は一食にしかずだぞ?」

「……それ違うでしょ」

 宴会の参加者たちがガハハハハと腹を抱えて笑う。


「とにかく、食ってみなきゃわかんないってなわけよ。ささ、一口だけでも」

 折谷は拗ねた子供みたいに険しい顔をしていたが、顕著に鈍くも、折谷の手がようやく動いた。立ち昇る湯気に顔を晒し、箸で具材を取って、小さな口に運んだ。

 俺は折谷の第一声を待った。もぐもぐと何度か咀嚼そしゃくし、ふわりと息を零す。そして。

「どうだ? おいしいだろ?」

「……思ったよりは」

 言わされた感はあるものの、あの折谷から充分に引き出せたのでよしとする。


「なな。それより聞かせてくれよ」

 長い袖のシャツをまくって、強引に半袖にしている頬のこけたオジサンが輝かせた瞳で投げかけてきた。

「な、なにをですか?」

「なにって、決まってんだろ」

「遭難備忘録だよ」

「酒の席にピッタリだな」

 どうやら俺たちを引き留めたのはこれが目的だったらしい。期待に満ちた眼差しが口を割らそうとしてくる。これが四面楚歌……というのか。逃げ場を失い、やむにやまれず俺はゲロってやった。


 冒険譚ぼうけんたん、というには語弊があるが、勇ましい体格をした男たちには、そうとしか聞く気がないみたいだ。

 俺はざっくりとあの日起こったことを思い返しながら語っていった。遭難した時のこと、海に孤立する岩場に流れついたこと、そこで折谷の体調が悪くなり、看病もしていたこと、食料と水を確保するため、必死になっていたこと。


 早々に聞くことのない体験談は、宴会の余興にうってつけだったようだ。実際、俺たちが遭難していた裏付けもあるだけに、一心に耳を傾けていた。いつの間にか、奇跡の帰還を遂げた語り手となり、時々Q&Aをさばきながら物語ってしまった。

 図らずもあの日のことを振り返ることになり、自分の声が語る物語を耳にしていると、本当に過酷な体験をしていたんだと思い知らされた。ほんと、よく生きてたな、俺たち……。

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