24  祭りの気に当てられて

 また少し歩いていくと、運動公園の広い駐車場を陣取る群衆と屋台の数々。涼しげな装いを纏う人たちの頬と腹は膨らんでいることだろう。

 ふと視線を振れば、金魚を入れた袋を手にする子供がいたり、お面をつける子供が走っていたりと、楽しげな光景が散りばめられている。

 まともに調理もされない鮮魚や病院食ばかりで、ジャンクフードは久しぶり。今にも唾があふれ出てしまいそうだ。


 折谷がどこに向かっているかはだいたい察しがついてきた。そして案の定、横文字が躍ったテントの一つが視界に入った。

 その店の中で頭にタオルを巻く、丸ぶちの眼鏡をかけたイカしたオジサンがふわりと柔らかな笑みを送ってきた。

「やあ! 藍原君に折谷君」

 お祭りの雰囲気も相まって、いつもよりテンション高めだ。

「もういいのかい? 体調は」

 浮島さんは眼鏡のレンズを曇らせながらフランクフルトを焼いていた。

「はい。おかげさまで」

 俺は苦笑を映えさせて返す。


「あれ? そういえば藍原君、今日退院じゃなかったっけ?」

「はい、さっき退院したばかりです」

「別に今日じゃなくってよかったのに。変更だってできたし」

「まあ、そうなんですけど……」

 俺はジメジメした重い視線を隣に流す。折谷は「何よ?」と言いたげに睨み返してきた。それこそ、俺よりよどんだ瞳で。


「何はともあれ、元気な顔を見られてよかったよ。見舞いにも行けずごめんね」

「気にしないでください。これでも、体は丈夫な方ですから!」

 俺は完全復活をアピールする。今更病み上がりを主張してこの場の流れを変えられるとも思えない。ていうか、ここまで連れてきた策士がそうはさせないだろう。

「なら、ちょっとだけ店番を頼んでいいかい?」

「浮島さんは?」

 折谷の問いに答えながら、鉄板でジュウジュウと鳴り散らす、串に刺されたフランクフルトを回していく。


「フランクフルトが残り少なくなってきたから買い出しに行ってくるよ。もしわからないことがあったら、隣の放課後倶楽部の人に聞いてね。んじゃ、よろしく!」

 そう言って浮島さんはどこかへ行ってしまった。

「俺たちだけで大丈夫なのか?」

 俺は不安を吐露する。

「フランクフルトはあたしがやるから、接客をお願い」

「おっけぇ」

 辺りは少しずつ昼と夜の変わり目に入り、電飾が灯る。それと共に屋台エリアに来る人も増えてきた。俺たちはせっせと小腹を空かせた人たちにフランクフルトを売っていく。


 サバイバルから帰還した二人とあって、多少有名人になってしまったようだ。たびたびお客さんに心配していたとの声をかけられた。こうして同じような対応を迫られるのも、不用意に満潮の離岸流へ入ったのがいけなかったのだ。

 他の屋台から眩しいくらいの光が目を焼きつける。楽しげな声の数々はぼんやりと、しっとり湿って張りついてくる。忙しさが落ち着き、頭がふわりとぽわぽわする。ガラじゃないが、不思議だ。


 その時、右腕に軽い衝撃を受けた。視線を下ろすと、折谷の肘が今にも当たりそうな位置にあった。

「大丈夫?」

「な、なにが?」

「ぼーっとしてるから」

「あ、ああ、大丈夫。なんでもないよ」


 折谷は数秒じっとこちらを見据えると、スッとほどよい焼き加減をつけているフランクフルトに戻した。

 今の折谷の顔はなんか今までと違ったような……。たぶん、俺の体調を心配してくれたのだろう。

 俺はトレイに入れられた二本のフランクフルトにケチャップとマスタードをかけて輪ゴムで閉じ、綺麗に受付机に並べていく。

「ありがとう」

 不意に、折谷が静かに言葉を落とした。


「これくらいどうってことないって」

 俺はお客に渡せるようにしていたことを答えたのだが。

「そうじゃなくて……」

 鉄板についた小さなフランクフルトの塊をへラを立ててこすり出した折谷は、染み込むような口調で言葉を続けた。

「君には迷惑をかけた。命も、救われた」

 俺は微笑を零した。


「バディを見捨てられないだろ」

 折谷は思い悩む顔をわずかに下に向け、口を閉ざす。鉄板をこする音が繰り返される。

 喜々とした祭囃子まつりばやしの声。俺たちの間を行き交うのは、お祭りに躍らせる心じゃない。なんだか感慨深い光景に思えた。あの日見た、マリンフェアリーの光のように……。

「折谷の父ちゃん、喜ばせたかったんじゃないか?」

「え?」


「マリンフェアリーを見た時、すげえワクワクした。海の伝説マリンフェアリー。トレジャーハンターや写真家が一度は見てみたいと思う光景。伝説の光景を写真に収めれば、注目を浴びることができる。写真の価値だって高くつくはずだ」

 折谷の顔が曇っていく。

「わかっていたんだろ? 父ちゃんが家族のために、マリンフェアリーを探してるんだって」

 折谷の手は止まり、鉄板の横端にへラを置いた。


「あの人とお母さん。一度も喧嘩したところを見たことないくらい、仲がよかったの。夢だった綺麗な海の島に住んで、ダイビングスクールとショップを一緒に叶えて、幸せそうだった。なのに、お店が潰れるかもしれないって聞いた」

「どういうことだ?」

「経営は苦しかった。お父さんは、絶対にお店を潰したくなかったの。夢を追ってこその人生だ。お父さんの口癖だった」


 折谷はふうと小さく息を吐き、顔を上げる。遠い目をして夜を落とす空を見つめた。星も顔を出し始め、小さな光をちらつかせていた。

「元々、お父さんはマリンフェアリーを知っていたから、樫崎島に移住したかった。でもそれは、自分の夢を叶え続けるためでもあったの。綺麗な海が近い島に住んで、お父さんとお母さんでマリンショップとダイビングショップを営んで、あたしたち家族がいる。きっと、諦めたくなかったんだと思う。自分が口にしたことを、信じていたから」

 おばさんが目の前で立ち止まり、フランクフルトを三つ注文した。折谷の話に頭を持って行かれつつ、接客に努めていく。


「だから言えなかった。あたしたちのために、頑張ろうとしてくれているお父さんを。お父さんの夢を、奪えなかった」

「ありがとうございました」

 俺は買ってくれたお客さんに対し、軽く頭を下げて感謝を示した。


「あたしが引き留めていれば、お父さんは……」

 折谷がどれだけ引き留めていようと、折谷の父ちゃんは諦めなかったんじゃないか。折谷の父ちゃんがどんな人だったかなんて知りようがないが、そう思えてならない。

「そうだよな」

「え?」

 俺は薄く微笑んだ。

「いいんだよ。後悔したって」

 俺は折谷に顔を向ける。


「代わるよ」

「うん……」

 俺と折谷は立ち位置を変え、俺は鉄板の前に立つ。油を敷き、ツマミを回す。

「折谷の父ちゃんは、憶えていてくれて嬉しいと思ってるはずさ。自分の夢や言葉を。ちゃんと父ちゃんのことを大切に胸に残して、息してんだから」

「……」

「そりゃ、折谷の父ちゃんの夢は断たれたってことになるんだろうけど、残ってるものだって、確かにあるだろ」


 鉄板の上で油が弾ける音。鉄板の横に視線を移す。台座の上の袋詰めされたフランクフルトを取り、ハサミで袋の端を切っていく。

「それに、夢は終わるだけじゃない。始まりだってあるんだ。お前だって、そんな夢の一つや二つ、あってもいいだろ。きっと、折谷の父ちゃんは、そんな話もしたかったはずだ。成長したお前とな」


 鉄板の上に並んでいくフランクフルト。いい音が鳴り始め、俺は口をつぐんだ。

 折谷は何も言わなかった。でも、この前とは違う。折谷から敵意の視線は感じられず、俺はそっと待っていた。折谷は哀しげに沈んだ表情で、ほんの少し顔を下げている。

 俺と折谷を素通りして、お祭りに沸く人たちの姿が浮かぶ。いろんな人たちが行き交う姿の中には、家族の姿も多い。親と並んで歩いて、笑顔を交わす親子が人波に消えていく。命が儚く尊いものだと聞くが、一緒にすごせる一日もまた、儚く、尊いのだろうか。


 もし、俺が死んでいたらと考えたりしながら、フランクフルトの鉄板に触れる部分を変えていく。

「よう! お待たせ」

 俺たちのしんみりした空気を打ち破るように浮島さんが戻ってきた。三箱の段ボールを乗せて台車を押してきていた。


「ん、ちゃんと真面目に売ってるね。感心感心」

「俺たちが普段からサボってるみたいな言い方やめてくださいよ」

「あれ、違ったっけ?」

 まったく、油断も隙もないな。

 調子のいいオジサンの冗談にへきえきしながら台車に近づく。

「これも調達品ですか?」

 俺は段ボールの上に置かれたビニール袋を指差す。


「ああ、差し入れだ。ほれ」

 俺は受け取った袋を覗き見る。中にはペットボトルのジュースが入っていた。

「折谷君ももういいよ」

「もういいって?」

「交代だよ。祭りを楽しんできていいよ」

「でも俺たち、そんなやってないですよ?」

「浮島さん一人で大丈夫ですか?」

 浮島さんは口角を上げて笑う。

「大丈夫大丈夫。もう少ししたら柴史しばふみさんが来るから。さ! 子供は行った行った!」


「ちょ⁉ 押さないでくださいよ」

 浮島さんはフランクフルトが入った二つのトレイを俺たちに渡し、屋台から強引に追い出した。戸惑いながら振り返ると、やり切ったかのように満足げな顔をして手を振っている。まあでも、こんな早く雑用が終われたのだ。とりあえず喜んでおこう。

「よくわかんねえけど、行こうぜ」

「うん」

 俺たちは一仕事終えた感を抱えながら、お祭りにいろどられた町へ再び繰り出した。

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