21 伝説
細かいことを抜きにして、俺は折谷に入水の準備を
俺は空気タンクを背負い、海へ入った。
「あたし、病み上がりなんだけど……」
不満げな表情で見下ろす折谷。納得いかないのも無理はない。さっきまで入らない方がいいと言ったのは俺だ。
前言撤回。折谷の体は心配だったが、無論、折谷の体調を配慮しながら潜るつもりだ。
「いいから来いって。絶対驚くから」
俺の興奮気味な説得にいぶかりつつも、折谷は海の中に入る。
「そんじゃ誘導するから、俺の腕を掴め」
折谷は唇をゆがめて睨んでくるが、何も言ってこない。渋々といった様子で近づき、腕を掴んだ。
「またはぐれたらマズいからな。手、離すなよ?」
「そこまで弱り切ってないし」
折谷はむっとして反論する。
「油断は禁物だ」
俺は黄色いレギュレーターを持ち、折谷に差し出す。
「ほれ、これ」
折谷は差し出されたレギュレーターを
「あなたは?」
「俺はバックアップ用でいいよ。それに……」
俺は言葉に詰まりながら続ける。
「これ、一応お前が使ってたヤツだし」
「え、君のじゃないの?」
「ああ、流されてる時に空気タンクがダメになってな。捨てたんだ」
「そう。あなたにしては柔軟な判断ね」
ツンツンした口調で言いながらレギュレーターを受け取る。
「でも、空気タンクの残量、そんなにないでしょ。どこまで行く気?」
「ちょっとそこまでだ。大丈夫だって。少しくらいなら、レギュレーターなしでも俺行けるし」
釈然としない顔が折谷の不安を映し出した。
実際、さっきまで空気タンクなしで行けたし、岩の壁に手をつきながら潜れば、そんなに流されることもない。あの時みたいに流れも速いってわけじゃないしな。
「んじゃ、潜るぞ」
「うん」
俺たちは息を合わせて海面に頭を突っ込み、青い世界へダイブした。
全身を包む柔らかな海は、呼吸の音を鳴らして俺たちを迎えた。
艶やかな色をした魚たちは、岩の隙間で休んでいる。
多少流れはあるが、焦るほど速くはない。俺は折谷の様子を確認しながら潜っていく。
折谷はしつこいと言いたげに睨んできたが、ダイビングの例にならってオッケーサインを示してきた。無用な心配……ということだろうか。
俺は時々バックアップ用のレギュレーターを取り、口に引き寄せる。できるだけ最小限の空気で潜水する。
少しずつ、少しずつ。深くなっていく。それと共に、海水は冷たさを増していた。
太陽の光がかすかに届く程度になってくると、折谷が腕をグッと下へ引っ張ってきた。
近くの岩に掴まり、折谷に視線で尋ねる。
二度人差し指を下に向け、オッケーサインのジェスチャーを見せると、次に人差し指ではてなマークを書いた。
これ以上潜っても大丈夫か?
水深十五メートルくらいは来ただろう。俺は笑って親指を突き立てた。
俺は合図を出し、岩から離れる。
ダイビングはどんな状況であろうとパニックにならないこと。むやみに恐れず、まっさらな心で海と生きる。
普段陸で生活する人は、海にお邪魔しに行く側になる。だから海の環境を傷つけてはならない。
なんとなく、本当の意味がわかった気がする。
俺たちに傷つける意図がなくても、傷ついてしまうことだってあるだろう。流れつくゴミや汚染水。人が生活していくには、必要なことなのかもしれない。
でも、俺たちは海があるから、新鮮な海の幸にありつけている。これはれっきとした事実だ。そうして、俺たちは力いっぱい生きていられる。
たくさんの恩恵を受けて生きていられることに、俺たちは感謝の気持ちを持って海の美しさを保つ手伝いをしている。きっと、海美活動はそういう意味があるのだと思う。
俺たちは泳ぎを止め、海中に浮かぶ。
俺は深く暗い海の下に目をやり、確認する。俺の右腕がぐっと引っ張られる。
折谷は疑問を表情に張りつけていた。
俺は微笑み、下を指差す。
俺たちは海の下をじっと見つめる。
あまりに深い海底は見えない。俺たちが寝床にしていた、二つの隆起する岩がずっと下まで続いている。岸壁に生えた海藻がゆらゆらと揺れていることしかわからない。
数秒後——状況は一変した。
暗い海底から浮かび上がってくるもの。
小さな白い光が一つ、また一つ、また一つ。星空をひっくり返したかのように海底が
小さな光はどんどん俺たちに近づいてきている。海中を漂いながら、俺たちの横を通りすぎ、ゆっくり、ゆっくり、上昇していく。
暗い海で、この無数の小さな光……間違いないだろう。マリンフェアリーだ!
海の宝と呼ばれる伝説の景色。
俺の父ちゃんと折谷の父ちゃん、他のロマン家が求めていた景色。思わずため息をついてしまうほど、俺たちの心を魅了していた。
そばを通った光をよーく見てみると、キノコのような丸みを帯びた傘が細くて頼りない複数の糸を垂らしている。
この光の正体は、とても小さなクラゲだった。
何を思ったのか、折谷は小さな光に手を伸ばした。全体的にちっこいから足も短い。その足を細かく震わせて必死に逃げているが、折谷の手に触られている。
折谷の指と同じくらいの体しかないクラゲのその挙動は、ちょっとかわいらしかった。
いつの間にか、俺たちの周りは小さな光で満たされている。全方位に小さな光に囲まれるその光景は、海水の冷たさを忘れるほど温かな気持ちになれた。
俺が折谷に視線を向けると、視線が交わった。
柔らかな黒髪が揺れている。澄んだ瞳をした折谷の顔が、目と鼻の先で優しい笑みを灯した。つられて、俺も思わず笑っていた。
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