《貴方の名前は》
自分が花咲茨という成人男性だったことを思い出したのは、五歳のときだった。
公爵家の次男として生まれ、この国の第一王女殿下の婚約者となるお見合いのようなものに出向いた時のこと。
華美な王城の庭園で、彼女と出会った。
毛先に行くにつれて赤く染まる黄金の髪が風に靡き、ふわりと広がる。
周りの景色を取り込んだ瞳が俺を貫いた。
視線だけではない。
存在感、王者の風格とも言える何かが俺を掴んで放さない。
ずっと釘付けにされてしまいそうになりながらも、俺は自身の責務を全うした。
「お初にお目に掛かります、プロテア殿下。
私はブロッサム家次男、ローズ・ブルーム=ブロッサムでございます」
────
聞き慣れた自分の名前のはずなのに、酷く違和感を持つ。
まるで、自分では無いみたいに。
殿下の燃えるような髪と虹にも見える白色の瞳も。
この違和感も、魚の小骨のように喉に引っ掛かっている。
この感覚は生まれてからずっと、俺を苛めていた。
何か重要な何かを忘れてしまっている気がするのだ。
しかし、今そんなことを考えている暇は無い。
今日の俺に課された使命は王女殿下の遊び相手。
いずれ結婚することが決まっている少女を、持て成すこと。
ゆっくりと頭を上げる。
今度は彼女の雰囲気に呑まれないようにしようと思いながら。
再び見える彼女の顔からは、表情が抜け落ちていた。
先程まではそんな顔はしていなかったのに。
今の数瞬で何か気分を害してしまったのだろうか。
不安になっていく心に鞭を打って、口を無理矢理動かした。
「王女殿下は植物がお好きなのですか?
私も植物が好きで……」
「本当……!」
いきなり飛び付いて、手を握って来る。
その勢いに気圧されてしまい、一歩退いた。
「……ええ、本当ですよ」
「どんな花が好きなの?!」
「薔薇です。色は問わず」
高い歓喜の声を上げて、少女は強引に俺の手を牽く。
「こっちに薔薇が沢山あるの! 見ていくでしょう!
いえ、見ていきなさい!!」
「……は、はあ」
半ば引き摺られるようになりながらも、彼女の後をついて行く。
庭園の中を右に左に曲がりながら辿り着いたのは、立派な薔薇の園だった。
少女は手を離し、俺の目の前で大きく広げた。
「どう、とっても綺麗でしょう?」
「……ええ、とても。今まで見た何よりも美しいです」
美しいとは、どれに向けた言葉だったのだろう。
いや、どちらにも向けた言葉だったかもしれない。
だって、満開の薔薇も少女の笑顔も、どちらも目に焼き付くほどに輝いていたのだから。
始めてみたこの美しい景色を────違う、この景色を俺は知っている。
“俺”は知っている。
『聴いてよお兄ちゃん!
プロテア様のこの顔めちゃくちゃ美しくない?!
マジ国宝!』
小さな端末の液晶。
そこに映る美丈夫と薔薇園のイラスト。
ああ、そうだ。
プロテアは、プロテア・ブルーム=フラウは《フラワリング・エンゲージ》の攻略対象だ。
脳内に溢れ出す未知の記憶、忘れてしまっていた記憶。
やっと、見つけた。足りなかったものが見つかった。
頭痛で意識が途切れそうだ。
でも、まだ俺は倒れるわけにはいかない。
まだ、やらなければいけないことがいっぱいある。
覚束ない足をどうにか誤魔化して歩み寄り、プロテアと話す。
やれこの花はこういうところが美しいだの、やれこの花は育てるのが大変だの、俺が話せる範囲で植物のことばかり。
そこに氷のような面影は無く、ただ好きことに一生懸命になっている少女がいるだけだった。
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