覇王爆誕

 花火大会から、そう日を置かずして夏休みが終わる。

 新学期が始まり季節も段々と秋へ切り替わっていくはずなのだが、どうにも残暑が厳しく、なかなか夏そのものが終わりそうにない。

 休み前と変わらずエアコンがフル稼働する教室で、金森はグデェッと机に突っ伏していた。

 暑がりで冬でもセーターの着用を拒否することがあり、春、夏、秋は常にブラウスのボタンを二つ開けている金森だ。

 すっかり暑さに参ってしまっているというのもあったが、実のところ夏休み気分が抜けず学校に来ただけで疲弊してしまったというのが大きかった。

 すっかりダラけた金森を彼女の友人である友子と友美が交互につつく。

「響~、授業どころか学校も終わったのに、どうして寝てるの~? せっかく早く学校が終わったのにぃ、テンション低くな~い?」

「つーか金森、清川さんと赤崎はどうしたの? 二人と一緒じゃないの珍しくね~?」

 おっとりとした垂れ目にのんびりとした喋り方が可愛らしい女性が友美であり、ショートカットのハキハキとした話し方をする女性が友子だ。

 友美がムニィ……とゆっくり金森の二の腕に指を沈めていくのに対し、友子の方は高速で腕をつつき回している。

 初めの頃は「ん~? うん……」と生返事を繰り返していた金森だが、二種類の騒がしいつつきを無視できなくなったのか根負けし、面倒くさそうに顔を上げた。

「まったく、うるさいわね。藍と赤崎は、今日はお出かけみたいよ。そして、私は暑すぎて全ての気力を失っちゃったのよ。あー、アイス食べたい! 涼しい教室から出たくない~!!」

 上げた顔を再び腕の中に隠し、喚きながら指先でトントントントン! と机を弾く。

 あまりの怠惰ぶりに友子が苦笑いを浮かべた。

「駄目だ、コイツ」

「あ! そうだ、響~。暇ならカラオケに行こ~、私さ~、どうしても晴らしたい憂さというかぁ、ストレスがあって~」

 パチンと手を叩き、ニコニコと和やかに笑う彼女には、とてもストレスが溜まっているようには思えない。

「ん? 良いけど、ストレスが溜まるって何があったのよ。課題が終わらなくて徹夜でもしたの? 私は三日ぐらい連続で徹夜して寝不足になったけど」

 面倒くさがりな金森は過去に何度も宿題を溜め込んで泣きをみた経験があったため、定期的に宿題に手をつけてはいた。

 だが、計画的に行動するというのにも向き不向きはある。

 ついつい数学の宿題に着手することを先延ばししていたら、夏休み最終日の前日までワークが丸々一冊、残ってしまった。

 しかし同時に、長期休みの最終日は何も考えずにダラけるのが至高という考えが金森の中にはある。

 己の意地とプライドをかけてでも死守してきた長期休み最終日の平和を今回も守るべく、金森は最後の一週間を宿題で溶かし、ワークも一日をまるっと費やして何とか終わらせたのだが、その内、三日間は徹夜となってしまった。

 おかげで夏休み最終日、すなわち昨日は自堕落に過ごせる日となったのだが、それまでの無茶がたたり眠るだけの日になっていた。

 まあ、金森本人は無駄になってしまった半日を惜しみつつも、寝不足が直ったことと睡眠の心地良さに満足そうなので問題は無いのかもしれないが。

 ともかく、似たような経験をしたのか、あるいは財布でも落としたのだろうかと金森が首を傾げていると、友美がムニンと柔らかい口を開く。

「彼氏が浮気したの」

 何が起こったのか、一言で分かる簡潔な言葉。

 普段のようにフワフワとしているわけでもないが、低く重々しいわけでもない淡々とした声だ。

 しかし、その言葉を出した瞬間、一気に空気が重くなった。

 姿を見ずとも伝わってくる強烈な負の感情に金森はドキッと心臓を鳴らすと、恐る恐る顔を上げ、友美の表情を盗み見る。

 彼女の表情は「無」だった。

 無のまま、一の文字に結ばれた口を開く。

「私もあんまり構ってあげられないことがあったし、性格が合わないのは仕方が無いよ。でも、浮気って何? 浮気って。浮気ってあれでしょ、地獄行きの屑の所業でしょ。せめて他の女と付き合う前に私と別れられなかったの? ていうか、私と付き合ってた時点で他の女のケツを追っかけてたってこと? 私、別によそ見とかしてなかったけど? けっこう気も遣ったし、ちゃんと愛してたよね? 大体、キープって何? 私、この世で一番嫌いな概念と言葉なんだけれど。屑に使う時間だって持ち合わせてないし。大体、こっちを振るみたいな雰囲気になってたけど私の方から願い下げというか、そもそも前の彼女、まあ、私のことだけど、その容姿や性格を大した理由もなく貶して女とヘラヘラ話を盛り上げるために使う奴は本当に屑だし。まあ、アイツに解放されたと思えばまだマシだけれど、でもムカつくものはムカつくし」

 一度でも話し始めれば蛇口の壊れた水道のように言葉と負の感情が溢れて止まらなくなる。

 噛むことなく舌がクルクルと回り続けて浮気への恨み辛みを弾き出す。

 据わりきった目でマシンガンのように言葉を飛ばす友美に、金森はすっかり怯えている。

「落ち着け、落ち着け! 金森がビックリしてるから、せめて語尾を伸ばせ! いつものホワホワ喋りになろう! な!!」

 怒りのオーラがメラメラと燃え盛っている友美の肩を慌てて友子が掴み、宥めるようにワシワシと撫でる。

 しかし、返ってきたのは舌打ちだった。

「私~、彼氏持ちのラブラブバカップルな女の子に宥められるとぉ、怒りでグルグルしちゃうなぁ☆」

 口元はご機嫌に弧を描いているが、目がキマっていて一切笑っていない。

 友美は己の肩を掴む友子の両腕をガシッと掴み返すと、ガンギマリの笑顔のままズズズとにじり寄った。

 多少は余裕があったはずの友子も慌てて腕を振り払い、

「わ、私、語尾に星つけるやつ初めて見た! 助けて金森!!」

 と、金森に助けを求めて縋りつく。

「おわっ! ちょっと、暑いんだから抱き着かないでよ」

 ガタガタと震えて涙目になりながらへばり付く友子を剥がす金森だが、友子の方も必死なので、何度突き放されても抱き着きにかかる。

 二人分の体重を支えたり、支えなかったりする椅子はギシギシと悲鳴を上げて苦しそうだ。

 モタモタと争っていると、覇王の風格を持つ友美が手のひらでバンッと机を叩いた。

 そして、一つの椅子を分け合っていた二人が同時に自分の顔を見たのを確認すると、金森の顔面を覗き込み、

「響は私のお友達だよね? 非リアだもんね?」

 と、暗い笑顔を見せた。

 とんでもない圧力だ。

 頷かなければ、

「ならばくたばれ!」

 と、アイアンクローで顔面を握り潰されることだろう。

 命乞いの如くコクコクと頷こうとしたのだが、友子に素早く両頬を押さえられ、イエスマンを阻止されてしまった。

 金森も必死だが友子だってリア充な分、いや、リア充だからこそ誰よりも必死になるのだろう。

「何言ってんだよ! 最近、金森はやたらと赤崎とイチャついてるだろ。金森は私の側の人間だ! 異論は認めないからな! 金森助けて~!!」

「ちょっと、本当にやめなさいって! そして、赤崎とはイチャついてない!」

 ギューッと抱き着かれれば友子の頬を押しのけて彼女を引き剥がす。

 友子は勿論、負けずに金森に引っ付いて、

「金森はリア充側だ!」

 と喚く。

 そうやって醜い争いを繰り広げていたのだが、目を離した隙に、友美が自分たちのすぐ隣にまで移動していたのだと気が付くと死を悟り、二人は仲良く抱き合ってカタカタと震え始めた。

『殺られる!!』

 友美の両手が伸びてきた瞬間に金森はギュッと目を閉じて小さくなったが、数秒後にやってきたのは柔らかなぬくもりと花を思わせる柔軟仕上げ剤の香りだった。

 上から落ちてきて、金森と友子の髪を濡らすヌルい水滴は友美の涙だ。

「響~、友子~、カラオケに付き合ってよ~! 私と一緒に魂の底から叫ぼうよ~! あんな奴、あんな奴! うわぁぁ~」

 ケホケホと咽ながら鼻声で喚く。

 友美は号泣して二人にギューッと抱き着いていた。

 いつの間にか、自分たちの頭上から胸元へと移動していた友美の頭や震える肩を金森が優しく撫でて、友子がポケットからハンカチを取り出す。

 それから金森と友子は目を見合わせ、ニッと微笑んだ。

「勿論! 私は最初からその予定だったもの」

「ドリンクバーを入れてソフトクリームを大量に食べましょう。満腹で心を満たすのよ」

 二人で一緒に元気づけてやれば、友美は涙でボロボロになった顔を上げ、

「響も歌うんだってばぁ!」

 と、不満を漏らした後で嬉しそうに笑った。

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