第7話 君の名前の星

 *


 具合が悪く昼間に多く寝ていると、ポーラは夜にアルテルを呼び出すことがあった。


 一緒に、月や星を見ようと誘うのだ。

 その頃のアルテルは星に興味はなく、もっぱら彼女が準備してくれる焼き菓子につられて来ていた。 


「星と星をつないで作るのが星座というの。昔の人は、その形からいろいろなお話を想像したんですって。アルにも教えてあげる」


「お話なんて、役に立たないだろう」


 目の前のクッキーに夢中のアルテルは、窓の外に見向きもしない。


「そんなことないわ、星座が覚えやすいじゃない?」


「新年や、祭りの日以外の夜は寝るものだ。星なんて見やしない」


 興味なしというと、めずらしくポーラが静かである。

 クッキーの皿から目線を上げると、彼女が頬を膨らまし怒っていた。


「わかった。怒るなよ」


 頭をかきながら、ランプの明かりを消し窓を開ける。

 草の匂いのする夏の夜風が鼻先を撫でると、山の稜線の向こうに、宝石を散りばめたような輝く星々があらわれた。


「あれが、カシオペア。北斗七星」


「星座なんて興味ない」


 そういいながらも、アルテルは美しい星空に魅入った。

 不意に温かな気配を感じ隣を見ると、ポーラがアルテルに寄り添い、空の一点を指差した。


「あの星だけは覚えて、北斗七星を少し伸ばすと見つけられる星があるの。北極星ポーラ・スター

「お前の名前と一緒?」


「そう、あの星は無力で小さくて見つけにくいけど、決して動かないから夜空では目印になるの。道しるべの星よ。迷ったら探して、私が死んでも輝き続ける星だから」


 北極星を探すとき、アルテルは必ずポーラが言ったことを思い出し北斗七星を頼りに探す。

 だから、アルテルの飛行機に描かれた星は北斗七星と北極星の計8つの星で間違いない。


 誰にも教えていない。北極星は彼だけの秘密だった。


 *


 自分が死しても、輝く星……。


 北極星の話をしたとき、ポーラは14歳ほどだったはずだ。

 どんな思いで、教えてくれたのかを考えるといかに自分が子供だったかをアルテルは思い知らされる。


 ポーラがいなくなったら、道しるべもなしに俺は進んでいくことなどできるのだろうか?


「星もないのに、今はどうやって目的地へ向かっているの?」


「高度計とコンパス、燃料の残量からどの辺を飛んでいるのかを計算する」


 暗がりの中で、うっすらと赤く光る計器類を指差す。

 しかし、人生にはこんな便利なものは存在しない。


「計算、苦手じゃなかったの?」


「できなかったら、飛行士になれないだろ……」


 昔は、あまり得意ではなかったが、ポーラが教えてくれたおかげで基本的なことは身についており、飛行士に必要な計算を覚えるのに役に立った。

 けれど、こんな闇夜では計算ができても、手探りであることには変わりない。


 同じ夜でも、星があるのとないのでは大きな違いがある。

 星があれば、天と地の違いが分かる。


 闇夜では、それすらわからない。

 長く飛び続けると、逆さになり地に向かっているのではないかと不安になる。


 そんなときは、首にかけているクロスを取り出す。

 彼は、特に信心深いわけでもなかった。

 ただ、このクロスは仕事をはじめたときにポーラがお守りにとくれたものだ。


 金色の鎖の美しいクロス。


 それが胸元で輝いていることを確認し、安堵する。

 天地が分からないときでも、こうすれば重力を感じることができる。

 それだけではない。自分の身を案じてくれる人がいる。そう思うだけで追ってくる孤独感から逃れられた。


「アルは、高いところも、暗いところも嫌いだったのに、もう大丈夫なの?」 


 ポーラは、姉役の威厳を保てず、さびしそうな声を出す。

 アルテルは笑った。


「そうだな。今は大丈夫だが、夜の礼拝堂なんかは怖かったなぁ」


 *


 牧師が礼拝堂に忘れ物をしたとかで、子供の頃ポーラとアルテルの二人で取りにいったことがあった。

 男だからとアルテルは、強がってみせていたがその足が震えていることをポーラはすぐに気が付いた。


「幽霊が怖いの?」


「怖くなんてないさ」


「ここに出るようなのは、歴代の村長さんとかアルのご先祖くらいよ」


「わかってる!」


 大きな声を出すと自分の声が響き、それにすら驚いてしまう。

 アルテルは、幽霊になってまでこの世にとどまるほど、未練を残すというのはどういうことなのか考えるだけで怖いのだ。


「そんなに怖がることないわよ。もし、出てきてもみんなのことを心配しているだけだから、元気だよって笑ってあげてね」


「ポーラは、女なんだからそういうのを少しは怖がれ」


 ポーラは、アルテルに女らしくないと言われたことにムッとしていたずらを考えた。


「あ、アルの後ろに白い影が……」


 アルテルの後ろのなにもない壁を指して、ポーラが言うとアルテルは飛び上がった。


「うわぁああ!」


「くすくす」


「だましたな!」


 真っ赤になって怒る頃には、怖さは吹き飛んでいた。



 次々に思い出される昔の記憶。

 自分は、ひとりぼっちだと思っていたがどの場面にもポーラがいた。

 何度、寂しさから救われたことか。


 ポーラは、いつだって強かった。

 同じ歳なのに、姉さんのようにふるまい、なんでも知っている。

 昔は、それが少し腹立たしいこともあったが、改めて思い返すとそれはいつも暖かく安らぎに満ちていた。


 *


「ポーラ。怖がりだったのは昔の話だ……。もう、子供じゃない」


 そう、子供ではないからポーラを救えると思っていた。


(なのに、ポーラが一番苦しい時に俺は逃げ出した……)


「そうよね。アルはもう一人前の飛行士だものね。勇敢でかっこよくて、自由で……みんなのあこがれ。私の手は届かない、空の人だもの。

 私は、もうアルには必要ないのね……」


 その言葉が、今にも消え入りそうに聞こえ振り返ると、本当にポーラの姿がにじんでいた。

 闇に溶けかけている。


「待ってくれ!」


 まだ、俺は何も伝えてない。


 革のジャケットの上から、胸元を抑える。

 そこには、ポーラのクロスがあった。


 これが最後なのか?


 本当に?


 実感がないんだ。



 いかないでくれ。

 俺に時間をくれ!

 


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