第3話 空の上の後悔

 *


 仕事で得た収入は、惜しげもなく牧師に渡された。


 それは、決まって早朝の静かな礼拝堂であった。

 涼やかで澄み切った空気の中、牧師が一日の始まりの祈りを捧げる。

 その時間に、いつも牧師がひとりでいることをアルテルは知っていたからだ。

 アルテルもその隣で祈りを捧げ、そのあとに厚みのある茶色い封筒を牧師に渡す。


「アルテル、これはいったい?」


 フェイス牧師は、最初それが何を意味するのか分からずに受け取り、中身を見さらに驚く。

 街で会社勤めをする者の給金の倍近くの金が入っていたからだ。


「ポーラの治療費にあててほしい」


「いけません。こんなにたくさん。あなたが働いて得たお金ですよ。あなたの将来のために使わなければ」


「俺は、ただ食えるだけの金があればそれでいい。あとは、ポーラのために使ってくれ」


「しかし……」


「今まで世話になった礼になるとは思わない。けれど、ポーラに苦しい思いをさせたくないのは同じなんだ」


 幼馴染であり、両親を失ってからポーラは同じ年であるのに、姉のように母のようにアルテルをかまったものだ。

 今、ポーラまで失ったらと思うとアルテルは怖いのだ。


「アルテル……。すみません。あなたを頼りにさせてもらいます!」


「ポーラには、このことは教えないで欲しい……」


「本当のことを知らない娘は、あなたに失礼なことを言うかもしれませんよ?」


 ポーラは、体は弱いが口達者なことを父であるフェイス牧師はわかっていた。

 けれど、無口なアルテルにとっては、ポーラのおしゃべりはいつでも心地よいものなのだ。


「構わない。ポーラは、俺の妹みたいなものだから」


 本当にそれだけだろうか?


 もっと、ずっと胸が切なくなるような気持ちで想っているのではないか。

 アルテルは、ポーラの笑顔が好きだった。

 ただ、笑わせたいと思っても口下手な彼には気のきいた言葉など思い浮かばず、ポーラの心地よい話し声を頷きながら聞くだけであった。


 手元に残った給料では、街でしか買えない綺麗な細工のチョコレートを買った。


 子供の頃、牧師が人からもらったチョコレートを二人で分けて食べたことがあった。

 その時、ポーラがとても喜び病気も吹き飛んだかのような満面の笑顔をアルテルに向けたことを思い出したからだ。


 それから、仕事帰りのお土産は決まってチョコレートの詰め合わせ。


 ポーラにとって、それは最高に贅沢なことでありアルテルにとっては一番有意義な金の使い方であった。


 *


 暗闇の中で、聞きなれたプロペラ音と座席に伝わる振動がアルテルに大事なことを忘れさせていた。


「今回も、ポーラにチョコを買って帰ろう。そういえば誕生日も近かったな……」


 そこまで考えて、アルテルの思考が止まった。

 何かがおかしいことに気がついたのだ。


 ――― 娘は……。

     ポーラは、今晩が峠だと言われました。

     君のことを呼んでいるのです。

     そばにいてくれませんか?



 アルテルは、ポーラのために飛んで、ポーラに会いに帰ってきた。


 すべては彼女の薬代のためだ。

 生きて帰らなければ、賃金は支払われない。

 誰も家で待ってなどいなくてもいい。

 教会に行けば、ポーラが笑顔で出迎えてくれるから。


 しかし、彼女がいなければ、何のために飛び、何のために生きて帰ってくればいいというのだろう?


(彼女が死んでしまうなら、俺もこのまま燃料が切れるまでどこまでも飛び続けようか……?) 


 そうすれば、ポーラがいない現実を受け入れなくてすむ。


  自暴自棄な考えにとらわれ、アルテルはハッとした。


(俺は、何を考えているんだ。 自分の仕事に誇りはないのか?)


 けれど、逃げるために飛び立ったアルテルに着陸する場所などあるのだろうか―――。



 北極星を目指して飛んでいたはずが、いつの間にか雲に隠れ見えなくなっていた。


 頼りなく、コンパスで確認する。

 寒気が来るのか、操縦席を覆う窓が曇りだす。

 隙間からも、いつもより冷たい空気が入り込み体を芯から冷やそうとする。

 エンジンは持つだろうか?


 アルテルは、恋人の頬に触れるかのように機体を指先でそっと触れた。


 鉄が脈打つのを感じ、胸が切なくなる。


「ポーラ、死なないでくれ……!」


 どうしてそう、枕元で言ってやらなかったんだ。



 悔やまれても、ここは空の上。


 もう後戻りなどできなかった。

 

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