遊牧生活

あまるん

第1話

 ざわつく居酒屋の一角の空気がやけに輝いている。

「白黒の牧羊犬が飼いたい…」

 佇まいだけは上流の呟きの主は三十代に差し掛かる男性こと由真ゆま。安いスウェット姿にそぐわぬ高貴な犬によく似た高い鼻をしていた。

「飼ってどうするんだよ」

 先ほどから店員がこちらの卓を盗み見るのを相席の冴えない吊り目のスーツ姿の男が睨み返す。

「ビール二つ」

 店員にビールを頼み追い払うと吊り目の男こと阿佐見あさみは電子タバコを知らぬとでも言いたげな昭和の銘柄を燻らせた。

「探してもらうんだよ……、俺の無くしものを」

由真は手でタバコの煙を払うと、己のスウェットの襟の匂いを嗅いで鼻に皺を寄せる。

「スマホで鳴るやつあるだろ」

なんかこんなやつ、と阿佐見が手で輪っかを作るとそこに由真は卓越しに指を突っ込んだ。

「お前まじキモいな」

阿佐見は、忌々しそうに指を払うと胸をブワッと膨らませてから空間を紫煙で霞ませる。灰皿にタバコの先を押し付けて消すと店員が持ってきたビールを受け取り、一つを由真に押しやった。

「だってさー、誰かの荷物の中で鳴ったら気まずいだろ。犬だったらすいません、俺の犬がー、とかなんとか言えば」

 今どき流行りのはぁ?という冷たい声が阿佐見から返ってくると、由真はビールのジャッキをぐいっと傾ける。

「お前盗まれたって思ってるのか、眼鏡が」

「物が頻繁に無くなるんだよ。ペンとかタオルとか、あげくは眼鏡が」

「不注意じゃないのか?俺なら要らないね」

「お前に聞いてないから。俺のファンが欲しがってるんだって」

「それ嫌われてるんじゃないのか」

 辛辣な言葉に由真は居酒屋のカウンターの奥にいるであろう苦学生の姿を探した。

「犬がいれば、俺の無くした眼鏡を追い立ててくれるわけ。で、群れで集まってだんだん眼鏡たちの数も増えて俺は俺の眼鏡を欲しがる人に眼鏡を売って」

あれ、涙がと言いながら目元を拭う由真に阿佐見は、ため息を付いた。

「風呂の手すりのところに挟まってたぞ」

「え?」

阿佐見は眉間の縦皺を濃くしながら、カウンターの方を振り返った。何も無いことを確認してビールに手を伸ばす。

「いつも思うがあの眼鏡、何のために持ち歩いてるんだ?」

阿佐見の言葉に由真は何も言わずに微笑んだ。

「俺は眼鏡に興味は無いからな」

一応のように阿佐見が呟くと、由真はアフリカにいるであろう目が良すぎて本を読むのが疲れる少年を探した。

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