#10

「ごめんね……こんな事になるとは思ってなくて……」


 行きの甘い雰囲気は何処へやら、彼女の涙声だけが僕の車内に響いていた。


 僕はと言えば終始無言で、彼女の言葉すら上の空で聞き流している。

 反対される予想はしていたものの、まさかここまで気落ちする羽目になるとは思わなかった。


 今までテレビでしか見たことのない立派な日本家屋と庭園を持て余した広大な土地を見た僕は、彼女とは住む世界が違う事を嫌というほど見せつけられたようで早々に腰が引けていた。


 玄関に付けられたインターフォンを彼女は当たり前のように押して鳴らすと、中から着物に身を包んだ女性が現れる。


「ただいま、お母さん」

「お帰りなさい……この人が電話の?」


 浮き足立つ彼女をやれやれといった表情で宥めた彼女の母親は、「初めまして」と挨拶する僕の言葉を凍りつくような鋭い視線で睨みながら値踏みすると、はぁっと小さく息を吐く。


「……まぁ良いわ、中でお父さんが待ってるから早く入って頂戴」


 嫌な予感ほど的中する。


 残念ながらこの口振りに友好な感情は微塵も籠っていない。


 僕のマンションのリビングぐらいあるんじゃないかと思う程広い玄関の端に、小ぢんまりと靴を置いて上り端に足を掛けると、心臓が煩く騒ぎ出す。


 完全なるアウェイではあっても、斜め前を歩く彼女の横顔と、片耳のイヤリングが揺れて煌めくたびに我に返って呼吸を整えながら平静を保つ。それは一種の暗示で、彼女が掛けた魔法だった。


 染み一つ無い真っさらな障子と木目の美しい床が続く廊下を越え、鳳凰が豪華に舞う屏風の前に案内されると、ほぼ無意識で喉が鳴る。


 今にも足が竦みそうな僕の手を取って優しく包んだ彼女は、視線を前に向けたままで「行こ?」と囁く。


「……うん」

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