春になっても、君の隣で笑いたい

瑠目

拝啓、まだ離れたくない君へ

 凜冽な風が教室を吹き抜ける。

 まるで僕らの別れを急かしているようだ。


 ふと隣を見やる。

 そこには、今日をもって自分の席ではなくなる椅子に腰をかける梨花の姿があった。

 彼女は感傷的な表情を浮かべながら、その黒く艶やかな長髪を弄んでいる。


 僕の視線に気づいたようで、こちらを見ると悪戯な笑みを浮かべながら口を開いた。


「なんでまだここにいるの?

 もうみんなは卒業記念に食べに行ったりしてるよ」

「僕にそんな友達がいないの知ってるでしょ。

 そっちはどうなの」

「一緒に食べに行きたい友達待ってる」

「なんだよ、くそ」


 ふふっと笑う彼女。

 確かに、友達が多く、人好きな性格をしている彼女が今日という日を独り淋しく過ごす訳がなかった。

 同類だと踏んでかまをかけたことを後悔する。


 卒業式を迎えたこの日。

 僕達は卒業証書を得ると共に様々なもの失った。

 高校生ブランドや慣れ親しんだ母校、クラスメイトと毎日会えるという何気ない特権まで。

 

 僕にとっては目の前の梨花と別離することが無上の悲しみだった。

 そんな思いも露知らず、彼女は呑気に話しかけてくる。


「ねえ如月、これなんでしょ」


 彼女は写真を写したスマホを突き出してくる。

 顔を近づけて目を凝らすと、見覚えがあるものだった。


「はっ、これっ、僕の高一の学生証の顔写真?」

「正解! 大きくなりまちたね〜」


 小馬鹿にしてくる彼女は人好きな笑顔をしていた。

 その顔を見ると、全てを許容して共に笑いたくなる。


 そうだった。

 自分はこの笑顔に惹かれた。

 どこまでも無邪気で楽しそうなその笑顔に。


 でも、それを横で見ていられるのは今日までだ。

 明日からはそれぞれの新生活に向けて多忙を極める。

 彼女にとっては、数多の友人のうちの一人にしか過ぎない僕はもう会うことはおろか、忘れられる可能性も大いにある。


 内心ではセンチメンタルな風が吹く。

 それは彼女にとってどこ吹く風でしかないことを悟った僕は、いつも通り馬鹿みたいに笑うことに努めた。


「これ梨花が文化祭でヒロイン役したやつ」

「やっぱ超可愛いな、私」


「如月が修学旅行で説教受けてる動画、中島にもらった」

「あいつ流出させたな?」


 努めていたはずの笑顔はいつからか自然なものになる。

 これも梨花の力だろう。


 三年間の蒼い日々を清算する時間は無限にも思えた。

 どれも懐かしくて甘酸っぱい。

 今日の卒業式の写真まで見終わった頃には、時計の短針が6を指していた。

 

「はーっ、笑い疲れた」

「僕も同じく」


 二人して机に項垂れる。

 僕は伸びをするついでに反対側を向くと同じ体勢の梨花と目が合った。

 途端、高鳴り出す心臓を呪う。


 周囲に人気は無く、静寂が飽和していた。

 夕方の教室には金霞が差し込んでいる。

 そのせいで頬が紅く染まって見える梨花のように、僕も恐らく紅潮した自身の頬を誤魔化せることを祈った。

 そんな憂わしげなことを考える。


「きーさらぎぃー」

「なにー」


 彼女はその瞳を細めてこちらを見ている。

 顔には長い髪がだらんとかかっていた。

 どこか艶美さを纏うその姿に、再度胸が高鳴る。


「私的には如月と会えて良かったと思ってる。

 そっちはどう」


 唐突な嬉しすぎる発言に小躍りしたくなると共に、ため息をつきたくなった。


 僕はこんな感じで彼女に何度も困らさせる。

 彼女はどこまでも嬉しい言葉を掛けてくれるから。

 そんな彼女には僕も本心で応えたいと思わされるから。


「僕も高校に君がいなかったら退屈で死んでた」

「そっかあ」


 そこまで言うと梨花は身を翻した。

 彼女の表情はもう見えなくなってしまっている。

 どうも彼女らしくない様子だ。

 積年の意趣返しにと、僕は意地の悪い質問をした。


「どしたの、感極まって泣いちゃった?」

 

 梨花の返答は無い。

 彼女らしからぬ反応に、肩透かしを食らった気分だ。

 いつもの軽口も出てこない。


 冷たい沈黙が訪れる。

 

「私ね、中学のときは卒業式で悲しいともなんとも思わなかった」


 玉響の静寂を破ったのは彼女の言葉だった。

 彼女は未だ、こちらに後頭部を向けて机に腕を巻き突っ伏したままだ。

 そんな状態で言葉を続ける。


「別に友達がいなかった訳でも嫌なことされてた訳でもないよ。でも、上辺だけの友達って感じがしてたの」


 僕は無言で彼女の言葉に耳を向ける。

 そうして欲しいと言ってるように感じたから。


「馬が合わなかったんだろうね。

 休日遊ぶような子にも本心は出せなかったなあ。

 彼女たちが悪いとかはなくて、ほんとに何かが噛み合わなかっただけなんだと思う」


 そこまで話すと彼女はこちらを見た。

 依然として金霞に紅く染められた顔が目に入る。

 心なしか、瞳が潤っていた。


 梨花は小さく笑うと、口を開く。


「だから今びっくりしてるの。

 卒業式でみんなと離れることに、ここまで胸がいっぱいで苦しいって感じてる自分に」


 諧謔的に笑う彼女。

 少しずつ彼女の声が掠れていく。

 

「だって、さ、しょうがないよね。

 高校に入ってからは優しくて可愛い友達も、お腹が痛くなるくらい笑わせてくれる友達もできて、それに......」


 そこまで言うと、彼女は言葉を一度止めた。


 その細めた瞳から涙を一筋流している。

 内に秘めた激情を視線で僕に訴えかけているようだ。


 少し間を置くと、彼女はその続きを言葉にした。


「大切な人までできちゃったんだから」


 彼女の言葉を聞いて目頭が熱くなる。

 同時に、どうしようもない多幸感に襲われた。


 

 この言葉が誰を指すか分からない訳じゃなかったから。

 僕だってそんなに鈍感じゃないのだ。


「ねえ如月。私、離れたくない......」

 

 堰を切ったようにぼろぼろ涙を零す梨花が呟いた。

 涙に濡れた彼女の顔を見て愛おしく感じてしまう。


 だが、こんなときに気の利いたことも言えない。

 自分の情けなさを悔やむ。


 意気地のない僕は今何ができるか。

 そんなの、思ったありのままを伝えるくらいだろう。


「僕も、離れたくない。

 ずっと離れたくない。

 梨花のことずっと好きだった」


 想いを伝えた。

 この行為がどれだけ幸せなのか知らなかった。

 僕の体を幸福感が包み込んでいる。


 梨花は僕の言葉を聞くと、更に泣いてしまった。

 ぶわっと溢れた涙をせかせかと裾で拭っている。


 僕らは、お互い机に突っ伏したまま見つめあっていた。

 傍から見ずとも不格好な光景だ。

 いつの日にか思い返すと小っ恥ずかしくなるであろう記憶の1ページすらも、学生時代というフィルターが甘酸っぱい過去として偲ばせてくれることを祈り、あえて体勢は変えなかった。


「梨花も僕もお互いにお互いが好きなんだ。

 離れる理由もなくない?」

「うんっ......ない゙っ!」


 涙ぐんだ声でそう答えた梨花は、ガタッと音を立てて勢いよく席を立ち上がった。

 驚いて体を起こすと、彼女は僕の懐に抱きついてくる。

 小柄な彼女は上目遣いで僕を見上げると、口を開いた。

 

「もう離さないから」

「こっちこそ」


 思わず彼女の頭を撫でる。

 それに、はにかんで笑ってくれる梨花。

 こっちも照れくさくなってしまって、誤魔化すように笑った。


 しばらく、愛を分かち合う刻が続いた。

 それぞれ内に隠していた恋情を愛情にすることを許されて抑えることなどできなかったから。

 

 どれくらい時間が経ったかも分からない。

 自分達の時間から世界の時間に意識を合わせようとしたときには、もう外は薄闇に包まれていた。


 おもむろに梨花が口を開く。


「ねえ、今から近くのイタリア料理の店行かない?

 最近インスタで友達がめっちゃ行ってたの」

「ピザとか好きだから大歓迎。

 あ、でも人気なら知り合いとかいるかもしれないよ」


 彼女はそれを聞くとムスッとして僕を睨んだ。

 悪気はなかっただけに困惑する。


「私と一緒にいるの見られたらまずいんですか?」

「そのようなことは一切ございません。

 要らぬ気遣いでした」


 僕らはおかしくなって二人して吹き出した。

 彼女は「ならばよろしい」と言うと、スクールバッグを手に下げて支度を始めた。


 馴染みの教室を夜去方の冷たい風が吹き抜ける。

 もう僕らに思い残すことはなくなった。

 今なら心晴れやかにここを後にできる。


「よし、行けるよ」

「おっけ」


 彼女と同じ歩幅で歩く。

 これからの日々はこんなふうに生きていくのだ。

 何があろうと彼女を離すまいと思い立ち、横に並ぶ梨花の手をぎゅっと握った。


「手、繋いでいいって言ってない......」

「じゃあだめ?」

「......だめくない」


 彼女はそう言うとそっぽ向いてしまった。

 顔を見せてくれないようだ。


 普段通りからかおうとして不発に終わったからだろうか。

 角が少しとれて丸くなった梨花も可愛い。

 そんな彼女に見惚れていると、思い出したことがある。


「そいえば、今日友達待ってるって言ってなかったっけ。

 大丈夫だった?」


 彼女は僕の顔を見ると、一度呆けた顔をした。

 それから咎めるような目つきで僕を睨んでくる。


「あんたを待ってたって......のっ!」

「痛っ!?」


 なぜか振りかぶったバックで背中から殴られた。

 まあ、僕を待っていたという言葉の嬉しさで相殺されたから実質ノーダメージということにしよう。


 僕は仕切り直すように口を開く。


「じゃあ、ずいぶん待たせたね」

「ほんとよ、まったく」


 廊下には一瞬のズレもなく揃った足音だけが響く。

 その音粒が消えた時、校舎に人はいなくなった。





 冬という季節は、凍てつくような『終わり』を司る。


 僕は一つの『始まり』によってその寒さを凌いだ。

 どうしようもなく暖かいその存在。

 今はただそれを肌で感じていたい。

 淡く儚いまま散るはずだった想いは、そんな願いにまで昇華していたのだった。

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春になっても、君の隣で笑いたい 瑠目 @slmel

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