第二話  そこにおはしますは!!

「無表情で地面指さしてんの、シュールでウケんだけど。あ、もしかして修行ってやつ? やば!」


 かがんだ格好で笑う少女と目を合わせたまま、私は応答の言葉を考える。

 少女は黒いダウンジャケットを着て、すそから深緑色のチェック柄のプリーツスカートをのぞかせていた。高校生だろう。


 ひよこを連想させる金髪。目元が印象的なのは化粧のためか。大晦日おおみそかと正月三が日くらいしか、このようなギャルは寺には来ない。正直不慣れである。まさか説法せっぽうを聞きにきたのだろうか。


「そうでゴザル~。目指せ輪廻リンネからの解脱ゲダツなのでゴザル~!!」


 と、親しみやすいウェルカムな雰囲気で返すか。釣られたと後からうらまれないために厳しさを最初に伝えるべきか。


「止めはしませんが、仏門ぶつもんへ入るのであればそれなりの覚悟が必要です。まず、その短すぎるスカートの丈から正すk」


 紺色のハイソックスを履いた両脚の隙間に視線がいく! だめだ! 下着を覗き見るなどという行為はモラルに反している。見られたと誤解されれば、後が厄介だ。


 第一、私は女子高生は趣味ではない。もっと熟した、人妻あたりが艶っぽく感じる傾向に……待て待て、私は何を考えているのだ!


「ちょっとぉー、お坊さん! 聞いてる? スキンヘッドだから声かけちゃったけど、あんた、ここの人だよね?」


「……はい。本日はどのような御用事で?」


 なんとか無難な応答をする。少女が立ち上がるので、私も腰を上げる。

 住職は先ほど、奥方と出かけて行った。遠方で開催される講習会への参加を口実にした旅行である。今、寺には私ひとりしかいない。住職の命令に反省時間の指定はなかった。この場合、訪問者の対応をするのが優先だろう。


「アイね、初詣はつもうでに来たの。オマイリの仕方教えて」


「さようでございますか。はい、喜んで」


 仏門を叩きに来たわけではなかった。よかった。危険度が下がって私は落ち着きを取り戻し、ちょうどいい感じの微笑をつくる余裕さえ生まれた。

 おまいりの仕方を教えるのなら、相手が誰でも答えはひとつ。複雑な考査は必要ない。この少女はなんだか調子が狂うのだ。普段寺を訪れる、檀家だんか(その寺と交流のある家系)の人々とはタイプが違う。仏教の教えも通じなさそうな、の強さを感じるのである。


立ってみると、少女の方が頭ひとつ分ほど背が低かった。それでもすらりと伸びる脚は長く、今にも踊りだしそうな軽やかさだ。


「あ」


 歩きだすも、少女が声を上げるので立ち止まる。振り返り見ると、少女は落ちていた椿つばきの花を両手ですくい上げているところだった。


「はいっ」


 椿の乗った両手を私に差しだしてくる。何がしたいのだろう。同じように両手をおわんの形にして構えると、少女はそこに椿をそっと乗せた。そして私を見て、満足そうに目を細め、ニッ、と歯を見せた。


 ややキツネ目で、一見するとわがままそうな顔立ちだが、笑うとなんと可愛らしいことか。まるで菩薩ぼさつの笑み。この少女に対する警戒レベルが、笑顔ひとつで赤から緑へと、ギュウゥゥゥンと急降下する。推定すいてい十七歳、なるほど、なかなかの破壊力である。


 ――いかん! また嗜好しこうかたよりが生じ……いやいや、思考しこうに問題が発生しているようだ。


 入ってくる情報を遮断しゃだんしようと視線をそらした先に、椿の木が見えた。

 開きかけの花がひとつ、濃い、濡れたような緑の葉のなかにあった。今、気づいた。その紅色べにいろは目の奥に焼きついてしまうかというくらい鮮やかだった。

 私の視線はうっかり、少女に戻る。薄紅色の唇と、みずみずしい頬。

同じだと、思った。



         ○○○




 手水舎ちょうずやで両手を清め、いよいよ参拝さんぱいである。二人で背筋を伸ばし、ザッ、と本堂ほんどうの真正面に立つ。緊張した面持ちの少女に静かに問う。


「よろしいか? アイ殿」


「う、うん。気合は十分だよ!」


 ゴクリと喉を鳴らすアイ。なにせ、柄杓ひしゃくですくった水で手や口をすすぐだけでもえらく手間取ったのである。右、左、右……と柄杓を持ち替える所作をぎこちなく、神妙な顔で行うのには教える側としても見ていてハラハラしたものだ。


 形式めいた、儀式的なものは苦手らしい。

 しかしそこに、確かに存在する畏敬いけいの念、生真面目さがある。あるからこそ参拝に来たのであろうが。派手な見た目には意外な要素だ。

 このアイという娘、なかなかに興味深い。貴重な対人データとなりそうである。


 ――まぁ、数日後にはデータなど、私ごと抹消されるのかもしれないが。


「そんで!? どうすればいいの、お坊さん!!」


「落ち着くのです。呼吸を止めて一秒……ん? 失敬、呼吸をゆっくりとして、気持ちを穏やかに」


「すぅー、すぅー。オッケイ!」


「よろしい。では、まず一礼」


 目の前に釈尊しゃくそんがおはすつもりで腰を折る。長すぎてもいけない。妙な間は戸惑いを抱かせるものだ。

 身を起こすと、遅れてアイが頭を上げた。


「次にお賽銭さいせんを。投げ入れず、そっと静かに」


 アイは、待ってと言って、ぱんぱんになったかばんに手を突っこみ、下の方からスパンコールのついたベージュ色のポーチを取りだした。


「えっと、何円だとエンギがいいんだっけ?」


「十円硬貨と一円でいいご縁、四十五円で終始いいご縁、などといわれますね」


「やば! 百円玉と七十円だよ! 多いぶんにはいいよねっ? お釣りはいらないですっ!!」


 アイの放った硬貨四枚は、たいして音もたてずにお賽銭箱の底へと消えた。行き先を案じるようにほうけるアイだが、まだだ! まだ参拝は終わっていない!


「アイ殿、手を合わせて。合掌がっしょうは調和を意味します。うやまう相手の心と自分の心を一致させるのです」


 はっ、と我に返り、両手を合わせるアイ。自然と目を閉じている。


「仏様に、感謝の気持ちをこめてご挨拶を」


「いつも、ありがとうございます……っ!」


 なぜかひそひそ声になるアイ。ここは声にださなくていいのだが。


「では最後に、一礼を」


 最初の一礼よりキレのある動きで腰を折るアイ。ふむ、成長が早い。


「見事。これで参拝は終わりです」


 ぷはっ、と顔をあげるアイに、私はほほ笑みかける。

 アイも何か手ごたえがあったと見え、うんとうなずく。


 二人で三段ある階段をゆっくりと下り、並んで歩きだす。

 歩調が合う。まるで長い時を共に過ごしたかのように。


「ねぇ……」


 吐息交じりに、アイが唇を開いた。

 私は穏やかな顔を向ける。真っすぐに私を見る、アイの瞳。


「ねぇ。お願い事、してなくない?」


 沈黙が、流れた。




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