第2話

 朝、目を覚まし、庭から漏れる太陽の光に目を焼かれ、また今日が始まったのだと実感する。


 おんぼろとまではいかないけれど、かといって新築という訳でもなく、それなりに長く先代から住んでいるこの屋敷は普段、人が全くやってこないのでホコリが溜まっている場所もちらほら見受けられる。


 「ガラガラガラガラ、ぺっ」


 歯磨きをしつつ、今度、一度屋敷を見てみたいと友人が言っていた事を思い出しながら、その前に一度大掃除をしなければと思うが、昼は学校、夜は仕事と忙しい中、どこで時間をとろうか。いっそ、湖夏こなつさんが掃除してくれないかな、なんて。

 そうやってくだらないことを考えていれば、あっという間に登校の時間だ。

 昨夜の化け狸のせいで今日はまだ眠い。睡眠魔法使いと名高い歴史のおじいちゃん先生の授業に耐えられるだろうか。


 本当はあまりよくないのだけれど、食が細くて朝は何ものどを通らない私は、そのまま準備を終えて学校へと向かい、数少ない気心の知れた友人と他愛ない会話をして、しっかりと歴史の授業で睡眠をとり、家に帰ってくる。


 何てことはない。高校生として恥じない、ごく普通の生活だ。昨日のテレビで何をやっていたとか、あの俳優がこんなことをしていた、好きな漫画の最新話が出ていた。そうやって、こんな私でも、まるで普通の高校生として過ごしているかのような時間が、私は好きなのだ。

 こう言うと、葬儀屋そうぎやとして妖怪と接する私がまるで普通ではない事に優越感を見出して、他の普通の子を見下していると思われるかもしれないが、私は本心から普通の学生らしくいる時間が楽しいのだ。

 いや、少し訂正しなければ。確かに、普通の学生らしくいるのが楽しいといった一面はあるけれど、他とは違うという事に優越感が無いというのは嘘になってしまう。私も人間。何も知らず、力も持っていない人を相手に一切の優越感を感じていないなんて言えないけれど、葬儀屋という職はそんな事を考えるよりも、遥かに面倒事の方が多いのだ。それに、普通を願うことに大した意味はない。


 「もし、もし、そこのお嬢さん」


 ほら、家に帰ればどうせいつもこうなるのだから。


 「葬儀屋はこちらでよろしいですかな?」


 事務所の前を通りがかった私に話しかけてきたその人物は、今時滅多に見かけない古風な着物に身を包んだご老人であった。特徴があるとすれば、わずかな妖力ようりょくを持っていることくらいだろう。

 それ見たことか、いつも通りに面倒事から進んでやってきた。


 「ええ、確かに葬儀屋ですよ」


 「おお、おお、それはよかった。では、一つ依頼をしたいのですが、よろしいでしょうか?」


 チリンチリーン


 やけに澄んだ鈴の音が鳴り響いた。




 私は、ご老人に少し待つように伝え、急いで事務所の更に奥に建っている屋敷に向かい、制服を脱いで急いで巫女服へと着替えてから戻って来た。


 「粗茶そちゃですが」


 「これは、これは、態々わざわざありがとうございます」


 面倒事が……なんて考えていた私だが、別にこの仕事が嫌なわけではない。

 この仕事をやっていると、色々な人と関わりが出来るし、長生きした化生けしょうが相手だと面白い話を聞けることもある。そういった話は当事者になるか、このように妖怪を相手にした仕事でもしなければ中々に聞くことはないだろう。

 それならば何故、この仕事を面倒だと感じるか、なのだが、時折とんでもなく面倒な仕事がやってくることもあるからである。この通りに。


 「私は当代の葬儀屋当主、氏神岬うじがみみさきと申します。それで、御用件を伺ってもよろしいでしょうか?」


 「そう、そうですね、実はわたくし、鈴の付喪神つくもがみなのでございます」


 「なるほど、通りで綺麗な鈴の音が鳴り響くと思いました」


 「ええ、ええ、わたくし、これでも300年ほど経つ物でして、それはもう様々な持ち主に、ありとあらゆる想いを乗せて、鈴を鳴り響かせてきたものです。鈴の音に関してはそれなりに自信がございます」


 その生き生きとした喋りはまるで水を得た魚。

 それなりの自信なんて言っているけれど、そんなことをいう人に限ってそんな訳がないのが世の常である。やはり、鈴の付喪神なだけあって、鈴に関しては並々ならぬ思いが彼自身にもあるのだろう。

 己の過去を自慢するご老人、それは人であっても付喪神であっても変わらないのだと思うと可笑しくなってしまい、微笑ましく思って思わず笑みがこぼれた。


 「ふふ、よほど鈴の音に自信があるのですね。謙遜しても顔にそう書いてありますよ」


 「あいや、あいや、これは失礼、確かに謙遜なんぞするものではございませんな。そうですとも、鈴の音に関しては譲るつもりはございません。その証明に、今、この場で披露して見せよう、と言いたいところではございますが、残念ながらそうとは言えないのでございます」


 座り直し、姿勢を正す鈴の付喪神。


 「では、では、ここからが本題でございます」


 「わたくし、かれこれもう50年は持ち主が現れていないのです。その間、ずっと暗い小屋の中で次の想いを乗せる人を待っていたのでございますが、待てども待てどもやってこない。そして、数年前にようやく小屋に人が現れたかと思ったのですが、なにやらわたくしを壊すと仰るではございませんか」


 態々この方を見つけて、壊しに向かったというのであれば、その相手は陰陽師なのだろうが、付喪神を壊しにやってくるとはこれまた異様な話である。


 「いやはや、いやはや、これだけ待って次の主が現れず、現れたと思いきやそのような事を言われてはわたくしも少々頭に来まして、少しばかりお灸を据えてやろうと思いましたところ、何やら知らぬ力、妖力が身に付いているではございませんか。それに、やって来た人はわたくしの事をあやかしと呼びますし、とにかくその場から逃げ去ったのです」


 「それは災難でしたね……しかし、それならば恐らくはその人と同じく陰陽師でもある私のところに来てもよかったのですか?」


 「ええ、ええ、勿論ですとも。その後、推測したのですが情けないことに、わたくしは持ち主が現れないことにどうやら少しばかり不服に思い、人に腹を立てたようで、そのせいで妖力を得てしまったようなのでございます。しかし、付喪神という身でありながら妖怪として退治されるのは真平御免まっぴらごめんだ、と考えていたところ、わたくしは葬儀屋の噂を聞きました」


 「それは、つまり今回の依頼は……」


 「ええ、ええ、そうでございます。妖力が混じり、想いも乗せられなくなったわたくしを……どうか、間違ってしまったわたくしを、せめて最後は正しい終わりに導いてもらえない物かと」


 なるほどなるほど、今回の依頼は妖力を得た付喪神ですか。これまたとんでもない厄ダネですね。

 そもそも、付喪神が妖力を得るなんて、その保管者は一体どんな環境に置き、一体何をしたのだろうか……相当な恨みを買わない限り、そんな事は起きるはずもないだろうに。

 もしもこのまま鈴の付喪神が妖怪として進むと決めたら神力を持った妖怪という日本の歴史上でも類を見ない大妖怪になっていたかもしれないと思うと背筋が震えますね。


 「ご依頼の内容は分かりました。内容が内容なだけにこの場で即答はできませんが、出来る限りの協力はさせて貰いましょう」


 「それは、それは、勿論でございます。そう言って貰えるのならば嬉しくく思います。それで、依頼料のことですが……」


 「そうですね……」


 実は、かなり最初の段階で依頼料を何にするかは決めていた。


 「では、上手くいった暁には、是非ともその鈴で想いをほんの少しばかり分けていただけませんでしょうか?」


 鈴の付喪神は何を予想していたのか、少しばかり暗いだったのが、それを聞くと目をまん丸に広げて、それから破顔した。


 「ええ、ええ!その時は是非ともわたくしのこれまでの想いを乗せた素晴らしい音を響かせて見せましょうとも!」


 ここまで言うのならば、彼の音はさぞ素晴らしいのだろうと、気になっていたのだ。

 その為ならば少しばかり頑張ってみようかな、とも思えた。


 「いやはや、いやはや、貴方のような方にもう少し早く出会っていれば良かったのですがね……わたくしは戻りますが、何か協力できることがあればこちらにお願いします」


 それだけ言い残すと、チリンチリーン、と出会った時のように鈴の音を響かせながら、彼は去って行った。


 こうして、私の仕事がまた始まった。

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