園田くん(21)

終わった、全てが。

 

ロッカールームで三年生達が泣いている中、オレ自身も気分は落ちていて力が足らず申し訳なく思う。

それでも、口に出してしまえば下手な気遣いの言葉や、逆に集中砲火を受ける可能性もあるので黙っていると、佐久間先生がスマホを操作しているのが見えて声を掛けた。

「先生、バスの人からですか?」

行きの時はバスに乗られて来たので、その連絡だろうかと思うとその通りの様で頷かれる。

「あぁ…道が混んでいるらしくて、遅くなるとの事だ。」

はぁ…と落ち込んでいる事が丸分かりなその表情だったけれど、話している相手がオレだとやっと気付いたみたいで、いつもの顔みたいに取り繕う。

「だから、ここで着替えたら移動して待つ事になるな。」

申し訳ないが待っていてくれと言われ、オレははいと答える。

「あっそういえば…先生方からも色んなメッセージが届いているぞ。」

先生、か。

佐久間先生のその一言で、オレは自分がやった行為がどこまで届いているのか今更ながら不安になる。

来て欲しいとは思っていた…けど、こんな結果になってもしここに来ていたのなら、悔しい結果で終わったこの決勝戦を見せてしまった事になるから。

いや寧ろ。

こんな結果に終わった生意気なオレを、遠くで嘲笑っているかもしれない。

 

「中でも則井先生…今日ここまで来ていたらしいぞ。」

 

何て事も無く放たれた言葉にオレはすぐに喰い付く。

「え、先生が!?」

「ん…おう。」

オレがここまで反応すると思わなかったのか、佐久間先生は目を大きくさせた。

「あれ、則井先生とお前って仲良いからもう知っているのかと…。」

何で佐久間先生が先生の連絡先を知っているのかという感情もあったけれど、それよりオレはこの質問をぶつける。

「それで!それで先生は何てメッセージを!?」

周りの目も気にせず先生を問い詰めると、しどろもどろに答えてくれた。

「『野球場で見ていましたよ。今回は残念でしたね、しかし良い所まで行けたのだからきっと実りを得る時がきっと来ます。だから、今は頑張った選手達も貴方自身も労わってあげて下さい。』だそうだ。」

いやぁ…としみじみとした様子でそのまま言葉が続く。

「やっぱり養護教諭だよな…こんなに今心に響く言葉を送ってくれるなんて…おい、園田?」

居ても立っても居られなくなって、オレは着替えてもいないのに佐久間先生から急いで離れる。

「すみません!急に腹が痛くなったので、少し…いや、かなり離れます!!」

バスが来たら連絡下さい!と相手の返事も聞かずに、ロッカールームからオレは出てゆく。

 

だって、もたもたしていたら…先生に会えなくなってしまうから。

 

突発的に外に出てきたものの、どこに先生がいるのか何てすぐに分かるはずも無い。

佐久間先生から今すぐにでもメールや電話をして貰えれば良かっただろうけど、それは何か…違う気がする。

それでもここに居たのは嘘じゃないと思って、数多い人の波を分けて探すけれど見当たらない。

こうしている間にも、バスがここまで近付きタイムリミットが迫っているのに。

諦めて後日会いに行く?いや、それは先生に禁止されてしまったし…もう場所が分かっているアパートに行く?…それも怒られてしまうだろうし。

色々考えるけれど、それでもオレは。

 

ここで、先生と会いたかった。

 

必死になって探し回っていると、ふんわりとあの香りがする。

その正体を考えて、オレは何で気付かなかったんだろうと自分を殴りたくなった。

香りが濃くなる場所を、鼻で辿っていると。

 

煙が出ているそこに、あの人がいた。

 

会いたい、ずっと会いたかった。

けれど、いざ目の前にすると何て言えば分からない。

あんな最悪な別れから、今更どう話をすれば良いのか…友達同士でさえも、あそこまで過激な喧嘩をした事が無いオレは、そこで止まってしまう。

ただ、ただタバコを吸うその後ろ姿だけを見ていた。

話し掛けなければ何も始まらないのに、オレはその光景に気付けば見惚れて夢中になる。

元々タバコが似合う先生だけれど、改めてその姿を見ると本当の大人って感じが伝わってきて、ただ喫煙しているだけでも絵になっていた。

「―残念だったな。」

久し振りに聞けた、その声。

本当に先生がそこにいるんだと実感して、そして俺の事を気遣う言葉を聞けて、急に止まっていた涙がまた溢れ出しそうになる。

「最後の守備で一点取られるなんて…悔しかっただろう。」

そう…先生が言う通り、最後の最後でオレが投げたボールは打ち取られた。

あと少し、もう少しで延長戦まで持ち越せたのに…オレは、耐えられず。

悔しくて、辛くて、悲しくて…不甲斐無いオレの事を最後まで見てくれた事が、その言葉一つで分かって。

 

オレは、頭を下げた。

 

「今日はお忙しい中、来て下さりありがとうございました。」

努めて冷静に言葉を出したつもりだけれど、所々どもってしまって、それを慌てて誤魔化す様にオレは言葉を重ねる。

「せっかく来て下さったのに…気持ちの良い試合を見せられなくて、すみません。」

「そんな事を謝らなくても良い。」


気を使わせてしまっただろうかと考えるけれど、先生はもっと確信を突く言葉を出してきた。

 

「―何で、俺をここへ呼んだ?」

 

どきりと、心臓が跳ねる。

期末テスト最終日のあの時、ずっと持っていた県大会のチラシの裏に短いメッセージを書いて、先生が居ない時を見て保健室の扉に挟んで置いてきた。

何で、そんな行動をしたのかと聞かれると…上手く、言葉に出来ない。

返事が無いオレを待ちくたびれたのか、先生が代わりに声を掛けてくれる。

「お前にとって俺は、もうくっつく事が無く話したくもない憎き相手だと思うが。」

 

そんな事、思ってもいない。

こうして話してくれるだけで、胸が満たされるのに。

 

せめて、意思表示だけはしないといけないのに喉が動かなくて、せめてと首を振ってそれは違うと答える。

言える範囲で言ってみろ、と伝えてくれるけれど。

 

どう、答えて良いか分からない。

 

また変に暴走して、先生を傷付けてしまったら?

また勘違いさせる様な言葉を出して、先生を悩ませてしまったら?

 

オレが考えるすべての選択肢が、どれもこれも間違っている様な気がして、その一歩を踏み出せない。

体が勝手に震え、そこから絞られる様に出てきた言葉は。

「ごめん、なさい…ごめんなさい…。」

うわ言の様な、それまでの話の内容をまるで沿っていないものになった。

急にこんな事を言われても困らせるだけなのに、機械の様に同じ言葉しか出てこなくなって、どうしたら元に戻るのかも分からない。

何か先生が言葉を掛けてくれているけれど、自分の耳でさえいつも通りに機能しなくて、何を言っているのか理解出来ない…そんな状況を。

 

「顔を上げろ、園田!」

 

その一言が、変えてくれた。

顔を上げると、それまで離れていた距離から急に目の前に来て、しかもオレの手を引きどこかへ走り出す。

急な展開で頭が付いていかない、けれど。

細くごつごつしたひんやりとした手に捕まれ、引っ張られるこの感触が…心地よくて。

 

この瞬間が、いつまでも続けば良いとさえ思った。

 

先生が場所を変えた理由は分からないままだけれど、オレは恐らく野球場の裏辺りまで移動させられる。

頭上を見上げれば大きなスコアボードの裏が見えて、時折使っている野球場だけれど、この位置からこれを見た事は無かったなと新鮮に思う。

おい、大丈夫か?と先生に聞かれ心配そうにオレの顔を覗き込んでくるその仕草。

何て事の無い動作のはずなのに、オレはただそれだけで…嬉しくなる。

 

「―やっと、名前を呼んでくれた。」

 

息を切らし、涙も流しながら答えてしまうけど、心から思っていた事を言葉に出せた。

「先生、あの時から…オレの名前呼んでくれなくなって…寂しかったから。」

唐突過ぎるオレの言葉に頭が追い付かないのか、今度は先生の返事が無くなったので、ならとオレが「…さっきの答え、なんですけど。」と元の話題へと戻す。

「ただ、先生に来て欲しかったんです。」

さっきは色んな感情が渋滞して、上手く言葉に出来なかったけれど。

今は、まっすぐその顔を見て答える事が出来る。

「来るだけでも、オレらのチームを応援しなくても、向こうのチームを応援していても良いから…ここに居て欲しかった。」

この言葉に、先生は疑う様に声を掛けてきた。

「俺はただのおっさんだぞ。」

「違いますよ。」

ただの、何てとんでもないとその意見に対して反対の言葉を出す。

「先生が客席にいるって思うと、良い所を見せたいって力が湧くから…オレにとって先生は特別な人なんです。」

例え恋人になれなくても、と小さく付け足してから更にオレは先生に言う。

「先生が恋愛に興味が無いならそれでいいです、それが先生なら。」

でも、とどれだけ拒否されても、断られても関係無いと。

自分の手を、先生に向けて伸ばす。

 

「もし先生の隣に今誰もいないなら…そこにオレは居たいです。」

 

恋人にならなくても良い、ただ…生徒でも、子どもでも、何だっていいから。

隣に居る事を、許された存在になりたい。

それが…今オレが出せる、先生に対しての唯一の言葉だった。

 

(―結局、暴走したな。)

負けた所を見られてしまったけれど、わざわざここに来てまでオレの事を見ていたという事に舞い上がってまた告白をしてしまった。

この手は握られる事は無いのかもしれない、けれど。

あんな事故みたいな拍子で出てきた言葉を、先生に掛ける最後の言葉にしたくなくて。

どんな反応をされるか、待っていると。

 

オレの手が、先生の手によって真横に勢いよくぶっ叩かれた。

 

弾かれた手にじんじんと伝わる痛みで、それが現実だという事が分かるけど、オレは訳が分からず「…え!?」としか声を上げられない。

「おい、園田ぁ…。」

そこでこれまで聞いた事の無い様な声が聞こえてオレは思わずビクリと両肩を上げる。

「お前今、いつくだ?」

「ぇ…十七です。」

そうだな、と頷いた後、先生は次の質問を出す。

「じゃあ、お前は成人か、未成年か?」

質問の意図がまるで分からないけれど、その答えも分かり切っているので声に出して答える。

「み、みみ未成年です。」

「そうだな、俺は成人だ。」

何で今更そんな当たり前の事を?と耳を傾けていると、その両目がくわっと見開かれた。

 

「つまりな…今お前と付き合うと、日本の法律的に俺が犯罪者になるんだわ!!」


ガンッと鈍器で殴られる様な、そんな衝撃がオレの心を襲う。

「何が言いたいかって言うとな、あの時お前が暴走しなきゃこんなに厄介になる事は無かったんだよ!反省しろ!!」

「えぇ…あ、の。」

知らなかった、そんな事。

オレはあの時、気持ちを伝える事しか考えていなくて、もしあの時先生が嘘でも「付き合ってやる。」って答えていたら、オレは先生を警察に差し出す事になっていたのか!?と…知らなかった真実に戸惑いながら声を出すと「返事!」と言われ「はい!」と反射的に答えてしまう。

「よし。」

満足げに呟いた先生はそのままオレから離れ、シュボッと音が聞こえたと思えばタバコを吸い始めた。

「―時間貰って悪かったな、そろそろ帰る時間だろ…俺はタバコを吸ってから帰るから、お前は先に戻れ。」

ああ確かにそろそろ戻らないと皆に怒られる…と考えた所で、オレは「え…い、いやいやいやいや!?」正気に戻る。

悠々とタバコを味わっている先生に近付き、衝動的にガッとその両肩を掴む。

「ちょっと先生、結局オレの言葉への返事を教えて貰っていない気がするのですが!?」

オレの無遠慮ともいえるその行動を気にも留めず、先生は変わらずタバコを吸い続ける。

「さっきのアレが答え、それがすべてだ。」

そう言われても、あの時差し出した手は振り払われた様なものだし、言葉だって今は付き合えないと断られた様なものだけど!とオレは明確な言葉を求めて「で、出来れば『はい』か『いいえ』で答えて欲しいです!」と粘った。

がくがくと揺さぶっても木の実の様に答えが降ってくる気配も無く、それでもここまで来たならもう諦める訳にはいかないと先生にお願いする。

「オレにも分かる答えを下さい!!」

 

すると、一瞬。

目の前が真っ白になった。

 

「!?…がはっごほ…っ。」

まるで忍者の術を受けた様に、煙を受けたオレは新鮮な空気を吸う為離れる。

「それに耐えられる歳じゃねーと駄目だな。」

少し揶揄う様なその口調から出てきた言葉は、最初聞いた時はまた誤魔化されたと思った…けれど。

「と、歳って…歳?」

それは、ちょっと素直じゃない…分かりにくい先生が、オレにくれた優しいキーワードだった。

「もしかして、大人になったら考えてくれる…という事ですか?」

返事を待つけれど、先生の口から出てくるのは吸った後の煙だけ。

そして、タイムアップという様にポケットに入っていたスマホから着信音が鳴り出す。

確かにそろそろ野球部に合流しないと叱られてしまうだろう、でもこのまま何も言わずに先生から離れたくない、だから。

 

「先生!オレ、気持ちは変わらないから…だから、また会いに来ますね!」

 

覚悟して下さい!と言うけれど、やっぱりその言葉にも返事は無くて。

でも、否定しなかった…という事は。

『おい、園田!そろそろ戻らねーと流石にまずいぞ!』

「悪い三島、今戻る!」

やっと繋がったとオレに不満の言葉をぶつける三島に謝りながら、オレは急いで戻る。

 

電話をしている中『何かあったか?』と三島に聞かれたのは…言うまでも無い。

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