則井先生(18)

聞き間違いかと思った。

いや、もうそうであって欲しいとさえ願う。

 

けれど、目の前の子どもは真っ直ぐな目をしている。

 

「きっかけは、その…一年生の時の事です。」

俺が会った事を憶えていないと伝えたからか、一から説明するつもりのようだ。

「一年前…野球部の練習中に、オレ怪我したんですよ。」

その時は平日の午後だったので、すぐに保健室まで自分で歩けるのに佐久間先生に担ぎ込まれて、そのまま押し付けられる様な形でオレは診て貰ったんです…そこまで説明されて、俺は徐々に記憶が蘇ってくる。

(そういえば、そんな事があったような…。)

園田が自分で言っていた様に、確かにあの時の野球部員は、まさしく未熟という言葉が相応しいと感じる程、とても十六歳とは思えない小さな体が印象的な少年だった。

しかし、俺は別の印象が強く残る。

「でもオレ…その時『こんなの怪我なんて言わないですよね。』って…先生に生意気な事を言いましたよね。」

そうだ、そこだ。

その時の園田は、何故か知らないが不機嫌気味で愚痴る様に怪我を侮る様な事を事もあろうか俺に言ってしまい、そんな間違った考えを持たせる事は危険だ、更に言えばまた俺の仕事を増やされてたまるものかと叱り飛ばした。

俺にとっては、ただこれだけの事…けれど、園田にとっては。

「どうでもいいって思っていた怪我を思いっきり抓って『これが怪我って言わねぇで何が何とも無いだ。』って言われた時は…痛くて悔しかったけど。」

当時を思い出して園田は穏やかな笑みを浮かべながら話を続ける。

「でも、次々と野球選手が故障した原因を解説されて、日頃どれだけオレが間違った練習をしていたか、気付けたんです。」

なるほど、と思った。

最初、園田があの一年生だったという事実に驚きを隠せなかったが、ここで納得がいく。

俺の叱責が起点となって、自分の体の動かし方を見直した園田は、練習方法やもっと周りの声を聞く様になり、体が成長し眠っていたポテンシャルが開花。

結果、生意気だった野球小僧は、チームを支えるエースへと一年間で成長した。

「オーバーワーク気味だったオレに最後『こんなに痛い思いをしてまで部活をするものでは無い。』って…怒られたなぁ。」

しみじみと思い出している園田は、ずっと笑顔で。

どう言葉を掛ければ良いのか…それでも、俺は聞かないといけないと踏み出す。

「じゃあ…男が好きって、俺に告白したのは?」

ぴくり、とその笑顔が引き攣る。

「―あの時話した事、全てが嘘という訳じゃありません。」

園田は最初にこう宣言し、話を進めた。

「元々その傾向はあったんです…好きな人と、巡り会うまでは。」

だから、とたどたどしくその口を動かす。

「どうにかして接点を持ちたくて、でも立場上何か無いと話すきっかけも無いから…この手を使ったんです。」

 

つまりは、こういう事だった。

野球部の練習中怪我をした同性愛者寄りの男子高生が、その体を痛めつける練習をしてはならないと養護教諭に叱られ、それをきっかけに惹かれてしまった…と。

 

「先生の時間を頂く事になったのは、申し訳ないと思っています…でも、オレ。」

 

ダンッ!!

 

堪らず座っていたベッドから乱暴に音を出して立つ。

それまで話していた園田は、俺の突然の行動に驚愕して無言になる。

先生?とこちらを伺う言葉が、酷く。

 

苛ついた。

 

「お前のそれはな…まやかしなんだよ。」


その顔から血の気が引いてゆくその様が目の前でありありと見えるが、俺にも引けない理由があった。

「お前と似た様な理由で俺に言い寄った連中は、これまでもいた。」

「え…。」

俺はベッドから移動し、机の引き出しを開き目当ての物を見つけて、そのまま元の位置に戻って来る。

「何だか分かるか?」

じゃらりと音と共にそれを見せると、生徒は顔が白いまま答えを口にした。

「ボタン…ですか?」

そうだ、と俺は頷く。

「保健室はこういった物も置いてあるんだ…怪我した時に制服や体操服が破れる事もあるからな。」

ミシンは無いがそれ以外ならソーイングセットは保健室に置いてある。

他にも、破れや汚れが酷く再度着用する事が出来ない服の代えとして、保健室には古着ではあるが、代用できる衣服を常時設置、管理をしていた。

「これの出元、どこだと思う?」

今度は別の問い掛けを出してみるが、これには園田は答えられず「…分かりません。」と白旗を上げる。

「第二ボタン、と言えば分かるか?」

もう滅んでもおかしくない文化だと思ったので、念の為知っているかどうか聞くと、その目が大きく開いたので理解が追い付いた様だった。

卒業式後、意中の人物に自らの心臓に一番近いボタン…第二ボタンを手渡し、告白をするというイベントが一時期流行し、モテる奴は第二ボタンどころか、他のボタンまで奪われてしまっていたな…と俺は思い出す。

「え…先生、これだけ告白された…という事ですか?」

「いや、これ全部じゃないぞ。」

勿体ないからボタンは全部貰ってはいるが、それでも渡された事は嘘では無いと何て事の無い様に告げる、しかしこいつは俺がこんなに渡された事のある人物とは思わなかった様で、口をあんぐりと開けた間抜けな表情になっていた。

「―と、いう事は…先生。」

ショックに瀕死しそうな様子だが、震えた声で俺に恐る恐る聞いて来る。

「先生はもう…お相手がいる、という事ですか?」

この前の昼休みの時に独身だと言っていたと思ったのですが…と言われ俺は溜息交じりに話す。

「いねぇよ、そもそも…そういった事ともだいぶご無沙汰だ。」

「そう、なんですね…。」

明らかにほっとしたように体の力が抜けた生徒、だが話はまだだぞと俺はすぐに話を元に戻した。

「だがそれは、俺が全部断っているからだ。」

俺の言葉だけが、部屋に響く。

「理由を…聞いてもいいですか?」

単純な話だ、と俺は答える。

 

「さっきも言ったろ、お前はまじないに掛かっているだけだ。」

 

分からないだろうと思い、そのまま説明を始めた。

「人間ってのは弱まっている時に優しくされると、自然とその優しくしてくれた対象に情が湧く生き物なんだよ。」

ぎり、と座っている園田の両手が握られ、こちらにまで音が届く。

「俺はあくまで仕事でお前を診ただけだし、それ以上もそれ以下の感情も無い…これまでの奴等も同じだ。」

「同じって…オレは!」

「遮るな、まだ話は終わっていない。」

立ち上がり抗議をする姿勢を見せる子どもに、俺はすぐに睨みつけ言葉で制する。

 

「そもそも…俺は、恋愛に興味が無いんだ。」

 

その開かれた瞳が揺れた。

「―俺目当てでここに来ていたというなら、今後一切ここへの立ち入りを許さん…来て良いのは本当にここを必要としている奴等だけだ。」

それでも来るというのならクラス担任に業務妨害として言いつけると、そこまで告げる。

返事は無い。

ただ…俺に返す言葉さえ封じられたとでも訴える様な、これまで爽やかな印象が強かった少年の顔が砕けそうだと感じる程歪み、そのまま荷物を持って逃げる様に保健室を出てゆく。

 

廊下に駆ける足音だけが、妙に五月蠅かった。

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