野球部のエースくんはどうやらおっさんの俺に気があるらしい
@ahyiarnooyuki
則井先生(1)
「オレ、男が好きみたいです。」
そろそろ生徒達も帰った頃だし男子校の養護教諭である自分も、と準備をしていた矢先の事だ。
部活が終わってからすぐ保健室まで来ただろうしわくちゃな制服を着たその生徒は、扉を開けて俺がまだ部屋に居る事を知り、ほっとした顔を向ける。
(…ま、こういう事もあるか。)
帰ろうとしていた自分の頭をどうにか仕事に戻し、すぐそこにある椅子へ座るよう促す。
「どうした、部活で怪我でもしたか?」
見るからにひと運動してきた汗だくの生徒は俺の目の前に座ると俯き、ふるふるとその頭き生えている黒く短い髪の毛すべてを揺らした。
深刻そうなその様子に一応これまで長年仕事をしてきた勘が働き、俺は即座にその場から移動し保健室の扉の鍵を内側から閉める。
急な行動に驚いたのか、元々その生徒は目が大きいのに更に丸くさせ俺の事を見つめていた。
(あ、コイツ…よく見たら有名人の奴か。)
全ての事を知る訳では無いが、月一でまとめられる学校新聞でよく見かける顔で、記憶をどうにか取り出し俺はソイツを呼ぶ。
「確か野球部のピッチャーやってる…えっと。」
「園田です、園田健(そのだけん)。」
正直名前までは憶えていなかったので、自ら名乗ってくれて助かったと思いながら、俺は記録用紙を手に取る。
「そうそう、園田くん…で、今回はどうしてここへ?」
恐らく怪我の手当が目的では無い事が分かった為、俺は今一度確認の為に問う。
保健室という存在は、何も怪我を手当する為に在るものじゃない。
手当、休憩所、相談室、たまり場…使用用途は様々、利用者だって生徒だけじゃなく教師でも利用する。
学び舎の中にありながら、個人のプライベートを多少は守れるであろう場所…少なくとも、俺はそう思っている。
だから、しっかりと外部にここに入った彼の事を知られない様鍵を閉め、こうして耳を傾けた訳だが。
ぎゅっと縛られていたその口が、ゆっくりと解かれる。
そして、この言葉を俺に向けて言い放つ。
「オレ、男が好きみたいです。」
グラウンドで部活をしていた生徒達や、忙しく仕事を続けていた教師達でさえ帰る時間。
正直俺だってカラスが鳴くから帰りたいと思えるくらいの時間だというのに、目の前の生徒はお構いなしに爆弾を仕掛けてきた。
(…これは、難題だ。)
俺はそこそこ前の時代と言われるくらいの年代に生まれた男で、情けない話だがそういった事は最近知った程度の知識しか持ち合わせていない。
LGBTQだか、多様性だか、カミングアウトだか…決して馬鹿にしている訳ではないが、到底田舎にいる自分の生活圏内にその手の話題が降ってかかると思ってもみなかった。
これまで生徒達の若かりし過ちとばかりに常識を逸した案件に立ち会った事もあったが、それでもこれは未経験で俺は己の無知を呪う。
「先生?」
何も返事が返ってこない事を気にして生徒…園田は俺を呼ぶ。
俺は持っていた記録用紙には書かない方が良いと判断し、慌ててすぐ隣の事務机に書類とペンを置いた。
「あ、ああすまん…。」
「やっぱり…戸惑いますよね、急にこんな事言われて。」
自分の事で精一杯となり見ていなかったが、目の前の彼は耳まで赤く染めている。
それもそうだと、俺は心の中で呟いた。
(たかが学校の養護教諭に打ち明ける話としては、少し重過ぎないか…?いや、全く他人にしか言えない事も世の中あるだろうが。)
これもまた自分が知らない内に世の中が進んでいるのだろうかと考え、自分が老いている事実に悲しくなるが、一度思考を切り替える。
「それで…何でそんな重要な事を教えてくれたんだ?」
男が好きであるという事はさて置き、俺は素直に聞きたい事を聞く。
園田はその対応にまた驚いたとばかりに目を丸くするが、言いたい事を口に出せたからなのか、先程よりも体の力を抜いて話す。
「その…自覚したのは最近で、親に話しても理解してくれるか分からないし、友達も信用していない訳じゃないけれど、話が広がるのは嫌だし…それにここ、男子校ですし。」
ああなるほど、と俺は膝を打った。
確かに彼の言う通りで、打ち明ける相手の距離が近過ぎても返って別の面倒が起こされてしまうと考えてしまうのも無理はない。
更には、ここの男子校ではいつも見掛けるという訳でも無いが、仲が良過ぎると周りから所謂ゲイ扱いを受けやすく、この学校でも何度かイジメに発展し俺は生徒のケアに当たった事もあったが、大概は本物では無かった。
「ネットとかでも調べてみたけど、情報が多過ぎてどれが本当だか分からなくなっちゃって…。」
「あー…そうだな。」
確かに今はインターネットで調べるのが早くて簡単ではあるが、それでも面白半分に書かれた記事もあるし、何だったら真面目に調べようと思ったら変なサイトに引っかかり、ウイルスを拾ってしまったケースもあるにはある。
「だから…その、まだオレ自身どうなのかよく分かっていないけれど…オレの事を、全部じゃなくていいから、この一部でも知っている人が欲しくなって。」
「…なるほど。」
思った以上の重大な役回りに、正直俺は眩暈がしてきた。
これが単純なサービス残業故のものだったらどれだけ良いか…と考えた所で時計が目に入る。
「男子高校生とはいえ、そろそろ帰らないとマズい時間じゃないか?」
俺の言葉でパッと後ろを見た生徒は「本当だ!」とばかりに焦って帰り支度をし始めた。
「すみません遅い時間まで…付き合ってくださりありがとうございました。」
まさしく野球部らしいまっすぐなお辞儀をされ、日頃あまりこういった対応をされない俺は内心戸惑う。
鍵を開けて、周囲に人が居ない事を確認してからそっと送り出す。
「オレの話、聞いてくれて嬉しかったです。」
「おー…まぁ、そう。」
歳を重ねただけで、決して養護教諭のプロと呼び難い俺だが、どうにか足りない頭で彼を傷付けずに、それでいて無難な言葉を探した。
「色々悩む事あると思うけどよ、吐き出したい事を聞くだけなら…また聞くぞ。」
勿論お前が良いなら、とちらりと視線を送ると。
やたらとキラキラした両目が俺を見ていた。
「また…良いんですか!?」
ずい、と勢いよく聞いてくるその姿勢に、気圧されながら「あ、あぁ…。」と答えてしまう。
ありがとうございます!と一日の終わりの時間に近いと思えない程元気よくお礼を告げた生徒は、夕日と共に去っていく。
その後ろ姿を見送った後保健室に戻り、今更ながら自分の行動は早まったものだったのかもしれない、とくしゃりと顔を歪めてしまった。
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