本編

本編


 熊本県には、難攻不落の熊本城があります。この熊本城の天守閣が焼失した歴史をご存知でしょうか。その歴史は、西南戦争まで遡ります。明治10(1877)年に起きた西南戦争。熊本城は50日あまりにも及ぶ籠城戦を耐え抜いた城として、名実ともに難攻不落の堅城として現代でも謳われています。しかし、そんな堅城も開戦直前の火災により、天守閣はわずか4時間で焼け落ちてしまいました。出火の原因はいくつかあるらしいのですが、まだ特定には至っていないとの事です。火災の激しさは、大銀杏イチョウの脇に残った焼けた銀杏イチョウで知ることができました。

 その後は昭和35(1960)年に天守閣は再建をはたし、また平成28(2016)年の熊本地震で瓦や石垣の崩壊などの被害がありましたが、令和3年(2021)3月に天守閣は完全復旧しました。しかし、熊本城の他の場所は現在も復旧作業が行われています。天守閣に登ると熊本市内と阿蘇の山々に加え、熊本城は復旧作業中だと見て感じることができるのでした。


 貴方は熊本城の天守閣に来ています。天守閣の内部には『波乱と栄華に満ちた「熊本城」400年のものがたり。(※【公式】熊本城より抜粋)』として、築城主の加藤清正、城主の細川忠利、熊本城の逸話や建築、復旧作業の記録など見応えのある展示物がありました。最上階付近には現代の著名人が「おかえり」と書いたサイン色紙も展示されています。一通り見て周り、写真を撮り、貴方は天守閣を後にしました。

 行きも帰りも、くらがり通路と呼ばれる昼間でも暗い地下通路を通らなければなりません。くらがり通路の入り口――くらが御門ごもんを貴方が潜った瞬間、イチョウの葉が風に舞って燃え尽きるのを貴方は見ました。イチョウの葉はくらがり通路の奥から来たようです。しかし、その奥は通行止めで柵があり――世界にノイズが奔りました。ジッジジッとノイズは大きくなり、貴方は目を閉じて頭を振ります。ノイズが治ると、通行止めの柵がありません。貴方はくらがり通路の奥が仄明るい事に気付きました。更に貴方が目を細めて見ていると、イチョウの葉がひらりっひらりっと舞っては燃え尽きて消えている事にも気が付きます。その光景は美しく不気味で、貴方は自然とそちらに歩いて行きました。通行止めの柵は消えており、貴方はくらがり通路の奥へ、奥へ――声が聞こえます。反響し、ノイズ混じりの声は確かに言いました。

「 お い で 」

 大きなイチョウの葉が貴方の肩に優しく触れて、目の前を横切りました。貴方が足を止めます。すると世界にノイズが走り激しくなり、世界が歪んだのでした。




 暗闇の中、小鳥たちの声がします。貴方が目を開けると、昼間の法華坂にいました。何故ここにいるのかと思い、貴方はそこで立ち尽くします。

「あんた、どうしたんだい?」

 貴方が振り向くと、そこには重箱を担いだお婆さんがいました。

「なんだい、腹でも空いたのかい?ご馳走いらんかえ。あっちに茶屋があるから一緒に行こうか」

 お婆さんは軽い足取りで歩いてきました。

「さあさあ、若いの。おばばに変わってこれを担いでおくれ」

 お婆さんは担いでいた重箱を貴方に渡しました。重箱はずっしりと重く歩くのも大変です。しかし、お婆さんはサッサと先に進みました。貴方は重いのを我慢して汗だくになって歩いていると、茶屋が見えてきました。

「さて、疲れたろう?ご馳走、いらんかえぇ」

 お婆さんが振り向きます。その顔は、のっぺらぼうでした。貴方は、ハッとして担いでいた重箱を地面に投げつけます。それは重箱ではなく、ただの石でした。貴方は思い出します。

 法華坂で、重箱を持った婆が「ご馳走はいらんかえ」といい、石を担がせるという逸話があったことを。 また、坂にあった茶屋でのっぺらぼうの重箱婆に会ったという話もありました。

「ほれほれ。こっちに、おいで」

 ゆらりとお婆さんが笑いながら近づいてきます。

 貴方は恐怖を感じて走り、逃げました。あの重箱婆が追ってきている気がします。無我夢中で走っていると、イチョウの葉がひらりひらりと舞ってきました。

「おいで。こちらに、おいで」

 とても温かく優しい声です。貴方はその声のする方へ走り続けました。



 そこから、とても恐ろしい体験を貴方はしました。



 重箱婆から逃げた先で、貴方は巨石を首にかけて運ばされました。これは首かけ石の伝説です。1589年に加藤清正に殺された木山城主山本弾正の遺児『横手五郎』が熊本城築城時に潜入し、 巨石を首にかけて持ち運んだと言われています。しかし、身元が発覚してしまい、熊本城内に生き埋めにされてしまったという伝説です。そう、貴方は横手五郎だと思われたのです。貴方も、伝説通りに生き埋めにされそうになりました。しかし、沢山のイチョウの葉が突風とともに吹き荒れて、逃げることができました。

「おいで。こちらに、おいで」

 イチョウの葉が風に流れていくその先へ、貴方は走り続けました。


 首かけ石の伝説から逃げた先で、貴方は井戸の近くで銃を探している兵士に出会いました。兵士は酷く憔悴した表情で貴方に問います。

「銃……銃を知らないか?」

 貴方は知らないと答えました。

「もうおしまいだ」

 ガックリと肩を落とした兵士は呟くと、ふらふらと井戸の方へ歩いて行きます。貴方は声をかけますが、兵士に貴方の声は届きません。兵士は井戸の淵に身を乗り出します。

「仏様ぁ………俺の命を差しあげるので銃を、何とぞ銃をッ戻してくださいッッ!」

 兵士はそう叫ぶと、井戸に身を投げました。水へ落ちる音が悲しく響きます。貴方が呆然としていると、雨も降ってきました。雨音に混じって、身の毛のよだつ音が聞こえてきます。それは井戸から徐々に大きくなって聞こえてきました。

「ああああああああああああああ銃をッ!銃をぉおくれええええぇえええッ!!」

 悲痛な声は凄まじい異音となって轟き、雨を世界を恐怖に揺らしました。貴方は恐怖に尻餅をつきつつも慌てて井戸から逃げます。

 この井戸には、銃くれ井戸の伝説がありました。銃器庫の歩哨に立った兵士が、井戸に銃を立て掛けたまま居眠りをしてしまい、兵士が起きると銃がなくなっていたそうです。兵士は責任をとって井戸に身を投げ、以後雨の夜になると井戸から「銃をくれ」と呼ぶ声が聞こえるという伝説です。

 貴方は走りました。雨の中でもイチョウの葉と幽けき声が導いてくれます。

「 お い で 」

 しかし、走るのに夢中で、イチョウの葉が燃えていることに貴方は気付けませんでした。




 雨は止んでいました。流石に疲れた貴方は立ち止まります。息を整えつつ辺りを見渡すと、そこは武士たちがたくさんいる宴会場でした。

「龍造院どの、こちらに!」

 またしても、貴方は違う誰か――龍造院という人に間違われていました。武士たちは貴方に酒を勧めます。貴方は吃驚して断ろうとしますが、貴方の体と口は勝手に動き、酒を飲み、口は喋り続けました。宴も終わり、貴方はほろ酔いで熊本城を後にします。熊本城の北へ歩いていると数名の武士たちが追いかけてきました。武士たちが刀を抜きます。貴方は――龍造院は熊本城の秘密を喋り過ぎたのです。口封じに殺されそうになりますが、突風と共に沢山のイチョウの葉がまた助けてくれました。

「おいで。こちらに、おいで」

 優しい声のする方へ、貴方は走りました。武士が追ってきます。貴方は脇目もふらず、無我夢中で逃げました。イチョウの葉の導きに従って、再び、熊本城の天守閣の元に走り続けました。




 膝をついた貴方の肩に、イチョウの葉が降り注ぎます。息を整え、貴方は安心して顔を上げました。

 熱い。轟々と激しく炎が燃えています。熊本城が、燃えています。

 明治10(1877)年、天守閣消失。それが今、目の前で起こっているようでした。

 貴方が呆然と燃える熊本城を見ていると、炎が膨れ上がり、渦を巻いて纏まっていきます。丸く巨大な炎の塊が出来上がると、煌々とした目と口が現れました。

「 お い で 。 お い で 」

 轟々と燃える音が響く中、ゆらゆらと静かに炎は言います。貴方は恐怖で後退りをしました。それを見て、炎は一段と燃え盛ります。

「 お い で 。 お い で 。 お い で 。 お い で 。 お い で 。 お い で 。 お い で え ぇ ぇ え ぇ」

 不協和音を響かせて、炎がゆっくりと貴方へ迫ります。しかし、炎が貴方に届くことはありませんでした。

 世界に鈴の音が響きます。

 それを合図に貴方の背後からふわりと風が吹き、イチョウの葉が舞い落ちました。風は徐々に突風となり、炎を奥へ、奥へと押し込んで行きます。貴方は沢山のイチョウの葉に守られ、強い風にも倒れることはありません。

「おいで。こちらに、おいで」

 優しい声が聞こえます。この声と言葉は、貴方を変わらず助けてくれました。貴方は後ろを向きます。そこには風に押される炎と、舞い上がったイチョウの葉で作られた二つの壁がありました。イチョウの葉の壁は炎と熱を遮り、優しい風が吹く道のようになっています。人が、一人通れるほど道、そう、貴方を逃すための道がありました。

「おいで。こちらに、おいで」

 道の先は暗闇です。何が、何処に出るのかも分かりません。それでも、貴方は走りました。その道を、無我夢中で。

「 お い で え 。 お い で 。 お い で え え え え ぇ え え 」

 貴方は背中が熱くなるのを感じました。優しく吹く風も、激しく吹き荒れ、前に進むのも大変です。しかし、貴方は走りました。走って、走って、見えてきたのは『くらが御門ごもん』でした。くらが御門ごもんの先は真っ暗です。何も光は見えません。それでも、貴方はくらが御門ごもんに飛び込みました。転けそうになるのを堪えて、くらがり通路を走り続けました。イチョウの葉が貴方の行く先を舞い、導いています。

「おいで。こちらに、おいで」

 くらが御門ごもんが閉じました。

 炎は激しく、全てを燃やす。無情にも、熊本城の天守閣は焼け落ちたのでした。



「おいで。こちらに、おいで」

 貴方はくらがり通路を走ります。イチョウの葉を追いかけて走って、走って、走って、転けました。貴方は荒い息を整えます。すると、軽快な音楽と張りの良い大きな声、沢山の拍手が聞こえてきました。貴方が顔を上げると、辺り一面に黄色の銀杏並木が広がっている――貴方が瞬きをした瞬間、その光景は消えました。息をゆっくりと吸いながら、貴方は周りを見渡します。ここは、桜の馬場城彩苑じょうさいえんで、貴方は端っこにあるベンチに1人座っていました。先程の生々しい体験は何だったのかとぼんやりとした頭で考えます。しかし、考えてもよく分かりませんでした。どうしたものかと貴方が考えあぐねていると、軽快な音楽と張りの良い大きな声――熊本城おもてなし武将隊の演舞が再び始まった音が聞こえてきました。

 日々は常に流れている。

 貴方は気持ちを切り替えようと、演舞を見に立ち上がりました。そして、演舞が行われている城彩苑じょうさいえんステージにゆっくりと歩いていきました。



 熊本城は別名『銀杏城』と呼ばれるくらい銀杏も有名です。時代も人も見てきた銀杏が、桜が、石が、水が、今日も歴史を語っているのでした。




〈了〉

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おいで。 おひさの夢想部屋 @ohisanomusou

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