あわせ屋ミケさんと、猫社の管理人

香散見 羽弥

紡生とあわせ屋(1)

 ――がらん、ごろん


 寒さが厳しい二月の空の下、澄んだ鈴の音が聞こえてきた。次いで、元気のよい柏手かしわでの音が辺りに響く。

 音の元には、マフラーに口元を埋もれさせ、一心不乱に手を合わせる女性が一人。


(神様、仏様! どうか、むぎの望みを教えてください!)


 「むぎ」とは、彼女――小宮こみや紡生つむきが生まれたときからずっと、共に過ごしてきた愛猫あいびょうだ。

 猫の平均寿命を大きく上回る老猫で、もう二十歳を超えている。そのため、十八歳の紡生にとっては、姉のような存在である。

 だがここ最近。ずっと寝たきりで、自力でご飯を食べなくなってしまった。

 わずかな水分を口元に付けてなめとらせてはいるが、ふくよかだった体は徐々に細くなっていった。恐らく、もう長くないのだろう。


 だからこそ紡生は、わらにもすがる思いでここ、「猫社ねこしゃ」にお参りに来た。

 むぎの為に、なにかできることがないか。紡生が思うのは、その一点。


(本音をいえば、できるだけ長く生きてほしい。……でも、これ以上苦しんでほしくない)


 自分にできることがあれば、やってあげたい。些細なことでも構わない。むぎが何を望んでいるのかを、知りたいのだ。


「さて、と」


 祈りだしてから十数分後。ようやく祈り終わった紡生が顔を上げると、賽銭箱の横に置かれていた大きな箱が目に入った。

 「奉納いただけるお供え物は、こちらにお願いします」と書かれている箱の中には、様々なものが入っていた。

 猫缶、おやつ、ねこじゃらし。参拝者はやはり猫好きが多いのだろう。お供え物は猫に関連するものばかりだ。

 その横には、帰ってきた猫たちの写真やお礼が書いてあるノートもあった。


 ここ「猫社」は、無人でこじんまりした神社ではあるが、ネコ界隈では有名な神社だ。

 曰く「お参りをすると迷子の猫が帰ってくる」だとか、「お参りすると猫ちゃんと運命的な出会いがある」だとか。

 そんな話が幾つもあって、「猫との縁結び神社」なんて呼ばれていたりする。

 とにかく、猫好きとしては一度は訪れたい場所なのだ。猫絡みの願いなら、他の神社よりもご利益がありそうである。


 紡生は満足げに社を後にした。が、ふと立ち止まる。


「ん? へぇ! 噂には聞いていたけど、本当に狛猫こまねこだぁ!」


 社の手前。普通の神社なら狛犬こまいぬがいるであろうそこには、猫を象った狛犬ならぬ「狛猫」が座していた。


 すらりと伸びた前足。それにかかるふさふさの尻尾。手触りの良さそうな胸の毛。ピンと伸びた耳。そしてあどけなさの残る可愛らしい顔。本当に石像なのか疑わしいほど精巧に造られた猫だった。


「すごいなぁ。触ったら本当にもふっとしてそう……。ん?」


 その精密な造りに思わず見とれてしまう。と、石像の下に白いものが見えた。

 台座の裏側に回れば、狛猫とよく似た白い猫がお昼寝をしているところだった。


「お参りに来た時はいなかったのに」


 どうやらお参りに集中しすぎていたようだ。猫が来ていたことにまるで気がつかなかった。

 心地の良い木漏れ日を受け、気持ちよさそう。紡生が近づいても日向ぼっこを続けているところを見ると、とても人慣れした猫のようだ。首に紅白の首輪と鈴が付いているから、きっとどこかの飼い猫なのだろう。


「こんにちは。気持ちよさそうだね」


 紡生の声に耳を傾けた白猫は、薄く目を開き紡生を見た。

 右目が金色、左目が青色の特徴的なオッドアイだ。白いし、なんだか神秘的な雰囲気である。


「なぁん」

「おっ! あはは、人懐っこいね~。よしよし」


 白猫はまるで「なでろ」と言わんばかりにすり寄ってきた。手に頭を擦り付けて、撫でてやると気持ちよさそうに目を細める。

 猫にすり寄られて嫌な人間なんているのだろうか。いや、いない。

 そんなことを考えつつ頭を撫でてやると、猫は地面に背を付けてゴロンゴロンと寝転がった。ピンク色の肉球がちらちらと見える。ついでに腹も撫でてやれば、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。


「あぁ~。可愛い。なにをしても可愛い。猫って、なんでこんなに可愛いのかな」


 たまらない。この仕草。紡生はすぐにメロメロになった。

 だが相手は猫。気ままなものである。この白猫も例にもれず、撫でられていたと思ったら、いきなり立ち上がり駆けていった。

 紡生は残念に思いながらも立ち上がり、今度こそ神社を抜けた。



 猫社の向かい側には古いけれど活気のある商店街がある。休日の昼間ともなれば、客を呼び込む声や油の跳ねる音、集まった人たちの楽しそうな声など、様々な音が聞こえてきた。

 ふわりと漂う食べ物の香りに、紡生の腹が声を上げる。


「……お昼ご飯でも買って帰ろうかな」


 初めて入る場所だから何があるか分からないが、少し歩けばおいしそうなものが待っているだろう。せっかく来たのだ。家でむぎの看病をしている母にも、何か買っていこう。


 信号を渡り、商店街の入口に立つ。

 ジュウウッという鉄板の音と共に、ニャーンという猫の声が聞こえた。次いで足元に温かくて柔らかいものが当たる。先ほどの白猫が、またいつの間にか足元に来ていた。


「どうしたの、君」

「みゃあん」


 白猫はトコトコと歩き出しては止まり、こちらを見上げてくる。

 紡生が猫のいく方についていくと、また歩き出す。


「……もしかして、ついて来いってこと?」

「にゃあ」


 紡生の言葉が分かっているとでも言うように、猫は一声鳴いてみせた。

 もしかしたらこの商店街の猫なのかもしれない。お客さんを連れてお店に戻る、招き猫的な存在の可能性もある。

 よく、働く猫ちゃん特集とかで取り上げられている、お客さんを歓迎する猫ちゃんとか、道案内する猫ちゃんとか、そういうタイプの子なのかも。


 もしそうだったら、この猫がどこの子なのか確かめなければ。

 猫ちゃんにそんなサービスをしてもらったとなれば、なにかお返しをしなくてはいけないというもの。あわよくば常連になって、また撫でさせてほしい。

 紡生は何が待っているのかワクワクしながら、白猫についていくことにした。


 白猫はしばらく真っ直ぐと大通りを歩いていたが、やがて路地裏へと入っていった。


「え、ここを通るの?」


 進む道はだんだんと細くなっていき、大通りの活気が嘘のようにシンと静まり返っていた。なんというか、一気にさびれた雰囲気となり、思わず足を止める。

 白猫は足が止まった紡生とは裏腹に、一軒の家の敷地へと入っていった。


「……」


 恐らく、あそこが目的地なのだろう。

 古びた木製の門扉があり、中の様子はここからでは見えないが、普通の古民家のように見えた。もしかしなくても、一般家庭の猫だったのだろうか。


「ん?」


 目線を下げると、門扉の前に看板らしきものがたっているのに気がつく。


……屋?」


 そろそろと寄ってみると「あわせ屋」とだけ書かれた立て看板だった。

「屋」というのだから、なにかしらのお店ではあるのだろう。だが名前からは何をするための店なのか、判断がつかない。一体、なんの店なのだろうか。


 門扉は、白猫が通ったからか、少しだけ開いていた。その隙間から中を覗き込んでみる。


 よく手入れされた広い庭と、その奥に古民家……というよりは武家屋敷のような建物が建っていた。外見よりもずっと広いようだ。


「博物館とか、文化館みたいな感じなのかな」


 伝統的な屋敷を保存して展示しているようなイメージだ。「歴史と出会う」というコンセプトだから「あわせ屋」なのかもしれない。

 紡生は門を開いて一歩踏み入れてみることにした。


 屋敷の玄関と思われる戸を引いてみると、ガラガラと音をたてて開く。鍵などはかかっていないらしい。


「す、すみませーん」


 思いがけず開いてしまったことに動揺しながらも、中に声をかける。が、返事はない。

 見えるのは古そうな板張りの間と、畳の部屋だけだ。受付もなさそうな雰囲気に、やはり普通の民家だったりするだろうかと悩み始める。


「――のか」

「ん?」


 そのとき、外から声が聞こえてきた。男の人の声だ。

 紡生は玄関から顔をひき、声のした裏手へと回ってみることにした。


 玄関の横へと向かうと、日当たりの良い縁側えんがわがあった。

 そこに、寝転がる人の姿がある。

 恐らく男性だろうその人の顔の上には、なんと先ほどの白猫が乗っているではないか。猫腹アイマスク状態である。

 紡生からしたら羨ましいことこの上もない状態だが、男の人はなんとか猫をどかそうと格闘かくとうしている。


「毎度毎度、あんたそれやめろって」

「みゃおん!」

「みゃおんじゃなくて。重いんだよ」

「うーーー!」

「いてててて! バカッ! 爪を立てるな!」


 繰り広げられる攻防。見ている分には面白い。

 けれど、男性の服には猫の毛がたくさんついてしまっていた。高そうな服なのに、大丈夫だろうか。

 男性は屋敷に合わせたのか、大正ロマンのような恰好をしていた。和洋服わようふく、とでも呼べばよいのだろうか。下は濃いグレーの袴、上には着物の中にハイネックのシャツを着こむスタイルだ。


 ともかく、ずっと見ている訳にもいかない。紡生は恐る恐る声を掛けることにした。


「あ、あのー」

「うおおおおお⁉」


 その瞬間。

 男性は垂直に跳び上がった。あまりにもきれいな跳び方で、着地まで美しかった。まるで猫のびのようだ。


「な、なんだあんた。どこから……いつからいた⁉」


 とんだ拍子に顔に乗っていた白猫が外れたようで、ようやく顔が見えた。


 黒地に茶色と白のメッシュがところどころに入った柔らかそうな髪。左耳にだけ嵌められた赤い石のピアス。そして首元に見えるチョーカー。随分とオシャレさんだ。

 恰好的には二十代前半くらいに見えるけれど、目つきは鋭く、整った顔は人を寄せ付けない雰囲気が出ていた。もしかしたら、二十代後半かもしれない。

 その鋭い琥珀こはく色の目は、今は驚きに見開かれ、威嚇いかくをするようにこちらを見つめていた。どうやら不審者に思われているようだ。


「あっ、えっと、勝手に入ってすみません! そ、その子を追いかけていたらここに来ちゃって。門の前に看板があったから何かのお店なのかなって。様子を見ていたんです! 不審者じゃないです!」


 自分で不審者じゃないと言うと、余計に不審者っぽく聞こえてしまうのはどうしてなのか。

 紡生は焦りでそんなことを考えつつ、どうやって誤解を解こうかと悩む。


 だって、もしもここが民家だった場合、不法侵入は確定してしまう。自分の家に見知らぬ人が入ってきたら、それは立派な不審者だ。普通に怖いだろう。

 紡生は軽率けいそつに入ってしまったことを悔いた。


「……あーなるほど。なるほどね。そういうことね」

「え、えっと?」


 男性は頭をがしがしと掻き、ため息を零した。

 前科ぜんかが付いたらどうしようかと怯えていた紡生とは裏腹に、どこか納得した様子だった。


「まあいいや。とりあえず、入って」

「え」

なんでしょ?」

「……そうなる、んですかね?」


 お客さんかそうじゃないかと言われれば、お客さんと言えなくもない。何を売っているのか、何の店なのかは分からないが、不審者と思われるよりかはマシだろう。

 招きいれられるまま、紡生は屋敷に上がった。


 前を歩く男性は、意外と大きい。一八〇センチくらいだろうか。紡生が一五五センチなので、見上げると首が痛くなる。

 しゃべることもなく無言でついて行くと、通されたのは囲炉裏いろりのある和室だった。家の中はぞくりと来るほど寒かったので、温かい部屋はありがたい。


「茶でも入れてくるから、ここで待っててくれる」

「あ、はい」


 男性は返事を聞く前に奥へと消えていった。未だに警戒されている気がしてならない。

 とはいえ、ココがなにかしらのお店であることは間違いなさそうだ。

 いったい、なんの店なのだろうか。紡生は気になって、きょろきょろと見回す。


 囲炉裏、箪笥たんす長持ながもち、そして屏風びょうぶ……。時代劇の舞台で使われていそうなものばかりだ。けれどどれも生活感がある。もしかして、あの人はここに住んでいるのだろうか。


「……変なの」


 結局何屋なのかは分からずじまいだ。

 とそのとき、入口の方からカタンという音がした。他のお客さんが来たのかもしれない。

 開け放たれたふすまから玄関を覗こうとしたとき、男性が戻って来た。


 けれど、どこか様子がおかしい。男性は紡生ではなく、玄関をじっと凝視ぎょうししていた。

 紡生はなんだか急に怖くなって、思わず声をかけた。


「あ、あの」

「そう言うことかよ」

「え?」


 男性はぼそりと口にしてため息を吐いた。


「あんた、猫飼ってる?」

「え?」

「猫だよ。白いやつ」

「え、えっと、はい」


 唐突に聞かれた質問の意味が分からず、首を傾げつつも頷く。


「あんた、今日は帰れ」

「は?」


 男性は紡生の返答を聞くと、無遠慮にいった。紡生の腕を掴んで有無を言わせずに玄関へと連れていく。


「えっ、っちょ、ちょっと!」

「いいか。まっすぐ、寄り道せずに家に帰るんだ。そんで、。分かったな」


 ――ピシャリ


 スライド式の玄関が音を立てて閉められる。

 ポイっと放り投げだされた紡生は、目を白黒させながらも立ち上がった。


「な、なんだったの……?」


 やはり、お店ではなかったとかだろうか。いやでも客って言っていたしな。

 混乱ばかりが頭を支配する。が、帰れと言われて居座る理由もない。紡生はとぼとぼと屋敷の外門を潜った。


「……それにしても、あの態度たいどはなくない? 別にわたし、変なことしてないのにさ」


 訳も分からず、有無を言わさずに投げ出された。そのことに少しだけ腹を立てる。

 招きいれたくせに。なぜ突然そんな扱いをされなければならないのか。


 ――プルルルル!


 とそのとき、紡生の携帯が鳴った。ちょうど門を潜ったところで鳴りだしたので、少しだけびくっとしてしまった。が、着信画面を見てほっと息を吐く。


「もしもしお母さん?」


 胸のモヤモヤを誰かに話したかった紡生はすぐに電話を取った。そして――


「……――え?」


 電話口から聞こえてくる声は緊迫きんぱくしたものだった。その意味を理解して、すぐ。紡生は駆け出す。

 大通りのざわめきも、信号の音も、聞こえない。紡生の耳には、告げられた言葉ばかりが何度も反響していた。


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