夕融けの零氷ーNONAMEー
槻白かなめ
No.1 蒼鷹にて
紅い着物を纏った人物が、悠々と亘理橋をくぐる。
鳩尾から腰までの長さほどの鈍色のコルセットから視認できるように、その人物の体躯は布越しだが、女性のようにしなやかなアウトラインを描いていた。
鳥の頭に獣の耳を取り付けたような半面を被っており、半面の頬部分には紅の線を三本、入り抜かれている。
額から鼻下まで隠されているため、人物の顔は、口元と、葉の形状にくり抜かれた穴から除く目元以外露出していない。
体躯のみならば、一見では女性的ではあるものの、しかしはっきりとした性別までは分からなかった。
その人物が橋をくぐれば、紅鏡により照らされ鮮やかな色彩を放っていた景色はやや暗くなり、明度が低く変化する。
壁際には、長期間放置されているのか、砂埃を被った木箱が数個、階段のように積み上げられており、上に硝子の割れたランプが置かれている。
持ち手は外れ、鉄部分もへこみ、見るからに使い物にならなそうだ。
橋の裏には蜘蛛の巣が張られていた。
人間が編んだ縫い物のように繊細で見事な出来栄えであり、とても頑丈そうだ。
中央には主であろう腹の丸い大ぶりな個体と、両脇には小ぶりな個体が二匹、獲物を虎視眈々と待ち構えている。
一体どれ程の刻、手入れを施されていないのだろう。引き伸ばされている煉瓦の通路にも砂利が散らばり、踏みしめる度に音が反響する。
数歩進み、やがて遮られていた陽が頭上に現れ、間もなく周囲や足元を明るくした。
途端に、――鼓膜を揺さぶる、これは…音楽だ。
どうやら、真ん中が窪んだ皿を取り付けられた黒い箱から発せられているようで。
月蝕の地にある他の村や街では見掛けない、ここ楽都限定の電子機器だった。
仮面の人物は、音楽に合わせて鼻歌を鳴らす。
すると――、ふと、周りに影が落ちる。
変化と同時に一瞬で濃くなった気配に、仮面の彼が反応する。
紅鏡の昇っていた方角へと視線を向けた。
仮面の窪みから覗く瞳に写ったのは、自分に、何やら腕を大きく振りかぶっている――瞬時に理解できたのは、そこまでだ。
そして次に捉えたのは、腕を勢いよく振り下ろす間際――それは大鎌だった。
仮面の彼は、反射的に後方へ素早く飛び退く。刃は彼がいた場所を叩き、切っ先は瓦礫を割って埋もれる。
相当な威力から、明確な殺意を宿した一撃であった筈だ。いや、推測などしなくとも、先程の挙動から彼に危害を加えようとした確かな意思が在るであろう事は、火を見るより明らかだ。
仮面の彼は顎を向ける。
視界に捉えたのは、高く結い上げた赤紫の髪を揺らしながら大鎌を持ち上げる女性の姿。紅鏡を背に、紫黄水晶の炯眼が再び彼へと焦点を定め、女性は体勢を整える。
――次が、くるか。
仮面の彼は突然の事態に動揺する素振りもなく、臨機に呼吸を止め、動きを逃さぬよう観察と沈黙に徹す。
夕融けの零氷ーNONAMEー 槻白かなめ @Tsuk1sh1r0
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