出羽国軍、動くの事
石扉が開いていき、目の前が光で満たされ全ての視界が白く染まる。
思わず目を閉じた金平が再び目を開けた時、息のかかるほど間近に顔を寄せた頼義の長い睫毛が目に映った。
「わわっ!!」
慌てて金平が後ずさる。支えを失った頼義がそのままベシャリと音を立てて地面に突っ伏してしまった。
「むぎゅ」
彼女が変な声をあげる。再び顔を上げた時、そこにいたのは「
「お前……か?」
「う、うん……」
金平と頼義は二人して何やらもどかしげにそれだけしか口にせず、気まずい沈黙が辺りに漂った。
そんな空気をまるで読む事も無く
「ご帰還おめでとうございます。いやいやいや私としては是非とも『
「よ、よっちゃん……?」
聞きなれない呼ばれ方に、頼義はなにやらむず痒いような奇妙な感覚に陥った。
「おい、状況はどうなった?あれからどれくらい時間が経ってる?」
金平が影道仙に戦況を確認する。影道はきょとんとした顔をして答えた。
「ええっとですね、大殿様が密かに手を回してた相模国の援軍がなんとか間に合って、こっちも自軍を立て直して反撃に転じるところ。もうあの
「木の人?なんでえそりゃあ」
「いいから見てください、あの光景を」
金平が改めて戦場を見渡す。勝敗はすでに決していた。常陸国軍の退路を塞いでいた樹海の木々が突如として動く樹人の戦士へと姿を変え、追い詰められた常陸軍の加勢に加わると、数の上でも勢いの上でも完全に形勢は逆転した。加えて相模国鎌倉党の援軍による横槍を受けて陸奥軍は隊列の維持もままならず、さらにその追っ手が音に聞く「頼光四天王」の一軍と知り、恐れおののいた陸奥軍は次第に敗走の色が濃くなり始めてきた。
「なんでえこりゃあ?あの木のバケモンはなんなんだよ」
「ふふーん、驚くなかれ、なんと彼らこそがあの『山の佐伯』の正体なのです」
なぜか影道仙女が自慢げに鼻を膨らませる。だがその説明だけで金平に頭の中でも全ての事象が繋がった。石岡の国府に突如現れた木々の群れは避難してきた「山の佐伯」の民そのものだったのだ。
「まったく、世間はまだまだ神秘に満ち溢れてるってワケかよ、けっ」
呆れ顔の金平が苦々しげに吐き捨てる。その真意を察することもなく隣の陰陽師は能天気に戦場を蹂躙する樹木の戦士たちに激励の言葉を送っている。
なんとか劣勢を挽回しようと奮闘する
いや、それどころか後退する陸奥軍に対して助けの手を差し伸べるでもなく、また道を譲るでもなく、むしろ逃げ込もうとする陸奥軍の兵士を長槍でつついて追い返す始末である。今度は陸奥軍の方が出羽軍という「樹海」に退路を阻まれる形になった。
「くっそお、出羽の連中、ここに来て
(お前が言うな)と部下の誰もが心に思ったが、出羽軍頼みにならずと判断した陸奥軍総大将
その機を見計らって、
このまま完全に取り囲めば、敵を一網打尽に殲滅することも可能だろう。しかし退路を断たれ追い詰められた兵士は、死にもの狂いの抵抗を試みて普段以上の猛威を振るう恐れがある。そうなればこちらも甚大な被害を受けかねない。その危険を冒すくらいなら道を開けてさっさとお帰り願おう、というのが頼信の狙いだった。
案の定、陸奥軍はさしたる抵抗もなく速やかに陣を引き、次々と船に乗り込み逃走の段を整える。最後の最後になるまで抵抗を続けていた安倍忠良が振り向きざまに声を荒げた。
「チキショーメー!今回被った大損はいつか必ず取り返してやるからな!!常陸介、これで勝ったと思うなよ!あと
「大将よう、聞いてるこっちが恥ずかしくなってくっからもうそれ以上言わんでけろじゃあ」
「んだんだ、敵さんもああして逃げ道空けといてくれてんだかんよう、今の内にとっとと逃げっぺえ」
部下たちに担がれて敵の総大将が去って行く。その姿が見えなくなるまで、忠良は小物くさい捨て台詞を思いつく限り連呼していった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
陸奥軍は去った。今戦場に対峙しているのは源頼信率いる常陸・相模連合軍五千と、誰が指揮しているかも知れぬ出羽軍一万だけである。
長い睨み合いが続いた後、出羽軍の方から数騎の兵士が近寄って来た。
背に長い白布の幟を立てて走るその騎馬は、非戦闘員の使者である事を示していた。後ろに二人掛かりで大きな麻袋を担いだ従者を従えた使者が口上を述べる。
「常陸介頼信どのに申し上げる。我ら
高らかに宣言した使者に対し、それを聞いた総大将源頼信は自ら前へ進み出て返礼した。
「我らもまた貴国と一戦交えるつもりも無し。速やかにご帰参されるが良かろう。
その言葉を聞いて、使者は黙って頷く。やがて後ろに控えていた従者たちが、数人がかりで抱えていた巨大な麻袋をドサリと投げ落とした。
「
「!?」
使者の言葉の意味を察して頼信は配下に今使者が放り投げた麻袋を開けて中身を改めさせる。そこには……
全身を切り刻まれて絶命している
「そんな、そんな……!」
それを見た影道仙が顔を青ざめさせる。金平も頼信も、後ろに控える頼義も身動き一つする事なく目を見開いたまま押し黙っている。
経範の死体は凄惨そのものだった。両の目は潰され、手も足も腱を切られ、爪もみな念を入れるように一枚一枚丁寧に引き剥がされている。あまりの残虐な様に見ていた兵士たちが一様に口を押さえた。
「ではこれにて御免……」
「おい待てやゴルァ!!」
去りかける使者に向かって怒りを抑えきれぬ金平が飛びかかろうとするのを止めたのは総大将の頼信だった。
「使者どの、これはいかなる所存にて……?」
頼信が問う。
「知れた事。この者が恐れ多くも我が主君を甘言にて買収しようなどと不埒をいたしたゆえ誅したまでの事。それでもこの者は最後の最後まで一言の泣き言も言わず一心に停戦を訴えかけよった。その意気だけは汲んで我が殿は此度の戦において中立を保つ事を決められたのだ。感謝する事だな、その者が口にした『己が身を切り刻まれている間は陣を進めること勿れ』という約定を守っておらねば貴様らなぞ我が軍によって一寸刻み五分試しになっておるところであったぞ」
そういって使者たちは冷ややかに笑った。その挑発的な態度にも臆する事なく、頼信は静かに言った。
「貴国の流儀、この常陸介良くわかりもうした。改めて鎮東将軍閣下によろしくお伝えくだされ……
「……!?」
物静かに、穏やかな瞳でそう答えた常陸軍総大将の態度に、薄ら笑いを浮かべていた使者たちの顔が一瞬引き攣った。使者は一言も発する事なくそのままその場を立ち去り、合わせるように後方の出羽軍の陣も引き払いのために騒がしく動き始めた。
「誰か、その者を手厚く葬ってやれ」
頼信は退散する出羽軍様子から目を話す事なくそう告げた。その言葉に従って頼義と金平、影道仙が傷まみれの経範の遺体を抱きかかえた。
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