勿来関、大混乱に陥るの事(その一)

切り立った岩肌を「八幡神はちまんしん」が鹿のように飛び跳ねながら駆け下りていく。


具足一式を身にまとっているとは思えぬほどの軽やかさで岩から岩へと飛び移りながら、手にした愛用の神弓「龍髭りょうぜん」を構え、あの青白く輝く破魔矢はまやを撃ち込む。


先ほどまでは真上から垂直に叩き落としていた破魔矢だが、今度撃った矢は斜面を舐めるような低い弾道で伸び、矢板を打ち付けて並べた柵を次々とぶち抜きながら反対側の壁面まで貫通して行った。


ちょうど夕暮れ時から日の落ちかかる頃合いで、夜明かり用に灯した篝火を用心のために消して最小限の明かりで警戒していたのが災いし、奥州軍の兵士たちは山頂からの奇襲がどれくらいの規模のものか判断できず、大慌てで次から次へと部隊が関の南側に向かって集結しだした。


その様子を見極めた「八幡神」は足を止めて抱えていた松明に火を移して次から次へと放り投げる。今はまだ下の連中からは松明の明かりは目視できないだろうが、いずれ登ってきて距離を詰めれば嫌でもこの明かりに目が行くだろう。「八幡神」はすぐさまその場を離れて追いかけてくるであろう守備隊の横腹をつけるように回り込んで陣取った。果たせるかな、まんまと囮の灯火に釣られて陸奥むつ兵が殺到する。


「八幡神」はその隊列の横腹に引き絞った破魔矢を撃ち込む。矢は今度は激しく炸裂することはなく、ただ隊列のど真ん中で青白い閃光を放つだけだった。それでも先に食らった攻撃の威力の程がその目に焼き付いている兵士たちは恐怖に慄き、一気に総崩れとなった。分断されたことで前列と後列との間に統制が取れなくなり、上へ行ったものか下へ退却したものか判断もできずに一人一人がてんでバラバラな行動を取り始め、完全にまとまった軍隊としての機能を喪失してしまう。


間髪かんはつを容れず「八幡神」は真上に向かって同じように閃光のみの破魔矢を虚空に放つ。それはあらかじめ本隊を率いる佐伯経範さえきのつねのりと示し合わせていた合図だった。


合図の火矢を確認するや、北の扇状地に陣を構えていた本隊が勿来関なこそのせき目掛けて移動を始めた。南面の奇襲に人手を取られ人員の薄くなった隙をついて瞬く間に常陸ひたち軍本隊は勿来関の北面に張り付き、一斉にその壁面を剥がしにかかった。応戦する守備兵には最低限の相手しかせず、兵士たちは砦の破壊工作に専念している。陸奥軍総大将の安倍忠良あべのただよしはここでようやく「敵」の真意に気がついた。


連中の目的は勿来関の奪取ではなく、その破壊だ!!


道理で最初の奇襲が容赦なく派手に行われたわけである。彼らは初めからこの勿来関を奪って占領するなどという考えは無かったのだ。この地を完膚なきまでに破壊し、その拠点を潰すことがそもそもの目的だったのだ。



「なんてこった。こりゃあ小競り合いって段階じゃあねえぞ!!立派な侵略行為じゃねえかこんちくしょう!まさか向こうの方から先に手ェ出してきやがるとは思わなかったぞクソッタレがあっ!!」



忠良が悪態をついている間にも北面の常陸軍本隊は柵を破り、柱を折り、そこかしこに容赦無く火をつけて回る。呆れるほどの手際の良さである。



「伝令っ!南面は捨て置け、全勢力を北面本国側の守備に集めろ!これ以上ここを破壊されてたまるか、急げっ!!」



忠良が号令する。混乱の極みに達していた南面の守備兵は指針を与えられたことでようやく落ち着きを取り戻し、一斉に背を向けて関の内へと戻り始めた。



「バーカめ、ご丁寧にこちらへ背中を丸見せにするとは、撃ってくださいと行っているようなものではないか!!」



「八幡神」が獲物を前にした猟犬のように舌なめずりしながら弓矢を構える。渾身の一撃を放とうとしたその瞬間、



「あ、しまった」



おもわず間抜けな声を漏らしながら「八幡神」が膝をつく。弓から放たれた破魔矢はヒョロヒョロと力無く宙を舞うと泡が弾けるように四散して消えた。



「いかん。霊力タマ切れじゃ。まーた調子に乗ってしもうた。頼義コヤツめ修行が足りんぞ修行が」



そう言って「八幡神」は大の字になって横たわる。その頭上にようやく山頂から降りてきた影道仙が息急き切って駆け寄ってきた。



「ぜいぜい、やっと追いついた。な、何やってるんですかハチマンさまあっ!?」


「おう、すまんがもう動けん。なので残りの追撃はお主に任せたぞ」


「のわーっ!!何言ってるんですかばかーっ!!あんなに調子に乗ってホイホイ馬鹿みたいに大量に霊力使ったらそりゃそうなるでしょうがーッ!!」


「うむ、面目ない。だが時間がない、せっかくの好機だ、連中が関に戻りきる前にもう一発かましてやらんと本隊の方が面倒な事になる。なので急げ」


「急げって言ったって」


「なに、そなたほどの術者だ。雷撃の呪法の一つや二つくらい心得ておろう。では任せた」



そう言って「八幡神」はごろりと横を向いていびきをかきながらさっさと寝入ってしまった。呆然としながら影道は脂汗を流す。



「な、な、なんて事……お、お師匠様、影道はこんな事で『禁』を破って良いものでしょうか……?」



影道は虚空に向かって一人問答する。師匠である安倍晴明あべのせいめいは彼女を頼義の元に遣わすに当たって一つの「禁則」を命じていた。


すなわち、仙術を使う事の禁止である。


呪術仙術において比類無き天才と自負する影道仙ほんどうせんが一度その腕を駆使すればたちまち周囲は天変地異の大惨事になるであろう、故にそなたはくれぐれもその使い方を自重するべし、と師匠から口を酸っぱくして言われ続けた彼女である。それをこの場でいまその封印を解く、という選択を迫られている。



(決して術を使ってはならぬぞならぬぞならぬぞ……)



師匠の言葉が彼女の脳裏に響く。影道仙は大いに迷った。迷ったが



「ま、いっか♪」



わりと悩む事なくあっさりと禁を破る事を決意した。



「ようっし、そうと決まれば本気で行きましょうかあ、ポンちゃんの真のジツリキお見せしましょう。来たれ雷帝、その金剛杵こんごうしょでもって九天八卦きゅうてんはっけ神威かむいをもたらしたまえ、南無なむ金剛こんごう帝釈天たいしゃくてん来臨急々らいりんきゅうきゅう因達羅舎いんだらや娑婆訶そわか!!」



影道が印を組んで叫ぶ。俄かに天が曇り黒雲に満ち溢れる。その黒雲から無数の雷鳴とともに稲妻が大地に突き刺さり……


その一本がなぜか影道たちのいる場所に直撃した。

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