坂田金平、決断をするの事

「一滴だ。ただのひと雫で十分だそうだぞ」



金平の背中越しに安倍忠良あべのただよしが忠告する。背中を向けた金平の様子は彼の側からは伺えないはずだが、忠良は金平が「変若おちみず」を使うものと信じて疑わないようだった。


果たして金平は忠良の予想通り、やはりその薬瓶の蓋を開け、「変若水」の霊薬をの唇に向けて垂らした。


ドロリとした、光り輝くその霊薬は液体というよりは絵画や彫刻に施す金泥のような粘り気を見せた。そのひと雫が糸をひきながらの口元に染み込んでいく。



……!?」



その効果はすぐに金平の目にも見て取れた。蝋のように白く生気を失っていた顔にみるみる赤みがさし、乾いていた唇にも潤いが戻ってきた。その身体を支えている金平の手にもその体温が戻ってくるのが伝わる。ただの一滴で、は文字通りに生き返った。


長く閉ざされていた瞼が開く。



「とと……たま」



弱々しい動きでが手を伸ばす。その震える手を、金平の両手がしっかりと包み込んだ。


の目は金平の姿をしっかりととらえ、柔らかに微笑んだ。その笑顔を見ただけで、金平は全てに救われたように打ち震えた。


金平の後ろでグスリと鼻をすする音が聞こえる。何気なく振り向くと、二人の光景を眺めていた安倍忠良が涙目で鼻を押さえていた。



「おっと、どうもいけねえ。商いに余計な情けは無用と心得ちゃあいるんだがよ、どうもこの手の話に儂は弱くってよう」



そう言って忠良は大きな音を立てて鼻をかんだ。自分の服の裾で。


それを見て金平はこの安倍忠良という人物がどうもよくわからなくなってしまった。そもそもこのような無情な状況に金平たちを追い込んだのは忠良本人であろうに、それでいていざその場に立ち合ったらもらい泣きしてしまうとは、一体どういう神経をしているものやら。



「がはは、違いない。こういう所で非情に徹しきれないのが儂の未熟さよの。反省しよう。これからは容赦せん。がははは」



開き直って忠良が大笑いする。それを見て周囲の部下たちも主人と共に大笑いをはじめる。その和やかで、結束の強さを垣間見せる連中の雰囲気を見て、苛烈で強圧的な支配でもって東北を束ねる暴君という前評判とは随分と違う印象を受けた金平にもいささかの動揺が走った。



「なんじゃい、貴様儂らのことをなんだと思っとったんじゃ?ふふ、前にも言うたであろう、この陸奥むつではな、一番強い人間が上に立つのよ。具体的に言うとだな、ここにいる全員と儂はガチで殴り合った。その上で全員をぶちのめして今の儂の地位があるという事よ。我らは強者に従う。だからこいつらは儂には逆らえん、単純な話よ」



そう忠良が自慢すると、周囲の連中から激しく野次が飛び交った。



「ぬかせ大将!来年こそは儂がぶちのめしてやらあ」


「去年は不覚を取ったが次は我に秘策あり、もう去年のような無様は見せんぞ!」


「怪我こそしていなけりゃあ前回だって儂の優勝だったんじゃ、首を洗って待っとれよ!」


「おうおう、めんどくせえからお前ら全員まとめてかかって来いや。どうせみんな負けるんだからそっちの方が楽で良いべ」



互いに悪態を付き合い大いに笑う。都の連中とも坂東武者たちとも違う、野卑で粗暴で、それでいて何処か温かみのある彼らの輪の中に、金平はふと中に混じってみたいという誘惑に駆られてしまった。



「おう金平、なんだったら貴様も来年の『マツリ』には参加するがいいべえ。強いヤツは大歓迎だぞ。もっとも、都のお坊ちゃんじゃあ一回戦も抜けんだろうがなあ」



そう言ってまた全員が高らかに笑う。金平は呆れ顔で連中を見回した。



「お前ら、毎年そんな事やってやがるのか?その年その年の大将を決めるために」


「おうよ!!」



そう言って陸奥兵たちが自慢げに二の腕を見せてその屈強ぶりを見せつける。その姿を見て金平は不覚にも笑いがこぼれてしまった。



「まったく、しょうもねえクソ野郎どもだな」



金平の苦笑いにが反応して、嬉しそうにその顔を金平の懐に埋めた。



「おっと、それはそれ、これはこれじゃ、こいつは返してもらうぜい」



忠良が金平の手に収まっていた例の薬瓶をヒョイと取り上げる。油断していたとはいえ金平の隙をついてその手から掠め取る忠良の鮮やかな腕前に、金平は叫ぶ暇もなかった。



「そんな顔をするない、ちゃんとまた時が来りゃあ飲ませてやるさ。儂らにとっても大事な素材だ、死なれるわけには行くめえからの。だからこそ切り札はこちらの手のうちにねえとな」



涼しい顔をして忠良がうそぶく。まったく油断のならない連中だ。少しでも気を許しかけた自分の不明を金平は恥じた。



「さて、お前さんどうするね?本当にこのまま儂らの一門に加わってくれるならこんなに嬉しいこたあねえが、貴様はそんなタマでもねえだろう?」


「言われるまでもねえ。今さらお前らの仲間になんざなれねえよ」


「儂らはそんな事全然気にせんがな。なあお前ら」



そう振られて部下の連中が一斉にニンマリと歯並びの悪い笑顔を見せる。気のいい連中だ、精強でもって知られる北の戦闘民族の思わぬ素朴な人柄に金平も次第に好感を感じてきていた。



「俺は……」



言いかけた金平を遮って外から伝令が息急き切って飛び込んできた。



「申し上げます!源頼義率いる常陸ひたち国軍、わが国との国境を目指して進軍中との報あり、目的地はここ勿来関なこそのせきと推測されます!!」

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