坂田金平、勿来関にて歓待されるの事

坂田金平さかたのきんぴらはその懐に「丹生都にうつひめ」を抱きかかえたまま殺気走った視線を眼前の男から離さない。男の方はその殺気を物ともせずに酒杯を仰ぎながら金平たちを見下ろしている。


頼義との一騎打ちの後、金平はそのまま真っ直ぐに街道を進み、その先にいた安倍忠良あべのただよし率いる陸奥むつ国軍に出迎えられ、そのまま国境を越えてここ勿来関なこそのせきに入った。金平たちは捕虜として拘禁される事はなかったものの、この関所に設けられた砦の一室に軟禁されたまま無為に時間を過ごしていた。


安倍忠良が再び姿を見せたのは金平たちがここに入ってから丸一日経った昼過ぎ頃だった。忠良は部下に命じて酒席を設け、金平たちに歓迎の意を示したのだった。



「はてさて、いつまでもそのように身を固くすることもあるまいよ。せっかくそなたらのためにわざわざ歓待の宴を開いておるのだ、ま、友誼ゆうぎの証に一杯どうだ?」



金平の頑なな姿勢に髭面の男……安倍忠良は親しげな笑みを浮かべながら金平に盃を差し出す。金平はその杯には目もくれずに忠良に向かって言い放った。



「ざけんな!テメエらのお仲間になったわけじゃねえ。勘違いすんな!」



狂犬のように噛み付く金平に思わず忠良もその手を引っ込めた。



「おお怖いこわい。流石さすが己が身可愛さに主人を裏切りその秘宝を掠め取って逃げて来ただけの事はあるわな。何にでものよう噛みつくわ。ふふ、如何いかがなものかな、主君を捨てて朝廷を裏切り、帝に楯突く反逆者として追われる身になった気分は?」


「けっ、挑発のつもりかよバーカ。俺が逆賊ってえんならテメエらも同じ逆賊だろうがよ、朝廷から位を貰って禄をんでる身分でこんな大それた事しやがって、これが反逆でなくてなんだって言うんだよこの野郎」



金平はを抱きしめたまま離さない。間も無く新月を迎えるの身体はもう羽のような軽さでしかなかった。



「逆賊?ふふん、いかにも我らは中央から見ればど辺境の反逆者に見えよう。奴らにとって我らは所詮奥六郡を束ねるだけの小豪族だと高をくくっておる事だろうよ。だがな、この陸奥みちのく蝦夷えみしとの戦さ場の最前線であった事など、もう遠い遠ーい昔の事よ。すでに北の大地はその先果さいはてまでとうに開拓しつくされ、人が住み、交流し、さらに海を越えて大陸とも誼みを結ぶ程になっておるわ。この安倍忠良の支配する大地はこの勿来関からはるか北、宇曽利うそりの霊山までとどろく一大勢力であると知れ。はたして中央の連中は我らと相対してたかが地方の逆賊と一捻ひとひねりにできるかな?」



安倍忠良が高らかに笑う。地図の上では確かに安倍氏は陸奥六ヶ所の郡域を統べるのみの小勢力に過ぎない。そもそもその六郡を指して「陸奥国むつのくに(六つの国)」と称されるくらいだ。だがその実態はすでに彼らは北の夷狄いてきたちを従属させ、支配し、あるいは対等の朋友として自らの勢力に取り込み済みであると言う事らしい。さらに彼らは朝廷を介さずに独自の航路でもって大陸の諸国家と交流を深めている事を忠良はほのめかしている。


金平は周囲をぐるりと見回す。自分を囲っている忠良の部下一門の面々は確かにある者は唐衣からぎぬを着る者、金髪碧眼の明らかに倭人の出ではない者、さらにどこの国のものとも知れぬ見慣れない文様の紙衣かみこを身に纏った者など、種々様々な人物で構成されていた。


金平の背中に汗が滴る。金平自身この陸奥国を辺境の地方国家と侮っていた事を考え改めなければならいと悟った。こいつらは本気だ!正真正銘「独立国家」として朝廷と雌雄を決するべく、時間をかけてその準備をしていたのだ!



「かかか、まあそんな怖い顔をするない、冗談じゃ冗談。我らとてわざわざ商売の上客を失うような愚は犯さぬわい。朝廷さんとはこれからもいい商い相手であってもらわねばならんからのう、ふふふ」



安倍忠良が意地悪な笑みを浮かべて長く伸びた髭を指で弄る。そういえばここの連中は老いも若きも皆一様に髭を長く伸ばしている。寒冷地ゆえの防寒対策という理由もあるだろうが、ここでは髭の長さが男らしさを象徴する風習でもあるのだろうか。



「そこで、だ。商売をさらに発展させるためにゃあ、お前さんの大事な大事な娘御が是非とも必要でな。だからこうして三顧の礼でもってお前さんをお迎えしたわけなのじゃよお若いの、フォッフォッフォ」



忠良が老人のようなモノマネをしておどける。金平にはちっとも面白くもない。



「なんじゃいノリが悪いのう。ま、こんな状況では笑えるモンも笑えんわな。商売は信用が第一、それではまずはこちら側の『誠意』をお見せいたそう」



そう言って忠良は懐から何かを取り出した。包んでいた白布の結び目を解くと、中には釉薬を塗った高価そうな焼物の薬瓶らしき細長い容器が現れた。その白布に染め抜かれた紋章を金平は見逃さなかった。



「それが『変若おちみず』ってやつか?そうか、あのクソ陰陽師、テメエらにそれを渡したのはやっぱり晴明のクソジジイの仕業かよ!!」


「ようわかったなお若いの」


「知らいでか!その『五芒星セーマン』を見りゃあアホでもわかるわ!」



金平は白布の紋を忌々しげにアゴで指す。五芒星、晴明桔梗、後世には「ドーマンセーマン」などと称された五角形の対角線を抜き出したような星型の奇妙な図柄は、陰陽師安倍晴明あべのせいめいの家紋として陰陽寮でも嫌という程目にしたものだった。



「うむ。まああの爺さんの事はさておき、これなるは確かに間違いなくその晴明翁より譲り受けた『変若水』そのものよ。なんでも昔々に高貴なお姫様が時の帝に献上したものを晴明が譲り受けたんだとよ。で、この薬を使う資格がその娘っ子にはある、とも言っておったぞあのジイさんは。だもんだからほれ、まずは信頼の証、一服使うてみい」



忠良が金平にその薬瓶を渡す。金平は無言でその薄緑色の釉薬が光る瓶をジッと睨みつけている。



「だがそれはあるいは毒薬かもしれん」


「!?」



不意に忠良が物騒な事を言いだして金平の手が止まる。



「儂らが嘘をついているやも知れぬ。そもそも『変若水』自体がハッタリで、そんなものは初めからなかったのやも知れぬ。だがまたあるいは儂らが言っている事は真実やも知れぬ」


「テメエ……」


「要は貴様が信用するか否かよ。貴様が儂らを信用するというのであればその薬を飲ませれば良い。返せばその行為が貴様の我らに対する信用の証にもなろう。選ぶのは貴様の自由じゃ。さあ選ぶか良い」



悪魔メフィストフェレスのように忠良が金平に囁く。金平は抱きかかえているを見つめる。もはや躊躇している暇もない。彼女は今すぐにでも消えてしまいそうである。


金平はそれでも一瞬ためらいを見せた。そして、最後にとうとう決断した金平はその瓶を……

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